今さらこの前の日曜日のことなんですが。
自転車で西荻窪へ。
ちょうど2時間。
なぜかというと、ここに行ってみたかったから。

鈴木歩己のサブテキスト

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どうしてここに来たかったかと言うと、この看板に書いてあります。
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このだだっ広い公園、昔は中島飛行機の工場だったところ。
証拠。
iPhoneのアプリ『東京時層地図』より。
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青い点が、この時僕が居たところ。
でもって、この地図は大正時代の地図。

時が流れて…。
同じく『東京時層地図』より、昭和30年代の地図。
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富士精密工業は、のちにプリンス自動車工業に。
そしてプリンスは、さらに後で日産と合併。

記念碑がね、あると聞いたのですよ。
そこで公園をぐるぐるぐるぐる回ってみたけど、それらしいものは何もない…。
そこで、いったん青梅街道に戻って公園じゃないところをぐるぐる。
お、日産の販売店がある、と思って近づいたら…。

あったあった!!!!!
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『中島飛行機発祥の地』の石碑。
中島って言えば大戦中の「隼」や「銀河」、「彩雲」とかを作ってた当時の世界的航空機メーカー。
中島で製造されてた『栄』エンジンはゼロ戦のエンジンでもあります。

そしてこの石碑のちょうど裏側にあったのが、これ。
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『ロケット発祥之地』の石碑。

中島飛行機から富士精密工業に社名変更して東大の生産技術研究所の指導のもと作ったのがペンシルロケット。
と言う訳で、この石碑をじっくり覗いてみると…。
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うっすらと見えます、ペンシルロケット。
実はこの前日にも、豊洲のIHIものづくり館でペンシルロケットを見てきたばかり。(館内撮影不可だったので写真はないです)

なんだか、ペンシルDayな先週の週末でしたよ。

(注)ロケット発祥の石碑は入口が2か所あるんですけどね、どちらも鎖でゆる~く閉鎖されてます。
でも、閉鎖されてますからね、ちゃんと日産のお兄さんに許可を得てから入るようにしましょうね。
大丈夫、ちゃんと言えば優しく許可を貰えますよ。