片足のエース(1971年大映)

  

昔みた映画「片足のエース」の解説が、ネットにあります。

当時11歳のボクは、この映画に惚れ込み、3回みました。

 

いま自分が「介護の仕事」をしていることもあり

この映画をぜひもう一度、見てみたいと思うのです。

 

ネットの映画解説をもとに、ボクの「小5の記憶」で書きます。

 

小児マヒに右足を侵されながら、1966年の第48回大会。

福岡県予選で活躍した博多高校・島石正美投手をモデルに映画化。

「片足のエース」として話題を集めた。

 

主人公の大島。

オープニングは「甲子園大会の開会式」。

そこに大島がゲストとして招かれインタビュー。

 

「絶叫調のアナ」にとまどい、引きっぱなしの大島(笑)。

本物の実話であることの演出。

そこから回想するつくりです。

 

右足「かかと」が地に着かず、症状は悪化する。

プレートを踏む右足だから、

左足をあげたときのバランスが難しくなる。

当然、疲れやすくもなる。

 

 

 

 当時の高校野球の厳しさが、随所に描かれる。

新入部員の紹介シーンに、先輩らの容赦ないヤジが飛ぶ。

砂ぼこり舞い、怒声が飛び交う練習風景。

 

けっして「大島の特別扱い」を許さない昔気質の監督さん。

夏が終わり、三年生がすすり泣くシーンを、大島は二度経験する。

 

三年の夏。「片足のエース」と各新聞は称賛。

久留米商業を破り、地区代表決定戦に勝ち進む。

 

身体不自由の施設の子らが、スタンドで懸命に声援をおくる。

「がんばれがんばれ大島!がんばれがんばれ大島!」

 

しかし連投に次ぐ連投。

前日の延長12回の疲れは決定的。

前年度・全国制覇のエース健在の三池工業に敗れる。

 

 

 

ベンチ裏の控室で、大島は監督に頭を下げた。

監督に背を向けて歩いてゆく姿。

その足を引きずる姿をみて、監督がつぶやいた。

「大島は・・・こんなに足が悪かったのか」と。

 

これまで特別扱いせずに、罵声を浴びせてきた監督なだけに

この最後のシーンだけは、大人になった今でも考えさせられます。

 

 

 

映画には、こんな場面もあった。

大島が、身体不自由児の施設を訪れたときのことだ。

 

身体不自由な子が、誰の手も借りずに懸命に着替えをしていた。

大島は、その子から離れて、黙って更衣を見守った。

衣服の袖を、やっと自力で通せて、更衣が完了した。

大島は「今の自分を投影」したのか。

感極まる笑顔でうなずくのがアップされる。

 

本作は「文部省青少年映画賞最優秀賞」を受賞。

 

ボクの通った神津小学校でも鑑賞会があった。

この名作はDVD化すれば、需要が高いと思う。

 

それがない理由は多分・・・

作品の中で「現在では使えない用語」があるのかな。

 

それと、モデルになった実在の方が、ひょっとして

「片足」と呼ばれるのを、嫌ったのかも知れません。

 

ドラマ化を信じて待ちたいものです。