3姉妹の育児奮闘記《難聴ママ》

3姉妹の育児奮闘記《難聴ママ》

3人の女の子のママをしてます!
【長女】2012年04月生まれ
【次女】2015年12月生まれ
【三女】2019年07月生まれ


私自身 両耳難聴(感音性難聴)です。

そして歳の差婚・歳の差夫婦です!



日々 喜怒哀楽しながら育児を楽しんでます★

seisei




平成24年04月に可愛い長女👶を出産


平成27年12月に可愛い次女👶を出産





20代2児難聴ママ(*´▽`*)




そして 年の差夫婦で―――――すo(〃^▽^〃)o

年の差を感じさせないくらい元気で面白くて可愛いに支えられていますLOVE




Amebaでブログを始めよう!

みなさん、久々の投稿になってしまいました。

覚えてくださっている方 お久しぶりです。

初めての方 はじめまして。

 

 

長くなってしまったので お時間があるときにお読みください。

 

 

 

 

何から書いたらいいのか分からないのですが

 

2021年(令和3年)11月07日日曜日

県立がんセンターにて

主人は永眠いたしました。

 

またお時間があるときに 

闘病生活については前回の続きから

遡って書いていきたいと思います

※記録のため

 

 

 

簡単に説明します。

 

まず2020年5月頃

脳梗塞の症状で救急車要請し、そのまま入院。

薬のみの治療で1ヶ月くらいで退院できましたが

その入院中に行った血液検査で

【骨髄異形成症候群(MDS)】が分かりました。

 

そして6月のある日

この日は外来で主人だけが病院に行きましたが

『「主治医がご家族も今すぐ呼んでください」って…

だから子供たちもつれてすぐに来て』

と主人から呼び出し電話があり、ヒヤヒヤしながら向かいました。

 

こういう呼び出しは、どういうことを意味しているのかは

分かり切っていたので、自分なりに覚悟をしていきました。

 

 

主治医に言われたのは

 

『脳梗塞で入院中に骨髄異形成症候群の可能性が高かったのですが

さきほどの血液検査の結果を見たところ…

前回の検査からそんなに経っていないのですが

数値が異常です。

【急性骨髄性白血病】です。』でした。

 

※後に【急性骨髄性白血病】→【急性骨髄性単球白血病】と診断

 

すっご~~~~~~~く色々あったけれど

6月から11月までの期間

1週間前後の一時退院とセットで

計4セットの抗がん剤治療を経て、完全退院しました。

1セット=抗がん剤+一時退院

退院後も毎週~数週間ごと問診や検査などの通院はありました。

 

退院したものの疲れやすく体力などがなかなか戻らず、

完全復活するまでに1年くらいかかるんじゃ??って

思い始めてきた2021年5月下旬。

四肢から始まり全身にブワ!!!っと発疹が出ました。

1日ごとにひどくなっていき・・・

 

症状が出てから数日後の外来で

『再発確定』となりました。

その前の外来時は症状もなく血液検査結果も異常ではなかったのに…

急性骨髄性単球白血病…その名の通り急激に悪化しました。

 

 

1回目の白血病で入院日が2020年6月21日

再発の白血病で入院したのが2021年6月21日

憎くも…同じ日。

 

 

そして1セット目の抗がん剤の合併症で肺炎を起こしてしまい

死の可能性の話を主治医から受けましたが

なんとか乗り越えてくれました。

(主人の話では、その時の記憶は全くないようでした)

 

ですが、肺炎を起こしてしまったということや今後の治療方針のことがあり

主人はもちろん…主治医や看護師ともたくさん話し合い

移植をするため県立がんセンターへ転院しました。

 

移植方法は造血幹細胞移植(臍帯血移植)です。

この方法は手術せず、輸血同様の方法です。

 

 

 

私の誕生日の2021年08月12日に主人はがんセンターへ入院しました。

そこで2セット目の抗がん剤治療をやりました。

2021年10月上旬に移植に向けて走り始めました。

まずは移植前処置といって大量化学療法と全身放射線照射。

 

 

2021年10月12日(水) 移植当日

 

2021年11月02日頃 生着予定日

 

2021年10月28日頃 重症な合併症を起こす

※生着する前に起きたらマズイ合併症を…ガーン泣

 

2021年11月01日(月) さらに悪化し、「ついに赤信号です」と主治医から宣告される

 

2021年11月03日(水) 主治医に交渉しまくってなんとか許可を得た…子供たちの面会

小3の長女と年長の次女だけで2歳の末っ子はダメでしたが、良かったです。

子供達には一番最初の脳梗塞の時から何一つ隠すことをせず、ほぼリアルタイムで色々と報告をしていたし、主人が大丈夫な時はビデオ通話をほぼ毎日していたので、パパがどういう状態で…どうなってしまうのかは知っていました。

そのうえで上の子2人に最後にパパに会うか…を決めてもらいましたが、即答で「会うにきまっている!!!」と答えてくれましたが、いくらビデオ通話をしていたとはいえ容態が今までのパパとは全然違うし、私でも耐えがたい容態なので『耐えられなくなったらすぐに言うこと』って約束しました。

会わせてあげられて良かったですし、子供たちも会えて良かった。って言っています。

これが…この日が…子供たちが生きているパパに会えたのが本当に最後になってしまいました。

 

私の面会も…

緊急事態宣言中は面会禁止でしたが、10月に緊急事態宣言が解除されたので

1週間に1回 きっちり15分間のみという制限でしたが面会は出来ていました。

危篤でも…心肺停止後でも…

 

10/18&10/26 病室内を自立歩行、普通に会話可能

 

11/01 鎮痛剤やお薬の点滴が凄いことになっていた。

自立歩行不可だがベッド上では何とか体を起こせていた。

脳もやられているから会話もあまり成り立たない(認知症みたいな感じ)

 

11/03 長女次女も一緒に面会 

 

11/06 「危篤です」と電話を受け、すぐに向かう

 

11/07 午前4時48分 「心肺停止」と電話あり、すぐ子供をたたき起こし、

子供たちの荷物など準備して、子供たちはダメと言われていたので

安心できるところに預けてやっと主人のところに行けたのが6時半…。

 

電話をもらった時点で息を引き取ってしまった後だったから悔しい。

最期を看取りたかった。

病衣から洋服に着替えるとき看護師さんに

「病室の外でお待ちください」って言われてたし、

その後もタイミングなんかなかったけど…裸を一目見ておけばよかった。って後悔しています。

いろんな症状やその痕、カテーテルや点滴痕だらけだったと思うけれど、

主人が頑張ってきた証でもあるから…見ておけばよかった。

 

 

 

 

 






 





 

学校の聴力検査の結果『病院に受診して下さい』とお知らせを貰っていて


先日 私のかかりつけ医へ連れて行き、聴力検査をしてきました。



『聴力30dBで【軽度難聴の疑い】がある』と言われました。



ささやき声が時々聴こづらい事がある感じです。



気になるなら大きい病院に紹介状を書くので検査をするといいですよ〜


とのことでした。