赤松先生の幕府宛ての建白書を拝読しました。赤松先生の誠心誠意、国の安定や国威について考え抜かれた人民平等を基にする人材登用の重要性を訴えられたことがよく分かりました。それは、現代でも通用する思想だと思います。


 なぜなら、現在、資本に有利な施策がまかり通り、加速主義まっしぐらな世の中を突き進むかのようだからです。今でも国民国家の枠組みで、赤松先生が生きられた時代と同様、世界からの影響を免れられません。しかし、私は、ベーシックインカムという概念に希望の道筋を見出しています。


 赤松先生は、労働とは何なのか、お考えになられたことがあるでしょうか。今、不労所得で仰ぎうちわで生活できるような人と、低い賃金労働で暮らしている人との二極化が進んでいます。しかも、人が避けがちな仕事が低い賃金に抑えられています。家族と夜ご飯を食べられないくらい夜遅くまで長時間働くことも強いられています。これは、普通なことではありません。


果たして、人は、低賃金で雇われなければ生活できない存在なのでしょうか。それは、どんなに技術が進歩しても、奴隷とかわらないのではないでしょうか。人がこの世に生まれ、存在するだけで生活できる社会こそが、原始時代から何万年という時を経た人類にふさわしい姿だと考えます。


好きなことをしながら毎日を暮らせることは、なんて素敵なのでしょう。ストリートでライブをすることが、その人にとっての労働でよいのです。ボランティア活動に勤しむことも労働です。家事も労働です。労働とは、賃金との交換でしか定義されないものではないのです。その意味での労働を人が行うことは、人が生きて行くうえで大切なことです。人には生き甲斐が必要だからです。


 結論として、人をコストとみなす社会の資本の奴隷からの解放が必要です。赤松先生が生きておられたら、そのことについてお話したかったです。現状ありきの改革案ではなく、根底から覆る改革が迫られていると痛切に感じています。