”十三代目片岡仁左衛門師百十九歳誕生日” 子供の頃の私にとっては「鉄道マニアの優しいおじさん」と言うイメージが強い。祖母が熱狂的な大ファンだったので、Nゲージの趣味を良く理解してくれ、色々増備できました。セブン先生の御教示で祖母が何故「玉錦贔屓でアンチ双葉」なのか?も最近理解出来ました。(祖母以外では田岡一雄さんしか、そんな人間知りません(笑)盲ても、舞台を完璧に勤め挙げ抜いた、まさに「芸聖」1994年3月26日に亡くなられた。その魂は埼玉県の方に翔んでいったと勝手に思っています。
”輪島大士生涯のライバル貴ノ花利彰” 昭和48年九州場所12日目の貴花戦での負傷は未だに悔しくてならん。テレビで見ていて「右手から血が出ている、爪が割れたのか?」と実況していたけど、こんなに悪影響を及ぼすとは・・(同日にやはり、負傷した北の湖と病院で出会い初めて会話があった・・優勝圏内にいた北の湖は「休場しない」と語るので、自分もでる破目になり初めて相手の存在を意識したとか)もし負傷していなければ①三連覇②連続全勝優勝③年間80勝以上の達成は確実であり、相撲の歴史はかなり書き換えられ、輪島の歴史的評価もあがっていたでしょう‼️翌年1974年は2005年の朝青龍並みの記録を達成し、北の湖は横綱昇進を送らされ、未だに大鵬が最年少横綱であったと思う。優勝回数も20回を超えていたであろう・・・・ただし輪島のifを考えた場合「玉の海」が急死しなかったケースも考えなくてはいけないが・・