私は台に座る前に釘を見るようにしています。
ヘソ、寄り釘、風車、スルー。
アタッカーは全く見ないですけどね。

そして一番良さそうに思う台にすわります。

時短、確変、大当たりラウンド中は止め打ちをして、少しでも有利にしようとしています。

周りを見ると釘を見る人、止め打ちをする人はあまり見かけません。

私は過半数の人より有利にパチンコを打てているわけになります。

内心ではそのような人を見下してしまう。
そして優越感もでてきて私は他の人とは違う。
勝つ為に努力をしている。
他の人よりは勝てるはずだ。

そんな愚かなことを思います。


そんなしょうもない優越感が私がパチンコに向かう理由になっている気がします。

日常生活は人を羨ましく思い、劣等感に苛まされる。
容姿にも、運動神経も頭も良くない。
裕福でもなく、努力もしない、できない。

そんな人並み以下の日常を過ごしているわけですので、自分が有利という状況を何度も味わいたくなっているのでしょうね。

愚かなものです。


所詮私が有利と思うのは相対的にみてそう思うだけです。
絶対的に見ればパチンコ屋が商売な以上、打ちてが有利な台にそう簡単に座れるわけはありません。
ましてやパチンコで生活するわけでも、勝つ為の努力をさほどしているわけではない私なんかは。

マクロな視野を持てればパチンコに依存することなどないのでしょうね。
他にも私がパチンコ屋に行く理由を思い出しました。
それは嫌なことを忘れたい、ストレスの発散です。

私はネガティブ思考でして、小さなことでも落ち込み、引きずる。
いつまでもウジウジ考えてしまう。
考えれば考えるほど落ち込んでいき、考えたくないと思うようになり、パチンコ屋へ行くのです。

勝てば嫌なことを一時的に忘れることが出来ます。

例え負けても、パチンコをしているその時間は嫌なことを忘れることが出来るのです。
例え釘が悪かろうが、ろくに期待できる演出が来なかろうが当たれば数万円手に入るかもしれない、と小さな夢をみることができます。
ですが大抵は、退店するときは全ての不幸を背負ったような顔で、帰路では反対車線に突っ込んでやろうかとも考えることになりますけどね。


とにかく私は何かと理由をつけてパチンコ屋に通っている気がします。

良いことがあれば褒美として。
嫌なことがあれば憂さ晴らし。
暇ができればちょっとだけ。
雨が降ればやることないから。
晴れていたら暑いから。
パチンコ屋が見えたらついでに。
パチンコ屋の前で信号にかかれば神の意志。
何もなくても勝てる気がする。


もうね、馬鹿かと。冷静な状態で考えればとても自分とは思えない。
でも一度その気になるともう止まりません。

改めて自分はパチンコに依存しているんだなと思います。
お金がある状態でパチンコ屋の営業時間帯で自由な時間の時に、ふとパチンコのことが頭をよぎる。
熱いリーチだったり、ラウンド中や確変中の音楽、確定音や保留先読み音が頭をよぎる。
通常時の弱い演出など当たりに絡まないものは頭によぎることがないのでパチンコを打ちたいというよりは、パチンコで当てたい、勝ちたいと思うのでしょうね。

一度頭によぎると後は加速するばかり。ブレーキなんぞかかりません。
意気揚々と車に乗り込み、法定速度を3割増し程でパチンコ屋に向かう。
信号や渋滞にかかればイライラ。
良い台が取られると思いソワソワ。
パチンコ屋についても走りたい衝動を抑え早歩きでエレベーターに乗り込む。

こういうものが中毒症状だったりするのでしょうか?

パチンコ屋に入った時点で私の焦燥感はなくなり、パチンコに対して冷めることが多いです。
玉貸ボタンを押すとさらに冷める。

しかしそこですぐ帰るということはありません。

せっかく着たんだから手間賃くらいは稼ぎたい。4、5000勝ったら帰ろう、と思います。

運良く早い段階で大当たりに恵まれて目標金額を達成しても、「今日はいける」などと根拠のない自身がでて数万円の大勝ちかトントン、財布の中身がなくなるまで打ってしまいます。

最初のパチンコ屋に行きたいという欲望を絶たないと次から次へと新しい欲望が襲ってくるのです。

これに対する対処は忍耐しかないと思います。
いくら行けない状況を作ったところで隙を見つけてパチンコ屋に駆け込んでしまうでしょう。

この衝動が私の一番の強敵です。