この日を迎えるまで、
考えても意味のないことを、たくさん考えてしまっていた。

「きっと大丈夫だよ」

「きっと良性のおできだよ」

そんは保証はどこにあるのだ!

「乳がんは、おっぱいのひきつれがあるって言うし、◯◯ちゃん、バランス崩れて見えないよ。ひきつれないから、きっと大丈夫だよ!」

実母さえ、そう言った。

だから、どこにそんな保証があるのだ!

皆様の良かれと言った優しい言葉たちは、
この時の私には、(告知を聞いて間もない頃まで)ほとんどが無責任な言葉に感じた。

「結果がでるまで、いろいろ考えちゃって辛いね。良性だったらいいね。何かできることがあったら言ってね。」

模範解答ではないだろうか。(偉そうw偉そうにすみません・・・・)

身を持って、難病の人にナンセンスな言葉たちを学んだ。


大きめの固いしこり。
発見してからは、ズキズキと特に痛む。

「乳がん 症状」

ググる。
すると、「乳がんと間違えやすいしこり 」
と出た。

「乳腺症」
「乳腺線維腺腫」
などの良性の病気

わずかな希望を持ってしまった。

いろいろ考えても、期待しても、不安になっても、結果は同じ。

なるべく何も考えないように…

実際、子どものあれこれや家事で、パートを辞めても、それなりに忙しくて、
考えている暇も落ち込んでいる暇も日中はなかなかない現実があったり(笑)


告知日と言うこともあり、子どもたちは、幼稚園の預り保育と保育園にそれぞれお願いして、夫と母が同行した。

CT(胸部~骨盤腔)を撮り、結果待ち。

「案外、がんだって、サラッと言うもんなんだな。」

夫が告知後に言っていた。

ほんとにそうだ。

「悪性の乳がんであること」
「脇のリンパ腫にも、小さいものも入れると10個以上あること」
「主体の腫瘍の下にも小さい腫瘍がもう1つあること」
「肺と肝臓に少し影があるが、よくある良性の血腫だろう。しかし、後で詳しく調べること」
「従って、現在のステージはⅡb以上」
「乳がんの種類が4つあること」
「その中でも、全くホルモンの影響を受けていない『トリプルネガティブ』と言うタイプであること」
「トリプルネガティブの薬物療法は、抗がん剤しかないこと」
「2、3年で再発、転移しやすく、5年、10年、再発、転移しなければ、予後が明るいこと」
「これから他の臓器に転移していないか、詳しい検査を更にしていくこと」
「その後は、術前化学療法、全摘手術、放射線治療と言う流れになるが、近くなってから、順を追って詳しく説明していくこと」
「既に脳に転移しているかもしれないな…」とポツリ。
↑脇のリンパ腫の数も多いし、主体の腫瘍が、奥に向かって広がっていくような形をしていて、悪性度や進行度が強そうな見た目をした画像だった。
主治医の経験から出たポツリだったのかな…

そんな、内容の濃い告知。

少しの期待はあったけれど、
今朝、トイレ掃除してきたけれど(笑)。

予想はしていたけれど、最悪の結果。

次回の全身PETーCT検査、脳MRI検査予約までの待ち時間、
涙がこらえられなかった。

夫も母もショックを受けていた。

夫はショックを受けながらも、冷静だった。そういう人だ。

「どうしてもっと早く気づけなかったんだろう…」
「仕事してる場合じゃなかったよ…」
「だって、1年前までおっぱいあげてたし…」

おっぱいを失うことより、幼い子どもたちを置いて命を奪われることの方がよっぽど不安で、怖くて、悔しくてしかたない…。

「後ろを向いてたってしかたないよ。がんばろう!お母さん、いつでも来るから!みんなでがんばろう!」
「親より先に逝くなんて許されないんだから…」

涙をこらえながら、母が励ましてくれた。

その日から数日は、いつもデリカシーのない偏屈夫も、さすがに優しかった。


本当だったら、初老の親の体を心配する側なのに…。

夫も職場が異動したばかりで大変な時期なのに…。
そもそも、乳がんになる女を嫁にもらうなんて、なんて運の悪い男なんだ…。

「ごめんね」

「謝らなくていいよ」

「◯◯(長男)は特に、おまえがいないと生きてけないぞ。◯◯(次男)なんか、おまえのこと忘れちゃうぞ」

そうだ。私、2歳の次男に、まだ
「おかあさん」て呼んでもらってもいない。

「おかあさん」て「ママ」より難しいから、「ジジ」「ババ」に追い越された。

まだ死ねない!死にたくない!

それから数日、涙もろい日々が続く…。


本日のお会計16520円えー?