一昨年の夏から始まった、左目の白内障

白内障の手術を終えてから、回復するものと

思っていたのですが、角膜の輪部機能が改善せず、

自力ではもう上皮を張る力がなく、左目の

角膜輪部移植手術を受ける事になりました。

輪部機能が働かないと、上皮を張れないので、

目を保護する機能がゼロの状態になります。

 

現在はドナー待ちで、見つかり次第入院、手術。

その流れもあり、酒屋の仕事の方は休んでいます。

白内障の手術をしてから一年が経ちますが、

現在まで右目のみで過ごしてきました。

 

右目も実は白内障の進行が進んでいまして、

診察、検査、処置をしていただいたところ、

驚くほど、右目の視力が良くなりました。

視力が良くなったというよりも、ずっと白内障で

膜が張った状態だったことに気が付かされました。

 

これを書いている時点では、視界良好です。

ですが、再び点眼治療を行っていくと、だんだんと

にごっていき、現在の状態から遠ざかっていきます。

根本的に解決するには右目もいずれは手術をしないと

治せないものと分かりました。

 

その前に、左目の角膜輪舞移植を成功させて、

左目の状態を安定させることが目標です。

 

視界良好のうちに・・・と思って、書類関係に

目を通し、軽くPC作業をしてみたところ、

この二年間ずっと苦しみ続けてきたことがすんなりと

解消できます。

 

今まで、伝票を発行するのも一苦労で、時には苦痛でした。

目が良く見えないからです。PCの画面が乱反射してしまい、

拡大鏡を使わないと文字が読めない、でも、画面が

反射して見えてしまうので、拡大鏡を使っても読めない、

宅配の送り状を1枚書くにも、点眼しては休み休み

書いていました、送り状を1枚書くだけなのに、1時間は

費やすこともありました。

 

振り返ると、よくこの状態で仕事が出来たな・・・と

思います。昨年の夏からほぼ毎週のように通院して、

治療もして、全力を尽くしてきました。

ただ、通院が発生する度にどうしても仕事出来る時間が

削られてしまい、自分一人で切り盛りするには危ない

状態でした、身体への負担そのものが大きくて、蓄積

疲労で何度か寝込んでしまう日もありました。

 

お酒の会などのイベントでお会いする方々のお顔も、

実はほとんど見えない状態でした。店頭販売スタイルから

自分が遠ざかってしまっているのもありますが、

お会いするのは二度目ですとお声がけいただいても、

認識するのに時間がかかっていました。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

日常生活も、だんだんと厳しくなってしまい、日中の

野外では、信号も見えない時もあり、段差も分からない、

すれ違う人との距離も、至近距離でないと分からない。

また、家電屋さんやコンビニさんなどの明るい店内照明が

まぶしくて、御会計時のお釣り銭もまともに見えない。

自動車の運転も当然ですが、かれこれ半年以上は乗らないで

過ごしています。

 

自動車のバッテリーは上がり、クルマ屋さんに交換してもらい、

かつ、バッテリーを外した状態です。

 

骨髄移植を経て、買い替えた自動車なので、まだまだ

乗れるし思い入れもあるので、手放したくないものですが、

昨年の秋から手離した方が良いものかどうか、悩む日々でした。

 

現時点は一時的な視力回復もあり、両目ともきちんと

治れば、この二年ずっと苦しんで来た作業もはかどり、

まだまだ仕事も出来るという希望や勇気が湧いてきます。

その為にもまずは左目の手術を必ず成功させて、それから

右目の白内障手術に向かい、回復させる。

イメージは出来てきました。

 

酒屋の仕事もまだまだ実現したい事が多くあります。

現状では、わずか3坪ほどの小さい酒屋で、通院優位。

通院はずっと続くので秘密基地スタイルというのは

なかなか変わらないと思いますが、少しずつでも次の

ステージに行けるように燃えています。

 

入院、手術のタイミングはまだ不明で、待機の状態が

続いていますが、治療の流れが見えてきた事や。

右目の不調の原因も分かったので、前進です。

 

年内には酒屋の仕事を再開出来るように目指します。

 

*自分の白内障の原因は、おそらく骨髄移植の際の

前処置(致死量の抗がん剤、放射線全身照射)の

後遺症と医師の方から聞いているので、やむなしです。