彼からのメール。食事の誘いだった。

お互い初任給を貰ったばかりだ。

就職して初めて給料を貰ったら、

今まで入れなかったような店に行ってみようと良く話していた。

きっとそれが今日なのだろう。


大学の頃からの彼とはもうすぐ2年になる。

デスクの下で「了解」と手短に返事をうち、仕事に就いた。


仕事中、ふと息を抜くとあの人を目で追う自分に気付く。

あまり見ていては・・・と思い、あえて視線を逸らしてしまう。

意識的に。

それでも正面でなく私の視界の片隅にあの人は映っている。

正面の事柄と視界の片隅に神経を集中させるのも楽ではない。

営業に行く前にのあの人に書類を渡し、

「よろしくお願いします。いってらっしゃい。」と小さく声をかけた。


「何食べたい?」そんなメールが彼から届いた。

暫く考えていると、あの人が少し早めに帰社してきた。

書類を差し出し、2,3訂正をして欲しいと頼まれる。

少しだけ汗の臭いがした。

氷を浮かべてお茶を出した後、パソコンに向かう。

「コッチで決めててもいい?」2通目のメールに返信しようと

親指を動かして固まる。

「ごめんね。ちょっと急ぎたい。」

お茶を飲みながら、あの人が真横に立っていた。

「すみません」という言葉はかすれて届かなかったかもしれない。

慌てて書類を仕上げると、

「ありがとう、ごめんね」と言いながらグラスを渡された。

退社する直前に彼への返信をした。

忙しかったからごめんねと付け加えて。


彼が選んでくれていたのは女の子が喜びそうな

洒落たフレンチレストランだった。

お互い始めたばかりの仕事の事や、次の休みの事、

いろんな話をしたと思うのにあまり覚えてない。

怒られたワケではないが、仕事中にやっていい事ではなかった

勿論、それを気にするような自分ではないが、

よりによって・・・・・・と。

かすかな汗の臭いと氷の音がぐるぐると過ぎった。

気付けば視界に入る事が多くなっていた。

自然と目で追ってしまったという方が正しいのかもしれない。

どんなに大勢の中に紛れていたとしても見つける事は容易かった。

ただ、その目線の中に入ろうとは思わなかった。

ふと見る程度、それで良かったのだろうと思う。

その頃は。



何を好んで、何が嫌いで・・・そんな事はどうでも良い。

不必要に話したいとも思わなかった。

向こうで聞こえてくる声。それで十分だったのだ。



考えている時、たまに顎に持っていかれる手。口角を掻くように動く人差し指。

誰かが話しかけると、煙草を消す事。

電話の前には必ず咳払いをする事。

コーヒーはブラック。何故か食後だけ少しのミルク。



そしていつも、お弁当だった。



細くてゴツゴツした長い指。

ふと顔を上げた時、眺めの前髪から覗く冷たい目。

低くて穏やかな声を心地良いと思った。


どちらかと言えばマイペースであまり目立った行動はしないタイプだろう。

集中とは違う、内容でなく、その声が脳に焼きつく気がした。

何度か目があった。逸らさず見てたら、そのうち目が合わなくなった。


帰りにすれ違う。

小さく頭を下げたら、同じように返された。


聞いたはずの名前は覚えていない。今思い出そうとしても顔が思い出せない。

つい数時間前にあった筈なのに。



初日。いくつかの講義を受けた。
緊張して殆ど頭に入らなかった。