いわゆる大学生のうちに彼氏を作る、もしくは処女を卒業する(している)ことが普通の女の子の条件のひとつだとしたら、という話。
別に早い人がえらいわけじゃないんだから気にしなくてもいいとは思うんですが、ある程度までにはっていうのがありますよね。三十路越えちゃうとキツいのかもわかりません。
そもそも、本当に普通の人生を歩む人なんていないと思うんですよ。あくまで平均でしかないわけで。しかもそのサンプルもいろんなものがごちゃ混ぜにされているわけで。
あんまり振り回されるのもごめんだす。


バンドマンの男に魅力を感じるのがよくわからないなあ。魅力を感じた男がバンドマンだったっていうならわかるんだけども。
その人がギターなりマイクを持ってなかったらどうするんですかーと耳元で叫んでやりたい。
バンドをやってるから清廉潔白とか夢を必死追いかけてるとかそういうクリーンなイメージが大っ嫌いなんですよ。バカじゃないのって。
バンドマンに限らず、その人にくっついているモノに惹かれているだけなのにその人自身を好きになっている感覚ってとても危険ですよね。
同年代の人と話していてもなかなかこっちから歩み寄れないというか、自意識が過剰とかじゃなくて話す気にならないんです。
いまいち面白くないんですよ。誰とどこで飲んだとか酔いつぶれたとか別に聞きたくないですよ。どうせ聞くならそんなことよりもこういうお酒が美味しいとかそういう話を聞きたいものです。
上っ面というか場を繋ぐような話、もっといえば場を繋ぐことすら難しいような話をされてると思って冷めちゃうんです。そしてそれをわたしは顔と態度に出してしまうんです。
しょうもないとは思うんですが、これはなかなか変われないものです。
高校生のうちは自身のひねくれ具合がいとおしいとも思ってましたが、今はそれがキツいですね。
わたしも大学3年生となったわけですが、みんな口を揃えて就職はどうするのと言ってきますね。
今日はあんまり明るいものではないですね。

大学に入ったときは国語の教員免許を取って教員になろうと思っていて母親とも教員免許を取ると約束したのです。
去年のことですが、介護体験で障害者施設に行ったときにイライラしっぱなしだったんです。
慣れてないところで神経が尖るのはしょうがないとしても、自分でもびっくりするほどにイライラしていました。
そういうことがあったところで教職を取る気持ちがどんどんなくなっちゃったんです。
障害者とかを抜きにして、子供は好きですが苦手な部分があるわけで。
学業も不振で教職の科目も落としていたのでいっそのことと思って教職を諦めました。
釈然としない部分も自分の中にあるのですが、割り切るしかないですね。
今日は教職を諦めたことを母親に伝えたのですが、なんだかもう過去の自分自身にも母親にも結果として嘘をついてしまったのでやりきれないです。


自分がどんな仕事をできるのか不安ですが、今のご時世では役所に勤めても会社に勤めても、どこもそれなりにコロッと潰れることもあると思えばどこに行っても怖くないような気もしてきます。
こうでも思わないとやってられないとも思います。

現状維持は退化である、という文言を目にして私は幻滅してしまった。
いわゆる意識の高い人がより高みを目指して自己研鑽をするためによく使っているようだが、体よく自己陶酔したいだけじゃないのか。
現状維持が退化とするのなら、退化そのものはあってはならないものになってしまう。
そもそも、現状維持すら出来ていない人がそんなことを言っているのではないか。
筋トレにしても勉強にしても何かしらで調子が悪くなってしまうことだってあるだろうし、いくら頑張っても結果は横ばいのままということだってある。
自分が頑張った結果として現状維持になることだってあるわけだ。
その辺りを考えずに退化と押し込めてしまうのはナンセンスだし、そこまで自分を追い込んだところで本当に成長できるのだろうか。

上を見るのも大事だが、まっさらな気持ちに立ち返る方がより大事だと思う。
先日、渋谷シアターNで「モンスター・トーナメント」を観てきましたよ。
ケビン・ナッシュと武藤敬司の舞台挨拶があったんですが、本当にかっこよかったです。
ある程度歳のいったほうがかっこよく見えたりもしますね。
久々の更新。
人の心は十人十色と宮本浩次さんはおっしゃいましたが、わたしには思いつきもしないようなことをぽんぽん喋ったりブログに書ける人っているんですよね。
それはどちらの意味でもあるのですがね。
東日本大震災で甚大な被害を受けた東北地方の方々を放射能がなんだと屁理屈にもならない理屈をこねて平然と差別をする。
それを無知な人だけでなく、大学教授でもしていることで悲しくなってしまった。
東北の農家はオウム以下だ、なんておっしゃっていたと思います。
本人の中での正義だとかいろいろおありなのか了解できますが、思ったまんまを言葉にしていいはずがないじゃないですか。
他人の心にまで言葉を届かせようとするのならある程度の体裁を整えるのは当然のことです。
乱暴な言い方をして他人を傷つけておいて、純粋な気でいるのは違いますよ。
ランディ・サベージの試合を初めて見たのは、6年前のこと。ワールドプロレスリングとノア中継を並行して見ていた頃だった。
隣町の三洋堂というレンタルヴィデオ屋で、橋本真也が高田伸彦からIWGPを奪回したあのドーム大会のヴィデオを借りた。
その中でサベージは天山とシングルマッチをやっていたのだが、ランディ・サベージという選手には不信感しかなかった。
ひげもじゃで髪もチリチリ、頭髪も後退していて、でっかいグラサンをかけ、コスチュームは原色ギラギラでよくわからないヒラヒラもついていて、入場曲は威風堂々。
このときの自分には実力がないのに派手なコスチュームで誤魔化してるレスラーにしか見えなかった。
案の定、天山との試合はよくわからないまま終わってしまったという印象だった。ただ、一つだけ強烈に焼きついた技があった。それがダイビングエルボードロップだった。
十分に客を焦らしてから発射されるダイビングエルボードロップだけが印象に残っていた。


それから5年が過ぎた2010年秋。
インターネットを見ているときに、ふと、そのダイビングエルボードロップを思い出した。
さっそくYouTubeやニコニコ動画でランディ・サベージの試合の動画を見てみた。
自分の評価は一変した。
彼は実力がないのに派手なコスチュームで誤魔化しているレスラーではない。むしろ、かつての自分は彼の実力を受け止めるだけのプロレスの視点というか度量がなかったのだ。
無論、今でもそれが不足してるし、まだまだ高めなければと考えている。


お久しぶりです。deepestです。

黒澤明監督の「夢」の赤富士が話題になっているらしいですね。

他の短編と同じく、こんな夢を見たというテロップから始まり、寺尾聰扮する主人公が目覚めると、富士山から煙が上がっている。周りにはパニックを起こしている人ごみ。
富士山が噴火したのかと尋ねると、そんなもんじゃない、原子力発電所が爆発してしまったのだと。


という始まりでした。
確か、昨年の夏に「夢」をレンタルして観たのですが、このエピソードは放射能による汚染が起こってすぐの世界を描いていて、今思えばすごく恐ろしいものだったんですね。
個人的にはその次の鬼が出てくるエピソードの方が記憶に残りました。
核で汚染された世界で奇形化して角が生えた人間や人の身長ほどの大きさがあるタンポポという画にガーンと衝撃を受けました。人間の業というものをむざむざと見せつけられたような気がして非常に心が痛くなりました。


それと、「夢」という作品は私は二度と見たくありません。視覚的に美しいイメージは確かにあるのですが、それ以上に心に傷を残してくれるといいますか。
ホラーとはまた違った意味で恐怖を植えつけてくれる作品です。

相変わらず上地雄輔のブログ気持ち悪いな。いや、頭悪いのか。
久々に見ても破壊力あるよ、この堂々たるぶりっ子は。


こんなのにコメントが四桁か…。
コメントの内容も内容なんだけどさ、思ったことをあまりにストレートに書き出すからなに言いたいのかまったく読み取れないんだよ。
上地センセイの記事自体も余計なものをグジャグジャくっつけたり、アホみたいに改行するから空っぽに見えてくるよ。

上地センセイのやり方をしっかりチェックしとかないとな。下手な宗教よりもよっぽど信者が教育されてるから。
ブスだから、っていうのを免罪符にしちゃあいかんよな。
いやあ、うん。

それにしても、板野友美ってバカっぽく見えるときがあるけど、すごく鋭いときも見えるんだよな。不思議です。
たぶん地頭がいいのかねえ。それか、バカっぽいときと鋭いときとの差だよな。よくわからんね。


全然関係ないけど、「子どもをつくる」っていう言葉は好きじゃないねえ。
子どもはもらうものだろって。ねえ、命っていうものの価値を考えると軽々しく「つくる」なんて言えないよね。
それは人間の思い上がりというかね。


相変わらず話題がバラバラになっていますなあ。