礼文島金環食観光---------。その1。
今から六十年前、昭和23年5月9日11時50分23秒8--礼文島で金環食が見られた。
此を見るためのツア-があった。
その頃ツア-等という言葉なかった。
小樽港から船で礼文島まで行って、金環食を見るというのであった。
船は、白山丸と言って当時では豪華船だった。
もっとも敗戦間もない日本には、ろくな船より残っていなかった。
物好きにも私は金環食を見たくて、白山丸の乗船券を買ったのである。
乗船券には、「礼文島金環食観光白山丸記念乗船券」と大きく印刷されていた。
この乗船券のコピ-は今でも大事に持っている。
豪華船の船旅の期待に、私はワクワク、ドキドキであった。
然し、その船旅が大変な船旅になるとは---------------。
小樽湾の外海に出て間もなく、波が高くなり、船は大きく揺れだし、揺れは益々大きくなっていった。
たちまち船内は、船酔いの為トイレに、甲板に----------ゲロゲロの人で騒然となった。
幸い私は船には慣れていたので、酔いもせず平気だった。
船が大波に翻弄され、上下に大きく揺れるたびに、ギリギリと船体のきしむ音がするのであった。
その音は気味悪く、嫌な音であった。今にも、船体がバラバラに千切れるのではないかと不安であった。
現代のように正確で、詳細な気象情報がない為、船は暴風雨の中に巻き込まれたようだった。
船内放送があった。
強力な暴風雨のため、船は予定通り礼文島に到着できない見込みであり、金環食の観測も出来ないのではないかというのであった。
---------この続きは次回に-------。、
世界一は、 北海道余市で 生まれた。
先日、10月15日付け北海道新聞の全面広告の見出しに、デカデカと出ていました。
ご覧になった方はおられるだろうか?
「ニッカシングルモルト余市1987」世界最高シングルモルト受賞。
余市は私の故郷-------嬉しくなって、つい---------。
沖縄にもう一度----------行かなければ。(3)
兎に角、山雨の塔、司令部のあった壕の中の荒れようはひどいものだった。
あれでは、亡くなった山部隊の将兵は可哀想でならない。
壕の中をのぞき見て、叔父はこの辺りを、歩き回っていたんだろうかと、身近に感じた。
出来ることなら、もう一度沖縄に行き、叔父が歩いたで有ろう山雨の塔付近や、壕内を綺麗に掃除してあげたいと思っている。
---了----