湊線が開業したのは大正2年(1913年)です。日立製作所の企業城下町・勝田や那珂湊漁港、海水浴場で有名な阿字ヶ浦などを結び、海産物や海水浴客を運ぶ路線としてにぎわいました。しかし、クルマ社会の到来とともに輸送量が激減し、1984年には貨物の取り扱いを全線で停止し、2000年代に入ると、乗客数も70万人とピーク時の3分の1以下にまで落ち込みました。

しかしながら一時は廃線の危機あった湊線が、ひたちなか海浜鉄道として生まれ変わったのをきっかけに、沿線を盛り上げようとたくさんの方が応援してくれるようになりました。そんな活動が実を結び、利用者は念願の100万人を達成しました。

全国の赤字ローカル線が廃止に追い込まれる中、湊線が在続することができた最大の理由は、鉄道会社と行政、地域が三位一体となって、緊密か強固な協力体制を構築できたことでしょう。

利用者は07年度の70万人から19年度には106万人まで増え、単年度黒字を達成しました。

今後、高齢化が進めば交通弱者が増え、海浜鉄道は地域の足としてますます重要になることでしょう。

 ひたち海浜公園には毎年200万人以上の来場者がありますが、多くが自動車での来場となっており、ネモフィラやコキアのトップシーズンには深刻な交通渋滞を招いています。海浜鉄道が延伸されれば、その一部が鉄道利用に振り分けられ、渋滞緩和の有効手段となると期待されてます。現に入場券付き1日フリー切符を販売、車の渋滞を避けたい人を呼び込みました。

 そして沿線住民を中心に延伸計画には強い期待を示してます。阿字ヶ浦区画整理地内の新駅は、令和3年4月開校した「美乃浜学園」への通学手段として利用出来るようになります。新駅が開設されれば、小・中学生の通学の際の乗降駅として利用出来るばかりではなく、阿字ヶ浦区画整理地内の保留地の販売等にも拍車がかかります。また、茨城県がすすめる「ひたちなか大洗リゾート構想」にも一躍を担う鉄道になっていくのではないでしょうか。

高齢になって運転をやめたとき、移動の足がないと生活に困る。「移動手段の選択肢を確保しておくことは、世代間の公平にも役立つはずです」。