葡萄を足で踏み潰し、家の中に入って、2階に上がり、鏡台の引き出しに入れている、妻の欄はすでに記入している離婚届用紙を持って1階に降りてきた。
ソファーに座っていた、いのぶに、叩きつけずに静かにリビングテーブルの上に置くと、いのぶはチラッ
と、離婚届用紙を見た。
そして、アタシは今日のこと(とよと喧嘩した事)を日記に書くために
和室に入って行った。
テーマから、話が逸れるが、
結婚後、初めて離婚を考えたのは、長女が小学校低学年の頃。
その頃は、退院後で仕事を長期休業していた。
「家に1日中、居るのにまともに掃除もでけへんの?」「丸く掃除をしてるやん」ナド、など、等、いのぶから言われていた。
ホラ、よく、ドラマで着物を来た姑が障子
の桟(さん)に指を置いて、すっーとひいて、「あんさん、掃除しはりましたんか?埃がたまってますえ」って、嫁に嫌みを言うような場面と同じ様に、いのぶに言われてるようで、それがすごーーーく、ストレッサーになり、また、義家にはパッパパッパお金をだしていたくせに、アタシには、「(生活費)お金の使いすぎ、何にそんなん使っとん」と、無駄使いをしているかの様にも言われていたし、いのぶとの生活がしんどくなっていた。
それに、義家から義弟んちと差別をされたりしていたので、現実から逃避したくなり、離婚に向けての公的な支援等を調べはじめ、離婚に進む!と、決めて、妻の欄は記入していた離婚用紙を、離婚したい理由、掃除のこと、生活費のことを伝え、いのぶに突きつけた。
いのぶは驚き、アタシに毎日、「掃除は、休みの日に自分がするから、離婚を思い直してほしい」と、侘びを入れてきたが、アタシは受け入れられなかった。
その状態が半月くらい続いた頃、長女・次女の数日間の休みがあり、初めて母娘3人で実家に帰省した。
いつもは、自動車で帰省していたので、誰にも会うことがなかったが、この日は、バス停
から、実家まで歩いて帰って行った。
実家までの道のり、顔見知りのおばさんたちが、「うさちゃん、旦那さんは良か人げなね、お母さんがいつも、『うさの旦那は、良か人ばい、アタキ(私)にも、よく、しちゃんしゃーとたい』ゆうて褒めよんしゃあとよ」旨の事を何人ものおばさんから声をかけられた。
確かに、母ちゃんも、「いのぶさんは、とーちゃんと、ちごうて(違う)良か人たい」と言っていた。
アタシ、この時にね、母ちゃんが生きている間は離婚はできんたい!苦労していた母ちゃんが悲しむことはしたらいかんたいね!と、なんか、漠然と思った。
初めていのぶへ離婚を切り出した回想記になったが、今回は、母ちゃんが居ないから、母親への気遣いはしなくてもいい!
アタシが日記を書いている和室に、いのぶが入ってきた。
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いのぶは、この時の約束どおりに、アタシがする掃除には、文句を言いません。
休日には、頭にタオルでハチマキを巻いて繊細に掃除をしています。 σ(^_^;)
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