23年ぶりに味わった恐怖

僅か8秒だったという

食器棚の半分は粉々に
2階の主人の部屋は
足の踏み場もなく
一番被害が大きかった

その時
家族全員が家に居たこと
怪我もなかったこと
これは何より救いだった


あの震災でお腹にいた長男と
まだ生まれていなかった次男が
水や災害に関する買い物の手配を分担してやってくれた

あの日
私は長男を守ることしか考えていなかった


それが。。
今は二人の息子に守られている

まだ油断はできない状況だけれど
どんなことがあろうと乗り切ろう

乗り切らなければ

25年前、私は今の家に嫁いできた
別居希望だったが
最初から同居の方が
しきたり等覚えられるから良い、という舅の意見で
私はしぶしぶ同居に踏み切った
思えば今に至る全ての始まりだったのだ

舅は所謂アルコール依存症その酒癖は極悪
毎晩飲み屋を梯子をして泥酔して帰り
姑と大喧嘩になる
二階で寝ている私達は
その声で起こされる
こんな生活が日常茶飯事だった
それがどれ程苦痛を強いられる生活か
その上に舅は女がいた
水商売上がり
後に癌で闘病することになる姑はそれを知っていた
闘病の妻がいながら女に会いに行く

私は当時一歳半の長男、お腹には次男がいた
夜には床擦れの始末
もう思い出したくもない日々
嫁がやるのが当たり前
義姉にはそう言われた

亡くなる当日まで自宅介護亡くなった時、正直やっと解放される、と思った
その時次男は3ヶ月
葬儀は自宅
49日までの7日ごとには親戚が参りにくるので
子供らを早めに風呂に入れ読経の最中に寝かしつけた
100か日の形見分けでは
又親戚が集まる
それから一周忌三回忌、子供らはまだ小さかったし
自宅での法事は大変どころではなかった
そんな間にも
舅の酒乱ぶりは増すばかりで
それまで姑に向いていた暴言は私に変わった
旦那が庇ってくれることはなかったし
義姉などは、飲んでしか言えないんや、と肯定
この人は舅が何をしても言っても肯定
旦那は義姉の言うことに従う。今も変わらない

長男が高校受験の年の1月女を籍に入れていることが発覚。
月々お金も渡していた
親戚会議となりどうしても籍は抜かないと動じない舅に
母屋の旦那の従兄弟が
抜かないなら、貸している借家と鶏小屋にしている土地を今すぐ更地にして返せと条件をつけた
借家は家屋はうちのものだが、土地は母屋名義
土地を持つ者は強い

そこに私が拍車をかけた
籍が入っていても事実婚の証拠がなければ
遺族年金を受けとる権利はない、とネットで調べた知識を言った
遺族年金を受けとる為に入籍。さすが水商売上がりは楽をして金を入手する方法を考える
舅はオロオロしていた
そこまで調べもせず、簡単に籍を入れる舅を心底軽蔑した瞬間である

結局籍は抜いたが
公正証書で年金支給日に20万の振り込みを生活援助として5年間送金の約束をさせられていたことが発覚

もう書ききれない
夫婦仲も旦那と息子らの親子関係も
家族の団欒も何もかもをぶち壊して
最後まで、ありがとう、もすまんかったの言葉も言わず、認知になり逃げきった
結局、旦那は一度も私達を守ってくれなかった
義姉は一度も酒乱の舅を世話してきたことに、ありがとう、も申し訳ない、も言うことはなかった
寧ろ、何もかもがバカらしくなって舅のことにノータッチでいる私を責める
旦那に私の批判を言っているのを私は知っている

嫁がやるのが当たり前
だから感謝もない
それどころか今の私の批判自分も同居で、
息子は二人とも定職についていない
そのストレスを上乗せして私に向けてきている

今、旦那と長男は一月近く話していない
原因は旦那にある
次男とは4年話していない時期があった
苦しい4年だった

旦那はいつも
私や息子らを置き去りにしてきた
ずっと嫌なことには目を背け逃げてきた
私はいつのまにか舅のことも旦那に言わなくなった
何を言っても受け入れられることがない年月が、私にそうさせた

舅が今死んでも
私達四人は修復できるのか私には自信がない


最近、姿月あさとに
今さらハマってまって
現役時代の彼女の動画を検索しては見ている

宝塚。
初観劇から44年
ブランクの方が遥かに長いのに
夢中になっていた頃のことを私の内の引き出しを開けると
次から次へと飛び出してくる不思議

寝ても覚めても宝塚
おとめで生徒の愛称、初舞台を調べ
歌劇やグラフを毎月購入し
友の会にも入会
花の道で脚本やブロマイドを買った

もう30年も昔のことになるが
安輝ひさと、さんという雪組の男役さんのダンスに魅せられた
幸運なことにその方の私設ファンクラブの幹部の人と懇意になり
楽屋出をご一緒させてもらい、劇団近くのカフェで
3度ほどお茶させて貰った
美しい品のある生徒さんだった
初舞台当時は麻実れいさんに似ていると言われていたと。

ベルサイユのバラは
S席の2列目センターの席を取って頂いた
杜、一路の雪組ベルバラ
チケット入手困難な際に私はとてもラッキーだった

残念なことに安輝ひさとさん。。サカコさんはその公演を最後に退団された
が、その後しばらくして結婚され
私もその後結婚。
何度か年賀状のやりとりをさせて頂いた
サカコさんは男の子を出産され
私もその後長男を。

私は主人の親との同居生活で、しかも子育てもあり
サカコさんへの年賀状も送らなくなった
その後もサカコさんから2度ほど年賀状を頂いたが
私の状況は精神的に余裕がなく
時が流れ。。

年賀状には息子さんと愛犬のハスキー犬の写真付きで毎年送られてきた
それは今も、私の手元にある。
ハンサムな息子さんは
今は25歳。。
時の流れを感じる

父を亡くした翌年に出会えたサカコさん
素晴らしいタカラジェンヌ

お元気で幸せに過ごしておられることを願っています
ありがとうございました