No.0362
(酬恩庵一休寺)

今日のテーマは


『道路しか無い町!』


今の日本は、少子高齢化が進み、地方都会に関わらず、人口減少に歯止めがかからない状況です。‪( ⌯ ·̫ ⌯ก )


今日はそうではなくて、現在、元々人が住んでなくて、道路しか無い町がありますので紹介したいと思います。( ᴖ ·̫ ᴖ )

仕事柄よく行くところなんです。٩(=∀=)ว)))



上の地図をご覧ください。

京都市中央区桑原町(赤のマーキング)です。


南側に京都地方裁判所簡易裁判所がありますよね。


実はこの町は住民がひとりもいない「町」なんです💦。

それどころか、その「町」には建物もなく、道路しかありませんΣ(゚д゚;)。

その区域は京都御所(地図の上部です)と京都地方裁判所に挟まれた数十mの長さの車道(丸太町通)と歩道の一部で、町の名前は

「桑原町(くわばらちょう)」と言います。


どうして京都にこのような町ができたのか調べてみますと


平安京の時代、京都の道幅は現在よりずっと広かったのです。

たとえば、京都御所の近くを南北に走る「千本通」は、平安の頃には道幅が85mもあったそうです(現在の千本通は幅約25m)。


当時の京都にはクルマがたくさん走るようなニーズがありませんので、やがてそれらの道にも家や田畑などが広がり、道幅が狭くなっていきました。
 

ところが、道幅が狭くなりすぎると事故も起きやすくなり危険です。

特に、明治以降はモータリゼーションが進み、道幅を広げる動きが強まっていきました。


最も大きなインパクトが太平洋戦争期に行われた「建物疎開」で、空襲による火災の延焼を防ぐために建物の取り壊しや道路の拡幅が急速に進み、かつて町並みがあった場所にも道路が通されていきました。


京都の「町」の名前と位置は近代以前からほぼ変わりません。

「桑原町」の場合も、かつてそういう名前の町がそこにあったが、同じような歴史的経緯をたどった末に全域が道路になり、町の名前だけがその場所に残った可能性が考えられます。 


ちなみに、災いを避けるまじない「くわばらくわばら」の語源が、この「桑原町」ではないかという説があります。( ˶˙º˙˶ )ホォ〜


それによるとその昔、菅原道真の怨霊が雷を落として京都を脅かした際、かつて道真の領地だった桑原の地には雷が落ちなかったことに始まるとか……。



逆の発想でいくと、丸太町通の一部が町になってるということです(笑)

結構謎の多い地名(場所)ですね(*^^*)


ではまた次のブログでお会いします🐝))