40年前に読んだ本の記憶です。
時代は戦前、1930年代の後半。
徳島商・稲原幸雄監督は「糖尿病」にかかった。
当時の徳商野球部は、スパルタの最高峰。
酷使したカラダに「糖尿の食事制限」の日々。
稲原さんはヤケクソになり、ヨメに
「全部の野菜を鍋にぶち込んでくれ」と頼んだ。
味つけ調味料のない「無味の野菜鍋」を食べた。
食べながら、稲原さん。
ぽろぽろと涙がこぼれた。
「個々の野菜は、こんな味がしてたのか・・・」
人参にはニンジンの。白菜にはハクサイの。
野菜本来の味が身に染みたという。
スパルタ指導の稲原監督は
「ひょっとして自分は、個々の選手を
自分の好む調味料で味付けしてたのかもしれん」と。
そう悟った監督は、
個々の個性に合わせた指導を心掛けたという。
あの「池田・蔦文也」さんは、稲原監督の門下生・・・。
当時、蔦選手は「肝心の場面」に弱く、甲子園を逃した。
黙って実家の池田町に逃げ帰るが、稲原監督は呼び戻す。
「蔦よ。ワシは優勝旗なんかいらんのじゃ」
「それより、おまえの性格が直るほうが嬉しい」
「性格が人間の運命を決める」と。
これに奮起した蔦選手は、エースで春夏連続甲子園に出場。
稲原監督の「味のない野菜の水炊き」がなかったら
今日の「名将・蔦文也」もなかったかもしれません。
この逸話は
のちに「野菜は野球に」なって
「野球の水炊き」といわれた。
ネットにもないので、ここに書き残しました。
時代は戦前、1930年代の後半。
徳島商・稲原幸雄監督は「糖尿病」にかかった。
当時の徳商野球部は、スパルタの最高峰。
酷使したカラダに「糖尿の食事制限」の日々。
稲原さんはヤケクソになり、ヨメに
「全部の野菜を鍋にぶち込んでくれ」と頼んだ。
味つけ調味料のない「無味の野菜鍋」を食べた。
食べながら、稲原さん。
ぽろぽろと涙がこぼれた。
「個々の野菜は、こんな味がしてたのか・・・」
人参にはニンジンの。白菜にはハクサイの。
野菜本来の味が身に染みたという。
スパルタ指導の稲原監督は
「ひょっとして自分は、個々の選手を
自分の好む調味料で味付けしてたのかもしれん」と。
そう悟った監督は、
個々の個性に合わせた指導を心掛けたという。
あの「池田・蔦文也」さんは、稲原監督の門下生・・・。
当時、蔦選手は「肝心の場面」に弱く、甲子園を逃した。
黙って実家の池田町に逃げ帰るが、稲原監督は呼び戻す。
「蔦よ。ワシは優勝旗なんかいらんのじゃ」
「それより、おまえの性格が直るほうが嬉しい」
「性格が人間の運命を決める」と。
これに奮起した蔦選手は、エースで春夏連続甲子園に出場。
稲原監督の「味のない野菜の水炊き」がなかったら
今日の「名将・蔦文也」もなかったかもしれません。
この逸話は
のちに「野菜は野球に」なって
「野球の水炊き」といわれた。
ネットにもないので、ここに書き残しました。