猪瀬直樹知事の辞職会見での冒頭発言と主なやりとりは次の通り。
 ■冒頭発言
 私はこの度、東京都知事の職を辞する決心をしました。先刻、都議会議長に辞職を申し出、議会に同意いただくようお願いしました。借入金問題に関し、集中審議、会見で説明責任を果たすべく努力してきたつもりです。残念ながら、疑念を払拭(ふっしょく)するには至りませんでした。私の不徳のいたすところです。
 1年前、多くの都民から負託をいただき、就任記者会見をしました。以来、日本の心臓である東京を力強く鼓動させ、日本に安心と希望を広げるよう仕事をしてきたつもりです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの招致を成功させることもできました。
 日本が長いトンネルから抜け出し、2020年に向かってスタートダッシュすべきときに私の問題で都政を停滞させるわけにはいきません。国の運命がかかった五輪の準備を滞らせるわけにはいかない。状況打開のために退くよりほかはないと決断しました。都民・国民には申し訳なく、心苦しく思っております。深くおわび申しあげます。
 これからは都政に携わってきた経験を生かし、一人の作家、都民として、都政を見守り、恩返ししたい。最後に、東京と日本の発展を、2020年五輪の成功を心より祈念いたします。私からは以上です。
 ■報道陣との主なやりとり
 ――すぐに辞職しなかったのはなぜか。
 疑念を払拭(ふっしょく)できなかったのは、不徳のいたすところ。できる限り説明をしたいと思っていました。
 ――なぜ突然、辞職を決めたのか。東電病院の問題か。
 その問題と直接関係ありません。一昨日、石原前知事とお会いし、都政を停滞させるわけにはいかないと。そして昨日、選対責任者だった川淵三郎氏にお会いし、東京オリンピック・パラリンピックを成功させないといけないということで、都政を停滞させるわけにはいかないと決断しました。
 東電病院の売却というのは昨年6月にそういう方向になった。売却は東京電力において競争入札があるわけですから、東京都とは関係ありません。
 ――辞職のきっかけになった5千万円。受け取りの趣旨は結局何だったのか。
 繰り返し説明しましたが、個人的にお借りしたものです。それをお返しし、借用証もお見せしました。昨年11月ごろ、選挙がどうなるかとの不安の中で、駄目だった場合、生活の不安があったのでお借りしましたが、当選したので返そうとしていたが、遅れていたと説明しました。
 ――これまでの会見や質疑の答弁は、すべて事実だったか。
 できる限りファクトに忠実に発言してきたが、記憶違いがあり、小さな間違いがいくつかあった。
 ――就任後の初会見でネットを活用した情報発信をかかげた。そうした方法で都民に説明する考えは。
 できるだけ説明したいと思っています。都知事になってすぐ各局にツイッターで情報発信をする方法にし、都庁の情報発信能力を高めてきた。これからも自分自身が作家に戻り、情報発信していきたい。
 ――5千万円を借りたときに問題になる可能性があると思ったのか。後悔は。
 当時は各団体の人に毎日会う中で、個人的に貸してくれる人がいましたのでお借りしましたが、借りるべきではなかった。政治をよく知らないアマチュアだったと思っています。政策を一生懸命やってきたが政務に関していたらなかった。傲慢(ごうまん)になっていたと反省している。
 ――具体的にどういうおごりがあったか。志半ば、何をしたかったか。次の人には何を望むか。
 政策について自分は精通していると思っていたが、政務についてアマチュアだった。反省している。政治家としてやってこられた方は、どういうものを受け取ってはいけないか詳しい。みなさんに対し、腰が低い。僕の場合、政策をちゃんとやればいいと生意気なところがあったと反省している。
 プロフェッショナルな政治家しかいない世界に新参者として、政策についていろんな発想をもって登場した。そういう意味で去年、僕が知事になったこと自体が一つの事件。いままでの常識を知らない触媒のような形で僕が現れた。しかし、プロの政治家としての厳しさを知らず、せっかくの434万人の負託に応えられなかった。たいへん、反省している。
 2020年東京五輪を成功させてほしいと思っています。次の人はスポーツに明るく、東京をスポーツにあふれた街、五輪を迎えるにふさわしい方になったら素晴らしいと思う。
 ――都議会の動き、百条委設置は辞職に影響したのか。
 そうではありません。総務委員会で僕なりに説明を尽くしたつもり。予算など年末の重要な時期に職員が百条委にずっとあたり、都政を停滞させてはいけない。五輪の組織委もつくらないといけない。この問題で時間を費やすことは許されないなと。
 ――石原前知事や川淵氏と、どのようなやりとりがあったのか。
 もともと石原氏が五輪を提案された。いまこの時期に停滞していることが申し訳ないと。そういうことだったら、ここで辞職しようじゃないかと話されました。川淵氏は五輪を成功させたいということで、猪瀬さん、いったん打ち切ろうと。自分が五輪を一生懸命支えると温かい声をいただきました。
 ――五輪招致を成功させたチームニッポンのメンバーには伝えたか。
 チームニッポンで五輪招致が成功した。いろんな人たちが一つになって五輪を勝ち取った。チームニッポンでできたという自信を引き継ぐ人が、組織委を立ち上げてくれると期待している。
 ――就任してから斬新な政策を実施してきた。いまの気持ちは。70年の都の歴史の中でこの1年はどういう意味があるか。
 いろんな改革のタネをまいて、育ててきた。それは育っていくと思う。政治のプロでない人が1年間都政を担って政策中心にやってきたことで、ある種の触媒効果はあったのではないか。ほかの人にはない発想で仕事をしていたわけで、作家的なセンスでやっていた。そういう1年だった。
 政務がきちんとできるプロの方、東京オリンピック・パラリンピックを成功させるために、チームニッポンをつくっていってくれる方に、あとは託したいと思っております。