南米アルゼンチンの小さな集落で年に一度、1万5千人以上が集まる大規模な盆踊りが開かれている。日本人移住者が始めた祭りだったが、日本的な雰囲気が人気を集め、地域の一大イベントに成長した。日系人が多い南米でも最大規模の盆踊りだ。

 私ゃ真室川の梅の花コーリャ――。山形県の民謡・真室川音頭のリズムに合わせ、踊りの輪が幾重にもやぐらを囲む。頭上には色とりどりのちょうちんの明かり。おなじみの盆踊りの光景だが、踊っているのは、スペイン系やイタリア系中心のアルゼンチンの人たちだ。

 農業地帯のラプラタ市近郊にある集落ウルキッサで、16回目となる今年の盆踊りは、南半球が夏本番を迎えた1月10日に開かれた。首都ブエノスアイレスから車で約1時間の会場には、過去最多の1万6500人が集まった。

 手作りの浴衣を着て友人と初めて訪れたメリサ・ベラさん(29)は「最高! 日本のアニメで見た夏祭りの場面と同じ」と興奮した様子。家族で来たマリア・デカルメン・セスペデスさん(50)は3回目。「音楽がすてき。みんなで輪になって踊るのがとても楽しい」と笑顔を見せた。

■日系の行事発展

 ウルキッサは、パラグアイやボリビアに渡った日本人移民が、1960年代以降によりよい生活を求めて再移住した場所だ。現在は周辺集落も含め、1~3世を中心に約1500人の日系人が暮らす。

 盆踊りは、子どもに日本語を教えるために日系住民が運営する日本語学校の資金集めを目的に始まった。80年代まで地域で続いていた盆踊りを参考にしたという。

 当初、参加者は周辺住民だけだったが、独特の雰囲気が評判を呼び、踊りの輪は年々拡大。今は市の重要文化行事に指定されている。20代で移住した文野正輝さん(68)は「これほど人気になるとは思わなかった。日本人とアルゼンチン人が一緒に踊る姿を見るとうれしい」と感慨深げだ。

 実行委員長の2世、津留アントニオさん(44)は「アルゼンチン人には、遠い日本の文化が魅力的に映る。みんなが仲良く踊れるのが特にいい。おばあちゃんも孫も楽しめるから、たくさんの人が来る」。

 屋台などの準備は日系住民が総出で行う。前日には約80人で焼き鳥1万2500本を仕込み、針金に紙をはった金魚すくいの網は6千本を用意した。以前はちょうちんも手作りだった。

 日本人会会長の1世、安原汪(ひろし)さん(67)は「日系人の団結力が光る」と胸を張る。中心になるのは、アルゼンチン生まれの若い世代。曲は、真室川音頭のほかは、演歌の「河内おとこ節」「きよしのズンドコ節」など新しい歌だ。以前は民謡の炭坑節もあったが、次第に使われなくなった。安原さんは「日本の盆踊りとはちょっと違うかもしれない。でも、それはそれで楽しくていいじゃないですか」と顔をほころばせた。

 今年の盆踊りが終わったのは、日付が変わった午前1時半。音楽が止まっても、多くのアルゼンチン人がメロディーを口ずさみながら踊り続けた。

 市幹部のアレハンドラ・ストゥルセネゲルさんは言う。「この祭りは、日系人が日本文化を保ちながら、アルゼンチン社会に溶け込んでいることの証しだと思う。世界でテロや戦争が絶えない中、みんなが一緒に踊る光景は感動的だ」(ラプラタ=田村剛)

■お盆に合わせ、冬にも

 戦前から多くの日本人が移住した南米諸国では、アルゼンチン以外でも盆踊りが行われている。日本のお盆に合わせ、南半球の冬にあたる7~9月に開催されることが多い。

 150万人の日系人が住むとされるブラジルでは毎年、数十カ所で盆踊りが行われる。80年以上前に日本人が入植したサンパウロ州ペレイラ・バレットでは、約1万人が集まる。昼間に運動会を行い、夜に盆踊りをする地域もある。

 ボリビアでは、日本人移民が熱帯雨林を切り開いたサンフアン移住地で、入植記念祭の一環として盆踊りが行われ、1千人以上が集まる。複数の日本人移住地があるパラグアイでも各地で続けられている。

 一方、日系移民が110年以上の歴史を持ちながら、当初から都市生活者が多かったペルーでは、盆踊りそのものがみられない。

 日本人移民の研究を続ける慶応義塾大学の柳田利夫教授(近代日本人史)は「盆踊りの在り方は、移住の時期や居住形態、その国でどう受け入れられたかによって様々だ」と説明する。日本人が渡ったハワイや北米でも盆踊りはある。いったん中断した後に復活した地域も多いという。

 「近年はクールジャパンブームもあって、『スシ』『サシミ』と同様に『ボンオドリ』として現地での受容が進んでいる。盆踊りを通して、日本や日本人、受け入れた国の社会の姿が見えてくる」と話す。