ボク日記 -296ページ目

17才 -at seventeen-

再放送してほしいドラマ ブログネタ:再放送してほしいドラマ 参加中
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俺が中2くらいのときに放送してた内田有紀さん主演のドラマテレビ

当時絶大な人気があった内田有紀さんや武田真治さんのファッションをマネしてた若者は少なくないと思いますニコニコ

このドラマ確かVHSやDVDにもなってないんで再放送して欲しいですね。調べましたら高校生の日常を描いたドラマだが、飲酒・喫煙シーンが多用されている関係で本放送以降、日本での再放送は実現しておらず、またビデオなどによる商品化もされていない。


なら再放送は無理ですねダウン



主題歌の『survival dAnce ~no no cry more~』もめっちゃ好きでしたアップ

通販ばかり

足のサイズいくつ? ブログネタ:足のサイズいくつ? 参加中
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正確に測ったことないけど履いている靴は殆ど29.5センチかなガーン

我田舎では殆ど取り扱ってないサイズなもんで靴には苦労してますしょぼん

車で数時間かけて買いに行くくらいなら通販で買うほうが安くつくんかもねニコニコ

でも通販だから試着が出来なく以前買ったけど小さく履かないまま人にあげたことあったなぁ~

だからどのメーカーのものでも大体29.5センチなら履けるから通販でそのサイズのものを購入してますくつ。

落選に続き…

今日は会社の人事異動の発表がありましたが、俺は夜勤明けだったので発表を見ることなく帰宅しました。

15時くらいだったかな?

電話がなり、出ると相手は所長さんだった。

内部異動で7月から違う部署で働くことになった…


正直異動するのはわかってましたが、部署まで当たってましてビックリビックリマーク

はぁ~

何って夜勤業務がないから手当てがなくなり収入が激減ダウン


どうやって支払いをしていけばいいのかマジ考えてます。

規則正しい勤務になるのは体にとってはいいだろうけどライブにもあまりいけなくなりそうですしょぼん





e+先行の当落は?

本日13時から『B'z LIVE-GYM 2011 C'mon』のe+先行予約の当落発表がありました。


FC先行で落選してしまったので、絶対取ってみせるぞ!!

と気合いを入れて応募しましたアップ

結果は…










落選でしたぁあせるトホホしょぼん

何だよこの運の悪さむかっ

どうすりゃええねんDASH!金ないんだから行くなってこと!?


もう行くの諦めろってこと?

もう正規でチケット取るとこどこにもないんかなぁ?

諦めたくないけどなぁ~…


馬場全日本の象徴が去る

$全力blog ~We'll be alright~

 21日、都内のホテルでレフェリーの和田京平氏が記者会見を行い、6・19両国国技館大会を持って長年レフェリーとして活躍してきた全日本プロレスを離れることになった経緯を明かした。
 
 そして全日本を離れることになった経緯について「今回ブードゥー・マーダーズの一件(=5・19神戸大会でのTARUによるスーパー・ヘイトへの暴行)があったんですけど、僕は僕なりに(東京スポーツの取材に対して)自分の名前を出してインタビューに応じたんですけど、本人からすればそれが裏切りだったみたいですね。前シリーズの(6・6)出雲大会が終わって食事をしているときに、突然武藤さんから電話がかかってきて、『京平さん、分かっているよね? 今回のこと』って言われて、『アレは(武藤)社長が謝れば終わるよ』って言ったんですけど、それが裏切りだと思ったようで、『そういう問題じゃねぇよ! 俺、明日社長を辞任するから、京平さんも(6・19)両国で終わりにしてくれ』って(言われて)、そのとき『分かりました』とだけ。それが全日本を去ることになったやり取りですね」と説明。
 
 突然「両国で終わりにしてくれ」と言われたわけだが、京平氏は「あぁ、こういう会社なのかなぁって。寂しいものはありましたね。これからは馬場さんがいままで僕に教えてくれた『プロレスっていうのはこうなんだぞ。お前のレフェリーはこうだぞ』っていうものを(伝えていきたい)。僕、和田京平を必要としてくれる団体に上がりたいんです! 『もうお前はいらないよ』って言われたところではなく、『京平さん来て下さい!』って言われたらどんな小さい団体でも学生プロレスでも、リングのあるところならば上がりたいと思います!」と前向きに語った。レフェリー業のほかにも、トークショーなどのイベントも積極的に行っていくという。

 だが、最後の6・19両国大会を終えたあと、武藤からも内田雅之社長からも何も声をかけられなかったという京平氏は「俺のほうから声かけたのかなぁ。僕は平常心だから......僕が悪いことしているわけじゃないし、喧嘩したくもないから、いつものように『お疲れ様』って自分のほうから言ったね。武藤さんは目を合わせませんね。挨拶してもスッと行っちゃう。正直言わせてもらえば『そうなの?』って感じですよね。まぁこんなものかと、逆にスッキリです」と心中を吐露。
 もし今後、全日本からフリーのレフェリーとしてオファーがあった場合はどうするか聞かれた京平氏は「武藤さんが......いまは内田社長ですか。内田さんが『出てくれない?』って言ったら出ると思います。これで来シーズン出たら凄いですよね。あぁプロレスだなぁって(苦笑)」と冗談半分で答えた。

 「会社の経営が思わしくないってことだったので、会社のためなら『(フリー契約でも)いいですよ』って言ったんですけど、その時点で全日本プロレスを辞めさせられたと思うんだけど、僕はそう思わなかった。渕(正信)選手も僕と同じ契約ですけど、僕はシリーズ全部出てましたけど、渕選手は後楽園大会とは必要なところだけ(のスポット参戦)ですよね」と、盟友・渕と共に"馬場全日本を知る男"として苦しい状況の中、武藤全日本を支えてきた京平氏だが、今後の全日本に対しては「やっぱりねぇ......いまのレスラー、みんな僕がデビュー戦裁いたわけだから頑張ってほしいよね。でも全日本プロレスに和田京平がいなかったらどうなんだろうなぁ。僕が去るということは馬場社長も去っちゃうのかなって、それが一番寂しいですよね。格好付けるわけじゃないけど、全日本プロレスには馬場社長がいて、和田京平がいて、和田京平がいる限り全日本プロレスには馬場社長がいるっていうイメージが強かったからね。だからこういう形で去るのは寂しいですね」と、やはり創始者である馬場さんのイメージが消えることを寂しがった。
 元全日本の社長でもある馬場元子さんには、武藤から「両国で終わりにしてくれ」という電話があった翌日の6月7日に報告したという。その時点でかなり複雑な心中だったという京平氏は、元子さんに「僕、このまま帰りたい」と吐露したのだが、元子さんから「京平、あんたのファンがいるんだよ。ここで帰ったら、このシリーズに来てくれる人がガッカリするんだから、最後まで務めない」と言われたことで、最終戦の両国大会まで平常心でやることが出来たという。そして東京に戻ってきてから、すぐに馬場さんの仏前に報告したとのこと。


なんだか淋しい結末ですね~

7日の鳥取大会の前日には解雇が言い渡されてたのに、京平さん鳥取大会で平常心で試合を裁けれたよね。

1972年にリングスタッフとして全日本プロレスに入社し39年全日本一筋で心残りもあったとは思いますが第2の人生を楽しんで、また後世に京平さんの素晴らしいレフェリングを伝授して欲しいです。

京平さんが去り、故ジャイアント馬場さんが居た全日本プロレスを知る選手は渕正信選手と太陽ケア選手、リングアナの木原文人さんのみとなりましたね。