休暇を頂き「母校」の初戦敗退を見届けて来た。
今年もなんとか「単独チーム」で出場(笑)。
毎年「部の存続」を確認しに行くようなものだ。
昭和40年代までは「公立の強豪」だった。
だがボクが入学する50年代からは
女子生徒が増えて校風が変わってしまった。
この低迷の40年間・・・
栄えた年代が二度だけあった。
ひとつは、野球部監督の先生が「転勤」して来たとき。
もうひとつは、ボクらが部を作り変えてからの5年間だ。
この5年間は普通の公立レベルを保てた。
5年後のチームは「強豪と対等」に戦えた。しかし・・・
練習レベルを上げると下級生は逃げ出し「低迷」に逆戻り。
母校は40年間「ぬるま湯」の底辺校。
その「校風」に逆らった強固な部にするには
経験豊富な先生監督が、永年就任してもらうしかない(教訓)。
今年もまた急増チームで参加した。
「5回で終わる・・・」
そう思いきや、5回で0-2と善戦。
意外にも「8回」まで延命。
やっとの思いで、参加に辿り着いた部活動。
この戦いぶりを「辛口」で批評する必要などありません。
試合が終わり、スタンド下でミーティング。
新任の若い「先生監督」は、善戦に声を弾ませてた。
秋の大会が終わると、また「退部者」が出て。
来春の新1年生を勧誘して、夏に間に合わせる。
どうせまた同じことが・・・この先も繰り返されるのだ。
「ぼちぼち帰ろか」と球場駐車場に向かうと
偶然その先生監督と鉢合わせした。
面識もないのに思わず「お疲れ様でした」と切り出した。
「野球部OB」と名乗りもせずに
ボクは「情熱」に任せて話しかけてしまう。
青年監督は足を止めて、笑顔で応対されました。
「部員不足は、ボクらのときと全く同じ状況です。
野球よりもまず部活に勝利してください。
主将を中心に盛り上げて、1年生いっぱい入れましょう」と。
まずは「一般生徒に支持される部活」に。
まずは「マネジメント優先」と伝えたかったのです。
この気持ちは(昭和52年の夏)
ボクが新チーム主将になった時とまったく同じ・・・。
ケツバットも、シゴキもパシリも失くした。
グラウンド整備も、下級生と一緒にやった。
・・・昔を思い出し、異様に熱くなった一日でした。