コロナ禍になって、私はずっと心配ばかり、母はその間寂しい想いをしていたに違いない。
その会うことが出来ない間に、ずいぶんと母の心身の状態は悪化していった。
昨年の5月から3年ぶりに、ようやく週1で10分間の面会が玄関先のロビーで許されたが、その状態は一目瞭然だった…。
面会の時、カステラが食べたいというので許可を得て、毎週持参し喜んで食べていた。
そして、ちゃんと毎回ご飯を食べているのかと思うくらいに、それをむさぼり食べていた。
不思議に想い、体重を職員に尋ねると30キロ台しかなく、1日3回以上の栄養補助食品(メイバランス)も必要なだけ届けているはずなのに、何故だろうと思った…。
それから、施設の方で改善してもらうように頼み、少しは良くなったように見えたのだが、今年の春頃からだろうか、大好きだったカステラを僅かしか口にしなくなってきた。
そして、今年6月5日の面会が、母親が高熱のために中止になり、6月12日、まだ発熱はあったのだが、ようやく部屋での面会が許された。
結局、発熱は下がらず、誤嚥性肺炎ということで、個室に移され点滴のみの状態となってしまった。
その日(18日)、妹と一緒に会いに行った。
私には何が何だか解らず、平熱になったら再び食べ物を口腔摂取、出来るものだと思っていた。
その後、こんな状態で週に1度しか面会できないのは辛いと施設に訴えた。
そして平日のみ毎日、母親のところへ行く許可が医師から出た。
日に日に痩せ細り、「お腹が空いた、お茶が飲みたい、カステラが食べたい、部屋に戻りたい…」と母が訴えるので、とろみを付けた物を飲み込んでもらおうと試してみたが駄目だった。
その後も何度か試した。
それでも、奇跡を信じたかったのだ。
そして、現在は辛いけれども母を見守るしかないのだろうと自分自身に言い聞かせている…。
7月22日が母親の91歳の誕生日だった。
抹消点滴のみになって、2ヶ月。
また、ずいぶんと痩せこけた…。
最後まで見守るしかない。
(7月27日記)
母は私の記憶の中にある祖母の顔にそっくりになっていた…
(施設にて 6月28日撮影)