宮寒梅 さん 蔵見学2017

 

風が冷たい、澄んだ空気、まだ東北は東京とは違う気候でした。

日本酒・宮寒梅のキーパーソンは蔵元の娘さんである岩崎さん。

 

自分と岩崎さんとの繋がりは、六年前。骨髄移植前、入院中に見た雑誌がきっかけでした。東日本大震災で蔵が全壊してしまったものの、酒造りを再開させようとされている過程を知り、自分が酒屋として社会復帰したら、岩崎さんの宮寒梅を応援したいと誓いを立てました。

 

必ず生きて帰る。

 

あれから六年……やっと実現した蔵見学。

蔵の周囲は田んぼに囲まれ、近隣には川が流れていて、のどかな場所に酒蔵はあり、一見するとここで日本酒を造っているようには見えない、小さな酒蔵です。

 

蔵に着いて、岩崎健弥さんとまずはじっくりお話をしました。ちょっと驚いたのが岩崎さんご夫婦は自分よりも7歳から8歳下にあたること。落ち着きがあって、ポリシーがしっかりしていて、迷いがない。

 

「蔵に入った10年前は自分の所の酒は不味くて飲めなかった。他社の酒は美味いのが多いのに、悲しいくらい差があって、営業に行っても全くダメ、酒を造っても売れないし売れ残りがいっぱいだった時期もあります。他社のお酒と比べると美味しくない。思えばあの頃が底辺だった。」

 

改革に踏み切った岩崎さんは徹底的に酒造りを学び、蔵を立て直そうとひとつひとつ課題を解消していきました。酒質そのもの、流通経路の構築、ブランディンゲと。

 

岩崎真奈さんの父にあたる社長は蔵の周囲の自社田農家に専念し、美山錦、ひより、愛国、を栽培し、岩崎真奈さんがブランディンゲし、少しずつ酒造りを学んで岩崎健弥さんが醸造責任者へと昇格してから、快進撃は始まりました。

 

宮寒梅は一貫醸造   

先祖代々続いている蔵の目の前にある田んぼで、家族総出で酒米作りから始まります。美山錦、愛国、ひより、この3つの集大成が三米八旨です。

 

蔵の華、ササニシキは、近所の契約農家さん。全て大崎市の米。

日頃から米に携わり続けているから、米の出来の良し悪しを踏まえた上で状態に合わせた酒造り。

 

販売先は想いを共有する限定した酒販店に集中。

 

「実は今朝も出麹をしていました。まだ私たちは酒を造っています。

今造っていないと在庫が切れてしまうかもしれないからです。」

 

一通りお話を聞いてから、蔵の中に移動しました。

 

岩崎さんに蔵の中をご案内していただきました。応接部屋の隣の建物があり、

 

「こちらが大震災で新しく建てた仕込み蔵です。」

 

パッと見たところ、無菌室に入るようでした。衛生帽に手洗い消毒、ドアを開けて更にドア。徹底された衛生。

 

「東北はみんなやっていると思いますよ」と、岩崎さん。

 

ハッとした。今まで酒蔵見学に行くと同じ県内の蔵の話が少し話になりますが、東北(六県)で語られた背景は、いかに東北の日本酒蔵が激戦区なのかを意味するように感じました。

 

 

「私達が一番力を入れているのは純米吟醸です。」

 

 

 

「私達の代になってから、本醸造は廃止しました。私達のような小さな酒蔵が他社と同じことをしていても勝負できないんです。」

 

岩崎さんの語る意味は酒屋としてズッシリと重みがありました、それにしても冷静に自分達の状況を理解し、意識が高い。

 

蔵の中を見て、瞬時にそれがわかりました。全てが冷蔵庫の中にいるような…衝撃でした。それにしても蔵の中はコンパクトサイズです。

 

「全ての工程に品温は大事になってきます。もともと敷地が狭いし、酒造りの導線はコンパクトで、震災前と同じです。」

 

「原料処理に関してはこうしています。水は地下水です。洗うことに関しては洗米機を使います。徹底的に洗うのであれば人がやるよりも遥かに精度が違います。それを私達がしっかり分析します。」

 

一昨年だったかな、分析を大きく変更したというお話しがありましたよね?その分析室に入り、

 

「これが思いきって導入した分析機です。杜氏の経験と勘は確かに大事ですが、それはその杜氏さん一代によるものです。私達のような若い造り手にはそれがないから、科学的に分析して米が、麹が、モロミがどういう状態にあって、どこに向かおうとしているのか、その声を聞くために分析に力を入れています。データも集めて蓄積します。分析も人によってはムラがあるので、当日の体調であったり作業行程、疲労、全て毎日同じではないわけです。分析にかかる時間も個人差があります。分析に関してそのムラを出したら、モロミが行きたい方向に行けなくなるかもしれない。誰が分析しても正確に、それも迅速に測定すれば、すぐにケア出来る。」

 

今まで蔵見学してきて、分析に関してここまで時間を割いての説明は初めてでした。