「先輩たちのたたかい」

「先輩たちのたたかい」

東部労組大久保製壜支部出身。
ブログでは主に戦前の先輩労働者のたたかいから学んでいます。


沖電気三工場827名一ヶ月間の大ストライキ
1929年の労働争議(読書メモ)

写真・沖電気会社「罷業に関する声明」1929.7.4
参照・協調会史料

ビラ争議ニユース第一号
組合員諸君!!
 銘記せよ!!
 七月一日我々は敢然起ってストライキに移ったのだ。
 諸君すでにご承知の通り、会社側は我々の最も正当なる温和的なる嘆願を一顧も与えず突き返したのが二十七日だ。我々は第二段の方法として従業員大会の決議に基づき二十九日に要求書を提出したのだ。然るに七月一日正午の回答ありしを無視して今日四時迄の延期を申超した。これは明らかに会社が一つのペテンを用い我々の離間策を講じようとしたのである。明らかに会社には誠意が全然最初よりないのである。最早我々にはかかる誠意なきものを相手にしてはいられない。七月一日正午の従業員の決議に基づき一斉に隊伍を整え引き揚げたのだ。その後の経過は諸君ご承知の通りだ。実に我々は和気に満ちて一糸乱れず一つの統制の元に模範的なストライキを続けつつあるのだ。問題は将来に残されている。我々はあくまで現在の統制振りを継続し、あくまで温和的にしかも心の底に熱と意気を蔵して最後の勝利を獲得しようではないか。
 我々は決して事を好んで争議を起したのではない。もし我々が尚だまっておったなら諸君お互いは餓死せねばならぬ。だから今となってはこれ以上言うまい。争議はあくまで避くべきものである。だが事ここに至っては仕方がない。我々は一度起った以上はあくまで戦わねばならぬ。そして勝たねばならぬ。そうだ必ず勝つ。勝つ為には諸君!  団結の手をゆるめるな❢ 固くかたく抱きあって一弾となり会社にぶつかるのだ。結束を固めること!! これが最後に我々の頭上の桂冠を得る唯一無二の途だ。
 戦う!!  最後まで 而して勝つ!❢ 負けたらどうなる 諸君!!  乱暴してはならぬ 世間の人はあくまでも我々の味方だ。皆人々は知っている。我々の今回の要求が如何に正しいかを!!  最後まで健実に、しかも燃ゆる火の如き心をもって、上すべりせずに本当の力をもって戦うのだ。諸君自重せよ!! 而して季節柄身体に注意して而もあらゆるものを投げ打って毎日本部に集まるのだ。諸君欠勤するな 
沖電気争議団


争議団市民向けビラ
熱愛する市民諸君へ訴ふ
・・・今回私達は廿四ヶ条の嘆願を提出致しました。それは請負単価の値下反対、臨時工を本雇いにする事等一歩も私達は前進するのではなく、底知れぬ私達の生活をたえず脅かす値下を防止しようとする人間味の発露であります。かゝる当然すぎるほど当然な嘆願に対し会社は一考だに与えず一蹴した不誠意には何人も恐愕せざるを得ません。・・・
 私達は会社の当事者に対しましてモウ少し私達を人間としての取り扱いをして下さい、私達の生活の保障をして下さい、私達には親も有れば子も有るのですから、・・10年も・・廿年も使って居るのですから、その家族が食べるのを保障して下さい。又働かせるならば気持ちよく元気よく働かせて下さいと嘆願し要求したのであります。この切ない叫びにどこに無理が有りますか、私達の要求が無理か会社当事者の無情横暴が当然か諸君のご判断を乞う次第であります。・・・
七月七日
沖電気株式会社争議団
(田町・大崎・芝浦)三工場職工一同


会社 沖電気株式会社 田町本社工場、芝浦分工場、大崎分工場
場所  東京芝区田町、月見町、大崎町
労働者   田町本社工場(男391、女56)
              芝浦分工場(男92、女34)
              大崎分工場(男124、女130)
争議参加者数 827名
組合 関東金属労働組合沖三工場(田町・芝浦・大崎)分会 全労働者中約400名が加盟

 

 1929年6月20日関東金属労働組合沖三工場(田町・芝浦・大崎)分会は、各職場から挙げられた要求64ヶ条のうち24ヶ条を嘆願書として会社に提出した。会社は一蹴してきた。6月28日午後6時より三工場臨時従業員合同大会を約500名(うち女性50名)参加で開催し、29日、あらためて20カ条を要求して、7月1日正午までに回答するよう求めた。
要求
一、請負単価の値下反対
一、横暴な管理職押田技師長の排斥
一、臨時工の本採用
一、少年工の賃金値上
一、四大節及び公休日(12月30日~1月3日迄)に日給支給
一、定休日出勤に対しては代休を与える
一、残業には割増賃金の支給
一、工場設備の改善
一、「工場委員制」の設置
一、賞与は社員と差別なく支給せよ
その他
 

(緊急幹事会)
 6月29日正午、組合幹部31名は極秘裏に田町本社地下室において緊急幹事会を開催し、会社が組合の要求を拒絶してきた場合に備えて、争議団の組織体制を決め、全従業員から賞与の半額を争議費用として集めること、また、7月1日会社が拒絶した時は、三工場から労働者全員が一斉に引き揚げることを決定した。
組織体制決定事項
一、争議団本部設置
一、争議団約員選出
団長1名
副団長2名
情報部長(部員10名)
応援係長(部員5名)
警備隊長(部員30名)
人事隊長(部員5名)
訪問隊長(部員10名)
会計係
宣伝部長(部員10名)
食料係(部員3名)
婦人部長(部員10名)
会場係(部員10名)
書記長1名
 

(三工場ストライキ決行)
 7月1日午後、田町、芝浦両工場は労働者全員、大崎工場は81名がストライキを決行した。争議参加者は三工場全体で827名に及んでいる。田町、芝浦工場では7月1日朝からすでにサボタージュ闘争状態であった。各工場ごとに従業員大会が開催され、満場一致でストライキ決行が決議され、田町、芝浦工場は全員直ちに争議団本部(芝浦南浜町芝浦会館)に集合した。大崎工場は大崎桐ケ谷の大崎倶楽部に争議団本部を設定した。
 

(会社「争議を煽動した不良分子だ」と89名を解雇)
 会社は争議団の切り崩しをはじめた。争議団本部としていた芝浦会館が会社の圧力により争議団への貸し出しを断ってきた。総同盟が本部建物を快く争議団本部として提供してくれたためここを争議団本部とした。7月4日、会社は労働者の要求に回答をするどころか逆に組合幹部ら89名もの解雇を通知してきた。争議を煽動した不良分子だからという理由だ。一方で会社は協調会を間に立てて組合と交渉をしようとしてきたが、組合側は協調会を信頼していなかった。
 争議は持久戦に入った。一ヶ月以上にわたる沖電気大争議が始まった。争議団は行商隊を作り、全市内に散って物販を販売しながら市民や労働者に争議真相の宣伝につとめた。市民や労働者は大きな同情を寄せてくれた。
 

(スト破り)
 7月1日、会社は、田町工場33名、芝浦工場29名のスト破りによって生産を継続した。
 

(第二組合、御用組合結成の策謀)
 会社は分会幹部の一人、高岡某を利用し第二組合を結成して関東金属労働組合から脱退させようと策謀し、その機会を窺っていた。高岡某のこの裏切り行為の発覚で争議団本部は、警備隊員に以下緊急指令を出した。
緊急指令
一、「ロックアウト」時の組合員の自衛。(労働者は工場を)一人残さず引き揚げ、警備隊は工場内を一周してから引き揚げること
一、裏切り者の氏名と数の調査と尾行の開始
一、スト破り(スキャップ)との闘いの準備
一、警察の動向注意
一、生産再開の開始に注意
 

(会社の恫喝)
   会社は89名の争議団幹部の解雇に続き、以下の声明書で組合員を恫喝してきた。
「出勤勧告御通知 当社従業員にして今回の争議に関し、罷業権を続け去る向きは職工就業規則に依り処分せらるることあるべきに付き、速やかに出勤の上作業に従事せらるべし」(労秘第1225号 警視総監丸山鶴吉)
 ただちに総同盟本部に集結した本社工場争議団450名と大崎クラブに立て籠もった120名は一層結束を固めた。
 

(争議団慰安会)
 争議団は慰安会を開催し大いに盛り上がった。組合員によるバイオリン演奏、浪花節、落語、安来節などであった。7月16日「市民諸君に訴ふ」の暴露ビラを市中にみなで配布した。
 

(カンパ)
金20円及醤油樽一  無名氏
金二円五銭      ナップ有志
金五円八五銭    日本交通労働組合
金二円       自動車従業員組合
などが寄せられている。
 

(京浜一帯の呼応 全協・関東金属労働組合からの激励ビラ)
 再び沖の争議団諸君に檄す
 勇敢なる闘争を続けつつある争議団諸君!
 ひとたび諸君が決然と起って堂々ストライキを決行するや「まさか」とタカをくくっていた会社側はあわてふためいて、にわかに争議のブッコワシに取り掛かった。
 争議団本部の追立て、外部の応援団との連結を断って諸君を孤立無援の状態におとしいれんとする官犬の圧迫、これらすべての背後に官犬とケッタクして争議をブチこわそうとする搾取階級の手先共の策動を見よ!
 しかもこれに飽き足らず、奴らは諸君の結束が奴らの策動に依ってミジンも動かない事を見てとるや、四日付けで幹部以下九十名の解雇を発表したではないか?
 争議団諸君!
 諸君の奮起と同時に、我が関東金属は全国の左翼組合に檄を飛ばして応援を求めると共に、京浜一帯に亘る各工場の兄弟に諸君の決起を報せ、即時応援の猛運動を開始されんことを求めた。
 見よ、その反響はすでに京浜地方の各工場に現れつつあるではないか? 浅野ドックは敢然と起って争議に入り、横浜ドックも再起を計画しつつある。その他東洋電機、浦賀ドックにも動揺が起こりつつある。今や京浜一帯は諸君の決起と共に渦巻きかえすストライキの波に覆われんとしている。
 親愛なる争議団諸君!
 諸君の背後には我が関東金属ならびに全左翼労働組合と全国の労働者が控えている。皆一斉に諸君を勝たせる為に猛運動を開始したぞ!!
 飽くまで勇敢に戦え!! そして最後の勝利を得るまで断じて一歩も退くな!!
 一人の解雇を断じて許すな!! 
 要求を貫徹するまであくまで戦え!!
   七月六日
   日本労働組合協議会
 関東金属労働組合

 

(関東金属労働組合・関東地方協議会主催の沖会社糾弾演説会)
 関東金属労働組合をはじめ京浜地域一帯の全協系の労働組合は一斉に応援声明で沖電気争議団の決起に呼応した。しかし、沖電気争議団本部は全協系の支援を表向きには断った。7月13日には関東金属労働組合・関東地方協議会主催の沖会社糾弾演説会開催が計画されたが、沖争議団本部は弁士を送ることも争議団員が聴衆として参加することもしないと申し合わせた。
 7月26日関東金属労働組合・関東地方協議会主催の沖会社糾弾演説会を開催した。わずか数分で臨監警察官から「集会解散命令」がでた。しかし、この演説会には争議団員多数が出席していた。
 

(会社極秘に協調会に調停を依頼)
 会社は争議団の要求を拒絶しつづける一方で極秘に協調会理事添田敬一郎に調停を依頼した。添田理事は高田争議団団長らを招き「二万円ぐらいで解決してくれ」と争議を止めろと要求したため、争議団は断然と拒絶し物別れとなった。
 会社は再び出勤勧告状をだし、第二次解雇を断行すると争議団員を脅しにかかった。

(「争議解決勝利祈願」市中大デモンストレーション)
 7月27日、御田八幡神社に、全争議団員が三々五々集結し、「争議解決勝利祈願」と称した示威行動、約500名の市内大デモンストレーションを大成功裡に敢行した。市民もこぞってデモに声援を送った。
 

(行商隊)
 6班に分けた行商隊が東京中に散り、争議支援を求めた物販行商を行った。東京市民は大いに同情し、沖争議支援の応援の声をあげ協力した。
行商大将 太田光太郎
第一班 芝・麻布・赤坂
第二班 四谷・牛込・小石川・本郷・豊多摩
第三班 下谷・浅草・日本橋・北豊島
第四班 本所・深川
第五班 京橋・亀戸方面
第六班 荏原方面
 

(争議団主催の真相発表演説会)
 7月29日、争議団は約400名で争議真相発表演説会を開催した。弁士は、争議団7名、総同盟本部1名、関東金属労働組合1名がそれぞれ会社の不誠意、横暴を糾弾した。7月31日午後7時30分には大崎クラブにて争議真相報告演説会を聴衆約270名で開催した。大崎工場付近の住民の参加が多かった。
 

(総同盟本部に支援要請)
 争議団は、30日正式に総同盟本部に応援を要請した。
 

(日本電気労働者有志から多額なカンパ)
 7月31日日本電気株式会社従業員有志より金247円87銭ものカンパがあった。
 

(8月1日段階のスト破り数)
大崎工場  114名
田町工場  39名
芝浦工場  27名
 一ヶ月たってもスト破りはほとんど増えていない!
 

(解決)
 急転直下争議は解決した。8月4日より丸の内電気クラブにおいて労使交渉が開始され、8月5日、4回目の交渉により労資は以下の合意に達した。
解決内容
一、工場設備の改善
一、請負単価について労資合意のうえ決める
一、臨時工は6ヶ月以内とし、それ以降は本雇用とする
一、管理職は職工との疎通に努力する
一、公休出勤時の代休の支給
一、残業など割増賃金の支給
一、被解雇者89名に解雇手当金総計2万4千8百4銭と金一封1万7千円の支給
一、被解雇者以外の390名に金一封2万8千2百17円20銭の支給
 

以上

東洋モスリン亀戸工場労働争議 1929年の労働争議
写真・(労秘)第一四八六号警視総監丸山鶴吉昭和四年八月八日
参照・協調会史料
  ・日本労働年鑑第11集/1930年版(大原社研編)
 

 1930年の市街戦で有名な東洋モスリン亀戸工場(2,500名女工による9月から11月の大ストライキ)では、その前年1929年にも女性たちによる大きな争議が2回続いて勃発している。

会社 東洋モスリン株式会社亀戸工場
場所 亀戸6丁目
東洋モスリン亀戸工場の労働者数 
 第一工場 女750 男223
 第二工場 女663 男234
 第三工場 女1,017 男184
 第四工場 女333 男136
        計3,540名
争議原因 不当転勤攻撃 組合員への不当処分
争議発生日 1929年6月16日 8月7日(第三工場のみ1,245名ストライキ)
労働組合 洋モス従業員組合(組合同盟所属)
 

6月争議
(不当転勤命令)
 会社による労働者3名への不当転勤命令がきっかけで、1929年6月16日、洋モス従業員組合は臨時総会を出席者約200名(内女性150名)で開催し、要求を決議し、17日会社に嘆願書を提出した。組合同盟が主導援助した。
  

(会社のならず者、組合の臨時総会を襲撃)
 会社側に命じられた暴漢ならず者15名が6月16日の組合臨時総会を破壊しようとすさまじい暴力で襲撃してきた。しかし、洋モス従業員組合の労働者は女性たちを先頭に断固として反撃した。警察もその場で会社の暴漢15名を暴力行為の現行犯で検挙せざるを得なかった。18日暴漢は検事局に送致された。
 
(嘆願書)
一、3名の転勤反対
一、定期昇給制を設置せよ
一、皆勤手当の復活
一、寄宿舎の労働者にも皆勤手当を支給せよ
一、寄宿舎の自由外出を認めよ
一、寄宿舎の食事の改善
一、寄宿舎に休養室を設置せよ
一、社宅を解放し、住宅補助代を支給せよ
一、工場内に運動場の設置せよ
一、深夜業務廃止に伴う生活の補償をせよ
一、今回の問題で絶対犠牲者を出さぬこと 

 昭和四年六月十七日
  洋モス従業員組合
  東洋モスリン株式会社御中
 

(会社の態度)
 会社は当初、「嘆願書の大部分はすでに実施されつつあり、また目下検討仲のものもある」として回答は当分預かりおくと不誠実な姿勢で対応した。
 

(転勤問題)
 転勤問題は組合同盟幹部麻生久が会社と交渉し、転勤問題の3名は自主退職し、3名に会社が特別手当として金一封を支給することで決着した。
 

(解決)
 6月19日争議は全面解決した。
覚書
一、皆勤手当の復活と寄宿舎にも皆勤手当の支給は、奨励の意味もあるので深夜勤務廃止後新制度を作り実施する
一、寄宿舎の自由外出を今後はかなり親切に取り扱う
一、寄宿舎の食事の改善を行う
一、寄宿舎に休養室を設置する
一、社宅や住宅補助料を支給する
一、深夜勤務廃止に伴い月収が下がらない保障を考慮する
一、運動場の設置を速やかに実施する
一、今回の問題で、犠牲者(解雇者)は出さない
など

 

8月争議 第3工場1,245名の総ストライキ勃発
(卑劣な組合員攻撃)
 会社は、6月の覚書で約束した実行を遅らせてきたばかりでなく、第三工場の2人の組合員に対して、就業時間5分前に名札を裏返して帰宅の準備をしたことは就業規則違反だと難癖をつけて、2人を4日間の減給処分にしてきた。第三工場の女性たちは、これは組合を攻撃するための不当ないいがかりだと怒った。また日頃から組合員を敵視し監視している一人の女性監督官(見回り人)の罷免も要求した。組合側代表9名は連日係長宅を訪問し陳情を繰り返したが、係長らは面会を拒絶した。
 

(スト決行)
 8月6日洋モス従業員組合の第三工場寄宿舎男女工1,245名は総ストライキを決行した。8月6日午前5時から先番労働者250名がまず最初にストライキに入り、さらに7日からは工場寄宿舎の1,245名全員の総ストライキ決行となった。一同が工場内広場に集まり、労働歌を高唱しながら工場内構内をデモで何度も何度も練り歩いた。当初会社はスト破りのために第一、第四工場から女工を呼び集め機械12台中8台を運転させようとし、かたやストライキ切り崩しを計ってきたが、第三工場全員のストライキとすさまじい労働者の怒りの爆発を前にした重役たちの狼狽動揺はその極に達した。 
 

(解決)
 8月7日会社の動揺とその意向をもとに町内の顔役長尾善作(亀戸町)が調停に出てきた。組合は「先般争議の解決条項を誠意を以て実施すること」を強く要求し交渉は決裂したが、8日午前0時30分長尾善作に一任(労働者側有利な形で)し、争議は一旦解決した。8日朝より全員が就業した。
 

(市街戦)
 翌年1930年9月、東洋モスリン2,500名大ストライキ・有名な亀戸の市街戦が勃発します。
 

以上

感想!
争議が終わった後!
「敵の巻き返し」と「主導権」—大江印刷争議等(1929年)

 前回報告の1929年小坂ゴム30名の争議2月ストライキは勝利しますが、その直後6月の争議では全面敗北します。全員が解雇されます。前々回報告の1929年大江印刷争議も7月ストライキは97名労働者側が勝利します。しかし、勝利後わずか一ヶ月後の8月120名争議では惨敗します。 
 どちらの工場の労働者も最初の勝利はストライキを必死に闘った結果の勝利でした。ストライキを労働者同士の互いの頑張りでついに賃下げを撤回させました。全員で工場の機械を一斉に止めみんなで工場を脱出し、労働者を苦しめる猛暑の中の深夜労働の改善を勝ち取りました。おのれの心の中の恐怖を跳ね返し、勇気をふるいしぼり起ちあがりました。勝利! これほどうれしかったことは労働者としての人生の中でかつてあっただろうか。それからほどなくしての敗北です。資本家階級のなんという卑劣さ、なんという裏切り、なんという残酷さ。
 

(敵の巻き返し)
 どちらの工場も最初の勝利直後の二度目の争議は明らかに会社の巻き返し攻撃でした。
 私達の大久保製壜闘争でも10日間の死闘ともいえるキリスト教会ろう城闘争の勝利ほど感動的でうれしかったことはありませんでした。あの勝利の瞬間、36名の障害者と労働者は心の底から喜び、互いの健闘を称えました。しかし、職場に戻った一ヶ月後には、36名の仲間は8名に切り崩されその後も解雇、不当配転などあらゆる組合攻撃といじめの嵐にあいます。
 

 「工場・職場闘争の戦術原則」の十四項目に「勝ったあとは油断を戒め、団結を強め、新たな矛盾をつかんで体制を整え、大衆の力で敵の巻き返しを粉砕する」とあります。どんな大きな闘いでも、たとえ一人の闘いでも、大企業の争議でも零細町工場の争議でも勝ったあとの敵の巻き返しには法則性があります。この法則性は100年前も今も変わることはありません。それは敗北した側はくやしさと憎しみでエネルギーが何倍も増加します。憎さ百倍です。資本家階級は無慈悲なまでの本性を露わにして容赦なく弾圧してきます。中曽根の残酷な国労つぶし攻撃や今の非道な関生コン支部への組合つぶし攻撃もそうです。ましてこの世の中は資本主義社会です。資本家の世の中です。もともと彼らの天下です。労働者のたった一回の争議勝利にいつまでも労働者を浮かれさせておくわけがありません。まして彼らの階級的本性には「反省」という二文字は存在しません。今度こそはうまくやってやると準備万端で巻き返しをしてきます。

 

(主導権)
 もう一つ忘れてはいけない視点は「主導権」の問題です。争議中、闘争中は、争議の主導権は主に闘う労働者側が握っています。ストライキを自分たち労働者が決め、抗議行動の規模も日程も自分たちだけで決めます。ビラの中身も労働者が自由に書きます。争議中は互いに仲間を思いやり、自己の我がままを抑えて闘争勝利のために仲間と強く団結します。会社の非人間的な組合攻撃や兵糧攻めにも歯をくいしばって耐えて、みなで決めた規律も守ります。いったん立ち上がり団結した労働者たちは何日も何ヵ月も時には何年も闘い続ける力をもっています。大久保製壜闘争は数十名のふつうの労働者が、ふつうの障害者が、団結して21年9か月闘い続けました。ひとたび目覚めた者たち、団結を得た仲間たちはそれだけの力を持っているのです。主導権を握った、つまり奴隷から人間となり、人生の主導権を握った労働者の闘いの日々は本当に素晴らしいのです。
 

 しかし、一旦争議が勝利(敗北)し終わったとたんに日常のあらゆる「主導権」は、たちまち資本家側が握ります。そもそも職場全体、労働自体がすべて資本家の命令で動きます。会社の中だけではありません。私生活も資本主義社会の中ですべての事が資本の論理に従って生きていかねばなりません。目覚めた労働者にとって毎日が苦痛の世の中です。(争議が終わり)闘いの手段を奪われて孤立した労働者にとって、資本主義社会の中の生活は屈辱と挫折と妥協の日々です。
 

 争議中、あれだけつらい運動やきびしい闘いを歯をくいしばって長い期間頑張った彼、彼女たちが、争議が勝利し終わった後、ほどなくして運動や組合運動から離れていくのはよく聞く話です。

 

 争議が終わった時(いや争議中から)、必ずあるであろう敵の巻き返し攻撃を跳ね返すために、次の闘いに向けてどんな準備が必要でしょうか。職場の未組織の新しい仲間との団結、職場の仲間たちの苦しみ、職場の仲間たちの怒りを自分のものとして、新たな闘いを準備するには、なにより、労働者の奴隷を拒否した人間としての人生の主導権を握り続けるには、どんな学習、どんな結びつき(組織)、どんな目的、どんな努力が必要でしょうか。

 

 これは本当にむずかしい課題です。全国の成功(失敗)体験をみんなで学びたいものです。
以上

 


小坂ゴム工場争議の勝利と敗北
1929年の労働争議(読書メモ)

参照・協調会史料
 

会社 小坂護謨工場(ゴム靴製造会社)
場所 東京日暮里町旭町3の294
労働者数 全従業員(男30名、女10名)
争議参加 男22名 女6名
争議原因 賃下げ・全従業員解雇と工場閉鎖
発生日 1929年2月5日と6月9日
労働組合 関東合同労働組合日暮里支部
 

2月争議の勝利
 会社は革靴底製造担当の15名職工に対し、一足の単価の値下げを通告してきた。2月5日15名はストライキを決行し関東合同労働者組合日暮里支部争議団とした。関東合同労働組合は全組合員の応援のもと、職場と地域住民に宣伝ビラを配布し、2月7日には会社糾弾演説会を開催した。
 職場では新たに男工7名女抗6名が仲間の闘いに呼応して立ち上がり、ストライキに合流した。

要求書
一、賃金値下絶対反対
二、機械の故障及掃除の場合は日給全額支給せよ
三、機械の故障及作業上の総ての消耗品は工場主の負担
四、常備日給を即時制定せよ
五、最低賃金の制定
六、残業・早出の歩合増(一時間につき一分五厘)即時支給
七、争議中の日給を全額支給せよ
八、争議団に関して絶対犠牲者を出さざること
九、工場法を即時実施せよ
十、労働組合加入自由の公認
十一、退職手当制度を即時制定せよ(他の工場の比率を持ってすること)
右の要求項目は小坂ゴム工場従業員一同の工場主に対する要求也
小坂ゴム争議団一同
 

(ビラ)
 
 小坂ゴム工場の従業員三十名は関東合同労働組合日暮里支部小坂ゴム工班を組織していたが、横暴なる工場主は不景気を名目として賃金値下げを断行せんとした。吾々はかかる横暴なる工場主に対した断固として反抗し賃金値下絶対反対を声明し、交渉してきたが、ゴリラの如き工場主は吾々の生きんが為の要求を踏みにじるばかりか組合破壊、首切り手段を以てして威嚇した。吾々は之に屈せず奮い起った。
 不景気! 賃金値下げ! これこそ我々労働階級が血を以って反撃し、赤旗の下に勇敢に闘わなくてならない。それは何故か? 生存権のジウリンだからだ!   同志諸君!・・兄弟同志の戦いだ。吾等はかくして奮い起った。吾等をして勝たしめよ。吾等の勝利は兄弟同志の勝利だ。吾等は血を以って生存権の擁護の為に闘ふ。
 同志諸君すべての力をあげて応援の電報に資金に。輝ける戦闘旗を以って
 争議団へ!!
 団結の威力を以って資本家を屈服せしめよ!!
 来る七日夜愛隣団(争議団となり)にて争議批判大演説会を開催

 争議団本部 日暮里町元・・ 省線日暮里、市電三ノ輪下車
 

(2月7日演説会演説趣旨)
関東合同労働組合 岩内善作
 労働組合なるものは力の弱い労働者がお互いに手を握り合い、資本家に向かって闘争する機関である。すなわち労働者の福利の増進をはかるものである。      しかるに或る者は労働組合を恐るべき危険なるものの如く逆宣伝をする輩もある。今度小坂工場に働いている労働者が賃金値下げに反対して争議を起こしたが、実に当然のことと思う。元来資本家は吾々労働者を食わして置くと言うが、吾々からすれば俺達が働いて資本家に利益を與ているのだということができる。
 何卒労働者諸君は一致団結堂々と闘って11か条要求の貫徹に努力してもらいたい・・・。

 

日本大衆党中央執行委員 加藤勘十
 小坂工場の争議は僅か三十名内外のストライキでたいした問題でないという者があるかもしれないが、吾々の前に起こっているストライキを個々に切り離して見ることは出来ない。今日の社会の一つのあらわれとして重大なる問題である。
 現今頻りに産業の合理化などと主張しているが、実に労働者を最低賃金で最高の能率を上げさせようとする、すなわち労働者を機械以上に働かせることにほかならない。
 今小坂工場においては賃金値下げを発表した。これを聞いた諸君は敢然と起って反対したことは吾々労働者の生存権を確立する重大問題で、これの勝敗は吾々労働者の将来に重大なる影響をあたえるものである。熱烈たる意気をもって奮闘を望む・・・。

 

(解決)
 2月8日、岩内善作と争議団は会社と交渉し、9日午前11時半要求の大部分を実現した勝利的覚書が成立した。2月10日より全員が出勤した。

覚書
一、賃金値下撤回
二、機械の故障及掃除の場合は日給支給はおおむね実現
三、機械の故障及作業上の総ての消耗品は工場主の負担の実現
四、常備日給の制定
五、女工の場合、最低賃金の支給
六、残業・早出の歩合増(一時間につき一分五厘)支給
七、争議中の日給半日分支給
八、犠牲者を出さない
九、工場法実施
十、労働組合加入自由の承認
十一、退職手当制度制定の協議
2月9日


6月大巻き返し攻撃・敗北
 6月9日会社は事業不振を理由に全従業員(男19名、女2名)の解雇と工場閉鎖を発表した。会社の2月争議への大巻き返しだった。ただちに全労働者が加入している関東合同労働者組合日暮里支部は会社に工場再開を要求した。
 

(「労働要視察人」)
 6月争議は、会社と官憲があらかじめ事前に準備万端計画をした組織的大巻き返し攻撃であった。
 官憲は治安維持法などで、全国でひそかに多くの労働組合活動家を「労働要視察人」と指名し特高・官憲が監視していた。小坂ゴム工場の関東合同労働者組合日暮里支部小坂ゴム工班のリーダーである綿引伊好當(22歳)も、官憲はかねてから「労働要視察人」として監視し狙っていた。 
 ストライキ突入と同時に、所轄日暮里警察署は、「労働要視察人」綿引伊好當を、工場内で扇動・喧噪の行動をしたとでっち上げて検挙し、ストライキの気勢を一気にそぐ露骨な弾圧をしてきた。
 

(ビラ)
 争議団は同業の工場「フヰルト」の労働者に下の宣伝ビラを配布した

 フヰルトの兄弟に訴ふ!!
親愛なるフヰルトの兄弟諸君!!
 小坂ゴム工場主は突然工場閉鎖を断行したのだ!!
 おれ達はこの残忍極まる工場主に対して断然起って戦っている。
親愛なる
フヰルトの兄弟諸君!!
 俺達も諸君と同じ資本家にシボラレている労働者だ!!!お互いに助けあうのは労働者の義務だ!!
俺達の戦いを勝たしめるためにストライキを敢行してくれ!!
  小坂ゴム工場争議団本部

  関東合同労働組合日暮里支部
 

また、争議団は地域の友誼労働組合に「檄文」(上写真)を送り応援を求めた。
 

(敗北)
 しかし会社側・官憲一体となっての全員解雇と工場閉鎖攻撃を覆すことはできなかった。ついに 6月30日、労資は以下の覚書を交わした。労働者側の敗北だった。
覚書
一、工場解散手当として日給1ヵ月分を支給し、また売掛金未収入分を支給する
一、争議中一切を含め、金150円を支給する
一、本工場が再び作業を開始する時は従来の職工を雇い入れることを約束する
一、争議中の刑事事件問題等は責任をもって示談すること
昭和四年六月三十日
工場主  小坂興三吉
労働組合 岩内善作
争議団  加藤稔
 

以上


大江印刷会社争議ビラ 1929年8月

猛暑酷暑 !  健康を守るため深夜労働を廃止せよ! 大江印刷会社争議の勝利と惨敗
1929年の労働争議(読書メモ)

参照・協調会史料(大江印刷株式会社労働争議ニ関スル件)
 

会社 大江印刷会社株式会社(印刷業)
場所 東京麻布
労働者数 男109名、女6名 計115名
争議参加者数 男94名、女3名計97名
労働組合 東京印刷工組合(自由聯合系)
争議発生 1929年7月14日
 

《勝利した7月の闘い!  猛暑・酷暑!  深夜労働を廃止せよ!》
(酷暑の夏!)
  大江印刷工場の労働時間は午前7時30分から午後5時30分であったが、実際には残業を深夜遅くまで強制させるのが当たり前であった。1929年、この年の夏はとりわけ残酷なまでの猛暑・酷暑であり、大江印刷工場の灼熱地獄の現場で朝早くから深夜まで働かされる仲間たちは次々と健康を壊していった。
 

(「残業は8時迄で打ち切れ! 労働者の健康を守るため深夜労働は廃止しろ」と要求)
 1929年7月14日東京印刷工組合は現場の各主任に対し、「この酷暑の中、残業を深夜遅くまで行うのは我々の健康を壊す。残業は午後8時で打ち切ってほしい。それ以後の時間の深夜労働は全面的に廃止してほしい」と切実な声をあげ要求した。
 

(一斉決起)
 労働者はついに立ち上がった。会社からはなんの回答もなかったため、東京印刷工組合員97名(うち女性3名)労働者は、7月18日午後5時10分全員が一斉に工場の動力スイッチを切り、そのまま工場から退場した。
 

(解決)
 会社はあわてて組合に話し合いを求めてきた。7月19日正午、労資で妥協が成立した。労働者側の勝利的解決だった。

解決条項
一、夜業は事業の性質上どうしても廃止するわけにはいかないが、会社として従業員の保健を充分考慮することを約束する
一、今回の事件に関しては犠牲者(解雇者)は出さない

 

《全面惨敗の8月争議 会社の巻き返し攻撃》 
 8月28日一人の仲間が不当な理由で解雇された。会社の横暴なやり方に怒った大江印刷労働者120名は午前10時から機械のスイッチを一斉に切りストライキを敢行した。8月29日午前9時より従業員大会を開催し、あくまで要求貫徹のためのストライキ継続を決議した。争議団員は毎日争議団本部に集まり、会社の切り崩しを跳ね返そうと誓いあった。また持久戦を覚悟し争議資金を徴収することも決めた。
要求
一、不当解雇絶対反対
一、解雇手当最低3ヶ月分は支給すること
一、円満退社時は解雇手当は半額とすること
一、臨時雇用の期間は一週間とすること
一、職工員は一ヶ月後に本雇用として直ちに発表すること
一、幼年工・見習い期間を縮小すること
一、夜業は賃金を5割増しとすること
一、犠牲(解雇)者は絶対に出さないこと
一、●●主任、●●門番は排斥すること
昭和4年8月28日 
交友会
大江印刷株式会社御中
 

(会社の強硬姿勢)
 9月1日、会社は以下の内容を書留郵便で発送してきた。
一、組合の要求は全面的に拒絶する
二、組合が要求を撤回しない場合は、首謀者5名を解雇する
三、9月3日より工場の就業を開始する。全員に強く出社と就業を促す
四、出社し就業をしない者は、「任意退職」とし、解雇手続きを進める
 

(労資交渉)
 松村社長は、9月2日の労資交渉の場で争議団代表に向かって、「要求を撤回し、すぐに就業するように」と強く迫った。争議団側は要求は全労働者の切実な声であると強硬に主張した。労資交渉は決裂した。
 

(報告演説会)
 東京印刷工組合と争議団は9月2日午後2時より報告演説会を開催し、会社はなんら誠意を示さないので徹底的に闘うと決議した。
 

(会社8名を新たに解雇)
 会社は新たに争議団幹部8名を争議の首謀者だと解雇してきた。これで争議団幹部で解雇された者は9名になった。
 

(スト破り監視ピケ)
 争議団と東京印刷工組合は工場門近くに争議団本部を設立し、スト破りの監視・ピケを強めた。また工場周辺の一般住民向けのビラを配布した。
 

(警察)
 争議団と東京印刷工組合が9月1日に計画した二子多摩川での「ピクニック」と称する示威行動に対し、六本木警察は、当日は震災記念日であり情勢不穏だと争議団責任者を呼び出し中止しろと不当な圧力をかけてきた。しかし、争議団は断固として「ピクニック」を貫徹し示威行動を成功させた。
 

(会社の総力をあげた切り崩し攻撃)
 会社は手段をえらばない争議団切り崩し攻撃に総力をあげてきた。争議団幹部と一般労働者を分裂・分断させる声明文を全労働者の自宅に郵送し、全主任・管理職を総動員し、120名全労働者の自宅にまで押しかけさせ、ひとりづつ切り崩しをしてきた。その結果、19名の脱落者がでてしまった。会社は翌朝その19名を明治神宮付近に集合させ、会社の自動車に乗せてひそかに工場内に運び入れ、そのまま工場内寄宿舎に閉じ込めて泊まり込みで就業させた。
 

(炊き出し)
 東京印刷工組合と争議団は持久戦突入を宣言し、9月3日より全争議団員とその家族に向け炊き出しを始めた。また争議団は、町民向けビラ「親愛なる町民諸君に訴ふ」を工場周辺一帯に撒いた。
 

(社長の暴言)
 9月4日の労使交渉の場で、社長は再び「今回の要求は全従業員の意志ではない。二三の幹部の煽動によるものなのだ。すぐに撤回しろ」と強く争議団代表団に要求した。
 

(社長に会わせろと押しかける争議団員)
 今回の要求が一部の者の煽動だとする社長の発言は、全従業員を侮辱するものだと激怒した争議団員は一斉に工場に押しかけ社長に面会を求める激しい抗議行動となった。これを制止しようとする六本木警察が、ようやくにして会社に次回の労資交渉に一般労働者も交渉委員として出席を認めるよう約束させることでその場はなんとか収まった。
 

(持久戦体制)
 9月6日東京印刷工組合の援助の下、以下の持久戦組織体制を確立した。
一、争議団員家庭訪問隊
一、警備隊
一、争議基金係
一、受付
一、食料係
一、会計係
一、場内整理係
一、伝令
等々
 

(スト破り)
 社長は相変わらず要求を全面拒絶してきた。争議団を裏切ったスト破りは9月6日に新たに6名、7日更に16名・・と続き、争議団員120名中41名の脱落者、裏切者が生まれた。社長はますます強気な態度となった。
 

(突如、東京印刷工組合から脱退した争議団)
 争議団は9月7日ストライキ全員大会を開き、突然東京印刷工組合と手を切り脱退することを決議した。争議団役員は東京印刷工組合から脱退した翌日には六本木警察署内で覚書に締結した。内容は金銭の代わりに9名の解雇を認め、争議団側が謝罪し、要求を全面撤回するというみじめな敗北だった。 
 

(惨敗)
 9月8日、調停課が所轄六本木警察に出動し、争議団役員と会社の両者を召集した調停の結果、以下の覚書を締結し8月28日以来のストライキは終了した。争議団員は9月10日より一斉に出勤就業した。
覚書
一、従業員は今回の行為に対し遺憾の意を表する
一、会社が発表した9名の被解雇者は今後会社とは一切無関係のこと
一、会社は被解雇者に対して解雇手当として金二千圓也を支給する
一、会社は休業(スト)中各自日給の三分の一を家族への救済金として支給する
一、会社は争議団に対して金一封(77圓)を支給する
一、その他の争議団の要求は撤回する
一、会社は今後従業員の待遇を誠意をもって改善する
会社代表
従業員代表
調停者調停官
 

以上

1929年における印刷・出版・製本・新聞社の争議一覧 1929年の労働争議(読書メモ)
写真・俺達の武器はストライキだ!日本労働組合全国協議会日本出版労働組合大阪支部(1920年代)
  ・同志諸君!光輝ある工場分会を確立せよ!未組織の兄弟を組織せよ!日本労働組合評議会出版労働組合(1920年代)
  ・関西出版労働組合(1920年代)
  ・高知印刷出版労働組合など(1929年)
  ・(労秘)警視総監宮田光雄第九一号万朝報の労働争議に関する件(昭和4年1月19日)

参照・日本労働年鑑第11集/1930年版(大原社研編)
  ・協調会史料
 

印刷・出版・製本争議一覧
1月 東京出版印刷株式会社(牛込区) 37名うち女性5名 
2月 第一印刷社(神田)    5名    東京印刷工労働組合
2月 田中印刷所(福岡)  29名
2月 岸原印刷所(福岡)  23名 福岡合同労働組合
2月 昌栄堂印刷所(大阪) 35名
2月 熊本印刷所(熊本)  16名 熊本合同労組
3月 国文社(東京京橋) 男71名 女24名計95名 東京印刷工労働組合
3月 村田文泉閣工場(日暮里) 男99名 女30名計129名   関東出版労働組合
4月 関東印刷所(茨木)          6名
4月 弘文社印刷所(北海道) 18名
5月 福岡印刷所(福岡)         26名 大衆党
7月 大江印刷会社(東京)  97名 東京印刷工労働組合  
8月 大江印刷会社(東京)   120名 東京印刷工労働組合
8月 高崎印刷所(福岡)         25名 九州全産小倉支部準備会
9月 夏目印刷所(東京)           7名 
9月 浜田印刷工場(大阪)     40名 大阪出版印刷労働組合
11月 博真堂印刷所(東京) 男20名女2名 
11月 三光印刷所(東京)       22名 関東合同労働組合 
11月 三誠舎印刷所(大阪)   32名 大阪印刷労働組合
12月 富士印刷所(東京)       30名
12月 誠美堂印刷工場(名古屋) 13名 
12月 藤本印刷所(兵庫)        24名 総同盟・灘聯合会
12月 中外印刷株式会社第三工場(東京)    臨時職工解雇問題
 
新聞社争議一覧
1月 萬朝報社(東京)              105名 自総・東京印刷工労働組合  4月、5月にも再発
2月 関東日々新聞(神奈川) 11名
3月 羽后新報社(秋田)         15名
5月 中央新聞社工場(東京)  150名 自由聯合
5月 東洋民報社(福岡)           7名
6月 関西毎日新聞(京都)     10名
6月 洛陽新聞(京都)            40名
7月 やまと新聞社(東京)     11名 東京印刷工労働組合  9月にも
7月 国民新聞社(東京)         43名 印刷工組合
7月 室蘭新報(北海道)         26名
8月 三丹日々新聞社(兵庫)  13名 12月にも
9月 京都日出新聞印刷所(京都) 43名
10月 中国日々新聞社(兵庫)  29名
11月 中央新聞社(東京)            6名 東京印刷工労働組合
11月 神戸商業新報社(神戸)  12名
11月 日刊新聞社印刷部(宮崎) 44名 
12月 東方日報社印刷所(東京)   7名 東京印刷工労働組合
 

以上

朝鮮人差別解雇! 石井鉄工所労働争議 1929年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料
 

株式会社石井鉄工所
場所 東京京橋区月島
労働者数73名(うち朝鮮人23名)
スト参加 73名全員
争議原因 労働者11名(うち朝鮮人8名)へ解雇予告
労働組合 関東金属労働組合京橋支部
 

(不当な差別解雇予告)
 1929年7月5日、石井鉄工所は不況を理由に労働者11名に対し解雇予告をしてきた。そのうち8名が朝鮮人労働者であった。日頃の差別に続いてまっ先にクビを切られるのも朝鮮人だった。露骨な朝鮮人差別だった。
 

(嘆願書)
 7月12日解雇通告を受けた朝鮮人労働者8名が連名で解雇撤回の嘆願書を提出した。関東金属労働組合京橋支部に属する職場の労働者全員も怒った。すぐに不当解雇絶対反対の職場ビラが撒かれた。
 

(ビラ)
「石井の全従業員諸君! ・・・クビ切られた兄弟はこの不景気に路頭におっぽり出されてどうすりゃいいんだ。不当解雇絶対反対!」と訴えるビラがまかれた。7月15日には従業員全員からの嘆願書が提出された。
 

(スト突入)
 7月20日正午休憩時間、組合は工場食堂で従業員大会を開き、不当解雇絶対反対を満場一致で決議。会社が交渉を拒絶した。労働者は一斉に工場中で「機械を止めろ!」「機械を止めろ!」と叫びあい、機械のスイッチを切り工場は全面的に止まった。73名全員でのストライキ決行だ。
 

(警察襲撃)
 所轄月島署の警官隊がストライキ労働者に暴力的に襲撃してきた。たちまちその場で朝鮮人13名と日本人6名の19名を検束し獄につないだ。
 

(労資交渉)
 7月25日、労資交渉の結果、解雇予定11名のうち朝鮮人の5名と日本人3名に解雇手当と相応の金一封を支給する合意で妥結が成立した。しかし会社は朝鮮人李進栄は争議の首謀者だからと彼だけに金一封の支給を拒んだ。最後まで卑劣な会社だった。
 

(警察)
 警察は検束したうち朝鮮人労働者3名のみに対し、ストライキ突入時の機械スイッチを止めたことが業務妨害罪だとして送局(起訴)してきた。
 

以上

(労秘)第二五〇号警視総監宮田光雄「東京市救済事業現場に於ける争議に関する件」昭和4年2月8日

東京市本郷区道路課従業員員大会決議

朝鮮人差別待遇撤廃を求めた東京市工事現場の自由(日雇い)労働者の闘い 1929年の労働運動(読書メモ)
参照・協調会史料
     ・日本労働年鑑第11集/1930年版(大原社研編)

 東京市の劣悪な工事現場での労働争議の一つに1929年2月の水道局現場で日雇い朝鮮人労働者と共に闘った関東自由労働者組合の争議をすでに紹介している。ここでは現場監督側の「ピストル」発射事件もあった。
東京水道局月島材料置場で働く日雇い朝鮮人労働者と共に闘った関東自由労働者組合 1929年の労働争議(読書メモ)
https://nagasaki1218.hatenablog.com/entry/2025/10/24/070000

《5月、東京市土木局道路課浅草出張所の労働争議》
 玉姫町職業紹介所で雇用された毎日70名内外の自由(日雇い)労働者が公休や公傷保障もなく働いている東京市土木局道路課浅草出張所現場で首切り問題が起きた。ここにも多くの朝鮮人労働者がいた。関東自由労働者組合は「馘首反対闘争同盟」を組織し、5月27日首切り取り消しなど8項目の要求を当局にだした。
要求
一、解雇の即時取り消し
一、今後絶対に馘首しないこと
一、部屋人夫を絶対に使用しないこと
一、雨天の労働停止
一、雨カッパ、麦わら帽子の支給
一、賃金を三割値上げすること
一、公休は月2回とし祭日も公休として日給を支給すること
一、公傷による欠勤に対し日給の支給と手当の支給

《6月、朝鮮人差別待遇撤廃を求めた深川区弁天河岸工事現場の自由(日雇い)労働者の闘い》
 6月、深川区弁天河岸の工事現場において、朝鮮人差別撤廃等を求める労働争議がおきている。

 大島川と塩浜川の弁天河岸工事現場には東京市失業救済事業の深川紹介所を通じて雇われた日雇い労働者が一日平均約100名、そのうち朝鮮人労働者は約60名が働いていた。低賃金でまともな休憩時間も与えられず、その上朝鮮人差別待遇の劣悪な労働条件のもとで働いていた。護岸工事が終了して大量な首切り計画が持ち上がった。
 1929年6月2日、東京自由労働者組合と関東自由労働者組合の5名が日雇い労働者51名の代表として、東京市役所河港課本所職業紹介所長、現場監督と会い、賃上や朝鮮人差別待遇の撤廃などの要求をした。
要求書
一、全員に対し歩増一分一厘を支出されたし
二、首切り手当一人につき金券五枚を支給されたし
三、工事完了まで全員を使役されたし
四、昼食並午前午後の休憩時間を厳守されたし
五、仕事中の傷害保障されたし
六、日本人と朝鮮人の差別待遇を撤廃されたし
七、継続工事を起こされたし
など
昭和四年六月二日
従業員一同

(サボタージュ闘争)
 その日、約100名の日雇い労働者は現場からのサボタージュ闘争で労使交渉を応援した。当局は監視を強化し警戒した。

(解決)
 翌日3日東京市河港課係員、本所職業紹介所長、現場監督と組合が交渉した結果妥協が成立し解決した。
解決条件
一、(賃上げ)要求通り実施
二、(解雇手当)一人一日二分二厘の歩増
三、(雇用)本月15日まで全員を使用する
四、(昼食並午前午後の休憩時間を厳守)要求通り実施
五、本所紹介所所長の認定に一任する
六、(朝鮮人差別待遇の撤廃に対しては)論議の余地はないので要求通り実施
七、到底不可能にて拒絶す

《横暴所長排撃同盟サボタージュ闘争! 東京市従組合本郷支部による東京市土木局道路課本郷出張所の労働争議》
(8月、8日間のサボタージュ闘争)
 東京市土木局道路課本郷出張所の労働者は、東京市従組合本郷支部と関東自由労働者組合、東京自由労働者組合の応援のもと、職場の横暴な脇田所長との闘いを起こした。本郷道路課労働者一同は、「脇田所長排撃同盟」を組織し、サボタージュ闘争に突入し、8日間一糸乱れずたたかい抜いた。8月2日午前11時道路課長より「怠業に対する厳重警告」がでたが、労働者側はこの警告を無視しサボタージュ闘争を強行した。2日の労資交渉で、一、8月3日より就業する 一、解雇者・配転者は出さないと労資合意し、一旦は争議は終わったが、8月22日2名の組合員が解雇された。組合は27日正午、復職を求めて約40人が市役所前に押しかけ市長に面会を求めた。

以上
 


東京日々新聞配達労働者のたたかい(その二) 1929年の労働争議
写真・ビラ全東京日々新聞配達員諸君!全国新聞労働組合 
  ・ビラ「全新聞プロレタリア憎悪の的東京日々を倒せ! 敢然起って花園の前衛隊を守れ!」
参照・協調会史料
  ・日本労働年鑑第11集/1930年版(大原社研編)
 

 1929年全国新聞労働組合は東京日々新聞出張所(配達店)の組織化を計画的に方針をたて努力した。組合員を各出張所(配達店)に潜入・配置し、配達労働者と共に働きながら労働者と団結し組合員を増やしていった。
各出張所
芝口出張所 3名
花園出張所 8名
比丘橋出張所5名
新井出張所 7名
本郷出張所 1名
恵比寿出張所1名
など
 

(東京日々新聞配達従業員大会を開催)
 全国新聞労働組合は、12月1日には神楽坂倶楽部において午後2時より花園地域の東京日々新聞配達労働者約30名と友誼団体の集結により東京日々新聞配達従業員大会を開催した。2日には全国新聞労働組合本部として東京日々新聞本社宛てに、直接要求書を提出した。
要求
一、強制勧誘絶対反対!
一、本社より支給されている32日分を全額支給すること
一、一切の無償制度の廃止
一、●外手当50銭全額支給
一、チラシ折込料金支払い
一、一区域につき230部を限度とすること
一、予備員を吾等配達員中より選定すること
など八項目の嘆願
 

(朝鮮人労働者金氣宗!)
 東京日々新聞社比丘橋と花園の両出張所で同時に争議が起きた。
 比丘橋出張所では朝鮮人労働者金氣宗の呼びかけにより日本人7名と朝鮮人2名の9名がたちあがり、12月9日嘆願書を提出した。会社はただちに労働者の要求を拒絶したばかりか、金氣宗を首謀者だとして乱暴に解雇してきた。
嘆願書
一、給料は五円値上げとし二十五円支払いにしてください
二、給料は必ず翌五日までに現金で支払ってください
三、(新聞の)勧誘料は上と同時に計算してください
四、前借は勧誘料の半額を許可してください
五、今までの未払い給料と勧誘料は今月中に支払ってください
六、(チラシ)折込料は配達五分持ちとして給料日には支払ってください
七、号外料は五十銭とし現金で即時支払ってください
八、食事は朝食代三円とし、昼・夕食は各自の随意とし食事代四十銭を外出前に支払ってください
右八か条嘆願します

参考
従来の給与は以下の通り
一、給料一ヶ月金二十円 翌月十五日清算
一、食費一ヶ月十二円給料より(差し引き)
一、得意一戸増に付き歩合金四十銭を支給
 

(仲間たちへのビラ)

全東京日々新聞社配達員諸君!
永い間、豚小屋の様な! 新聞屋の二階で蚤と虱と南京虫とセンベイ布団に雑居して新聞ブルと悪主任に搾られて来た。
 寒い夜でもコジキの様な拡張に出し! カード出来なきゃ首を宣言したり、すかしたり脅したりして俺達を苦しめた本社及主任に対し、もう俺達は黙っていられなくなった。この不平不満とウップンを晴らす秋は来たぞ!
 怒りに燃えた花園出張所の兄弟は去る二十九日から正義の剣を取って断然火ブタを切ったぞ!
 引き続いて芝口、恵比寿、本郷、比丘橋出張所の兄弟も要求書を引き挙げたぞ!
 某出張所の兄弟も明日引き揚げる用意はできた!
 時は今だ! サー諸君用意はいいか!
俺たちのセンレイされた仲間は各出張所に這いこんで全市、市外で一挙に立ち上がる準備はできた。
 起て! 俺達の●●●●を時事報知国民等の兄弟がどしどし応援しているのだ。
後には全国千万のプロレタリアが応援の手を拡げているのだ。時は来たぞ! チュウチョするな!
 俺達の先端に立って戦っている兄弟を見殺しにするな!
 全東京の兄弟は直ちに職場会議を開いてゼネストの準備をしろ! 全市の日々新聞を一斉にブチ止めろ! 
 年末拡張料、切り取り清算の不渡りにだまされるな!
 俺達の要求はこうだ! 各社の代表を即時本部へ派遣しろ!
一、強制勧誘絶対反対!
一、拡張料出来高(一部50銭)を現金で支払え!
一、悪主任及予備をタタキだせ!
一、給料を月末現金で支払え!
一、チラシ折込料を全額支給しろ!
一、不当解雇絶対反対!
全産業労働組合全国会議 全国新聞労働組合
東京日々新聞争議団本部
 

(同時ストライキ)
 12月4日七つの出張所の新聞配達労働者は同時にストライキを決行した。
各出張所スト参加者
芝口 3名
花園 8名
比丘橋5名
本郷 1名
新井 7名
恵比寿1名
 

(弾圧)
たちまち官憲の弾圧がはじまった。
牛込神楽坂署
 拘留7日 3名
 検束       2名
四谷署
 拘留7日 3名
渋谷署
 拘留7日    1名
淀橋署
 拘留29日  1名
 検束       1名
中野署 
 拘留7日 2名
日比谷署
 拘留7日  1名
 拘留10日  1名
 

(東京日々新聞ボイコットの訴え) 
 争議団は、12月6日の借家人同盟大会で東京日々新聞ボイコットの訴えを行った。
 

(本社管理課長宅へ申し入れ抗議行動)
  12月19日争議団16名は東京日々新聞本社管理課長宅へ申し入れ抗議行動を行った。メーデー歌などで気勢を挙げる争議団に対し、麹町署警察は襲い掛かり16名全員を検束した。


以上


ICE
  OUTとゼネストと「鍵」

Minneapolis, Minnesota
New York City
San Francisco, Califonia
Los Angeles, Californi
 

 移民に対して厳しい取り締まりを続けるアメリカ移民・税関捜査局(ICE)。2026年1月7日、ミネソタ州ミネアポリスで市民のレニー・ニコル・グッドさんが捜査官に射殺され、24日には退役軍人病院の看護師アレックス・プレッティさんが撃たれ亡くなった。今、ICEに対する怒りのデモが燎原の火の如く全米に拡がっている。爆発している。
 

 1月30日には全米各地で労働組合によるICEとトランプ政権への抗議ゼネストと大規模デモが敢行され、連帯した商店主は一斉にシャッターを下ろした。一般の労働者や学生は仕事や学校を休んだ。多くの高校生も次々と立ち上がっている。

 2月1日の第68回米グラミー賞の授賞式でも、有名アーティストらが相次いで「ICE  OUT」を堂々と宣言し、人々はそれを大歓迎した。世界の民衆もアメリカの労働者・学生・市民に連帯している。
 

 トランプ政権は反乱法を発動し軍隊による戦争的弾圧で更なる巻き返しをはかってくるだろうか。これはまるで内戦だ。いっときは自国の軍隊によって圧殺されようとも、この若者や女性たちの真剣に叫ぶ表情と労働者のゼネストにこそ世界、人類の希望と今後の「鍵」があるのではないか、の予感は楽観的すぎるだうか。
 
 かの人は相変わらず品性下劣なあの顔でトランプの脇でピョンピョンはねつづけるのだろう。アホとしかいいようがない。以上