修学旅行らしい高校生の制服グループが通る。近郊の園児か小学生らしい揃いの帽子とエプロンの子供達が過ぎて行く。他の観光地に比べて何となく行儀がよいのも、原爆公園という雰囲気のせいなのであろうか。

 ある一団は千羽鶴の束を慰霊碑に供えている。鮮やかな色とりどりの折り鶴は、これらの子供の純真な祈りを込めてのものであろう。見渡せばこのように美しい千羽鶴は方々の慰霊碑にも供えられている。

 子供達が去ったあと、私は慰霊碑に掛けられた千羽鶴に目を落としていたが、突然そこに生々しく当時の情景を見た、と思った。新しい千羽鶴の下に、雨で色を洗い流されたのか、白く水を含んだ鶴の折り重なっている束々がそこにはいくつも残っていた。

 赤や黄、緑や青、紫の染料を失った白い紙の肌が濡れてゆがんだ羽を重ねている姿は、夏服はおろか皮膚をも一瞬の閃光に溶融されて、その熱い肌を、共々川の水に冷やしながら命を絶ったであろうあの無数の死体と余りにも似ていたのである。