ご訪問ありがとうございますラブラブ

 

 

大きな夢を成し遂げるために必要なこと

 

●明るい気持ちーどんな時でも心の中の針がマイナスの方にふれないように、プラスの方に転じていくように

●向上心ー今日より明日、明日より明後日という気持ち

●利他の心ー誰かのために尽くさせてもらうという気持ち

 

人として大切なもの

 

●感謝・・・あリがとうございます

●反省・・・すみません

●敬意・・・はい

 

~塩沼住職のお言葉より~

 

 

今回も,塩沼住職の講演会よりヒントを頂きたいと思います。(赤字は抜粋部分)

https://www.youtube.com/watch?v=Z19EUIU8gzc

 

 

 

 

お坊さんになってからしばらく経ちましたけれど、お坊さんになって初めてする儀式で

懴悔というものをしなさい、と師匠から言われました。

 

人間は、仏というこの正しい生き方に触れるまでは

知ってても犯すつみ、あるいは知らずしらずに犯す罪と

というものがある。

 

それを心から懴悔せよ、と思って懴悔から修業が始まります。

 

師匠が行うように、作法通りに真似をして懴悔をします。

 

けれども、自分の形と言葉だけだったんですね。

 

それが色んな厳しい修業を体験し、難しい勉強をしどこに落ち着くかというと

 

心が収まるべきところに収まった瞬間のきっかけは「懴悔」でした。

 

心からの「懴悔」

 

私達には心があります、そして、行動もできます。

 

そして言葉があって、この3つが伴って

 

「心」と「行動」と「言葉」が伴って初めて真実が相手に伝わるわけであります。

 

この1つがどれがかけても相手に真実が伝わらない、ということです。


 

 

 

塩沼住職は「懴悔」ができたときに心が収まるべきところに収まることができた、とおっしゃっています。

 

私の場合、塩沼住職の足元にも及ばない稚拙な懺悔ではありますが、曲がりなりにも私が懴悔したときに

 

私は初めて人間らしい少し体温を持った心が私の中に芽生えたような気がします。

 

「私の言葉には心がない」と周りから言われていた意味が、やっと分かった気がします。

 

52歳にして心を持つことがやっとできた合格

 

(そういう気になっているだけかもしれませんがあせる

 

それでも、私の毎日は光ある世界で過ごせています。

 

 

懺悔できて初めて、心から正しく生きたい、と思うようになりました。

 

それまでは、別にそんなに正しく生きなくたっていいじゃない、好きに生きて何が悪いの?プンプン

 

という思いが私の中にはありました。

 

 

本当に不思議ですが、懺悔できたときに、そんなひねくれた考えはなくなり、正しく生きたいなーという思いが湧いてきました。

 

そして、それには正しいものの見方・考え方ができるようにならなければ、という思いに至り、

 

このブログも書き始めました。

 

 

話はそれますが、「懴悔」という塩沼住職のヒントから自分がどうして正しいものの見方・考え方をしたくなったのか

 

改めて頭を整理することまでできてしまいましたびっくり嬉しい爆  笑

 

 

以前、聖書からヒントを頂いたときに

https://ameblo.jp/19682/entry-12630343967.html

 

 

 

「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。」

 

 

という聖書の言葉がありました。このお言葉は「懴悔」と同じことを意味しているなとも思いました。

 

 

きっと「懴悔」の心を知ることは、全人類共通に大切なことなのでしょうね。

 

 

やっと「心」が少しですが持てるようになりました。

 

言葉に関しては、只今、言葉遣いを改めることに奮闘中アセアセです。

 

行動はし過ぎるので控えなければと自制中あせる

 

 

私から他の人へ真実を伝えることができるようになるのはまだまだ先ですが、

 

いつかそうなれたら、さらに幸せな気持ちで生きられそうな気がします。

 

 

明るい未来を妄想しながら、今日も邁進したいと思います真顔

 

 

ドキドキ最後までお付き合いくださりありがとうございましたドキドキ