今日からブログを始めます。
特に意味はないけど、なんとなく。
気が向いたら書く程度で。
別に、その日の出来事じゃなくても、思ったこと感じたことを、テキトーにつらつら書ければいい。
ほんと、びっくりするよ、自分の大雑把さに!(笑)
それにしても。
部屋の片付けってのは、本当にびっくりするくらい疲れる。精神的に疲れる。
引っ越しの準備って、本当に、なんていうか、難しい。うん、難しい。でぃふぃかると。あれ、でぃふぁれんとだっけ?
当然、今持ってるものを全部持ってけるほど、新居は広くないわけで。どーするかなぁ~。
何捨てようか迷うだけで日が暮れる。
彼氏に
君は片付けが苦手なんじゃなくて、捨てるのが苦手なんじゃないかな?
って言われて、ものすごく納得。
なんとなく、捨てるのって、昔から苦手だった。
捨てることへの恐怖が無意識にある。
なんだか、物たちが泣いてる気がするのだ。
私たちはまだ使えるよって。
よくネットや雑誌なんかで片付け特集なんかの記事を見ると「役目が終わったものはどんどん捨てましょう」って書いてあったりする。
意味がわからない。いや、わかるけど、納得できない。もう少し良い言い回しをしてくれ。
物は使うためにあるのだ。つまり、使われることこそ役目なのだ。そして現時点で、まだ使えるのだ。役目は終わってない。
あまり使わないものは役目が終わってると反論されればそれまでだが、使わないのと使えないのは違う。「役目」という表現はどうかと思う。
そんなことはさておき。
だからと言って、役目が終わっていないものを全部持ってはいけないのだ。結局のところ、捨てなくてはならないのだ。
意外と、人からもらったものは簡単に捨てられる。もともと無かったものだと思えば簡単である。
問題は、自分で欲しくて買ったものだ。雑誌、洋服、文房具。家具から小物まで、私の意思で集めたものが山積みだ。
そういうものは、心が痛む。ものが私を選んだのではなく、私がそれを使うことを望んで、私が店から家に連れ出したのだ。
物には命がないだとか、意思なんか存在しないだとか、そんな身も蓋もない説教はいらない。これは私の気持ちの問題である。
私にとっては、捨てるのは中絶ないし児童虐待と同義といっても過言ではない。それほど深刻な問題なのだ!
望んで子どもを身ごもって、出産して、途中まで大切に育てたのに、他に大切な物がたくさんあるから、だからその子をもう育てるつもりはないからと殺害してしまう親と同じなのだ。どんなに辛く苦しく悲しいことか、言うまでもない。
人間の赤ちゃんは命がある。だから違うと言われるかもしれない。
では、なぜ、観葉植物なんかは捨てられるのだ?大きくなって育てきれないサボテンは簡単に捨てるんだろう?植物にだって命はある。
心がないから良いなんて言わせない。それなら、観葉植物と中絶は同じくらいの罪の軽さということになる。中絶するくらい小さな胎児に心や意思があるとは思えない。しかし、人間は同じ命の宿った胎児と植物を当たり前のように差別する。区別ではない。これは間違いなく差別だ!
つまりだ。
極論を言ってしまえば、私にとっては、たくさんの自分の子どもたちを殺すことのように苦しいのだ。
これだから片付けは嫌いだ。精神的にまいってしまう。物をサクサク捨てられる人間なんてものは、集団殺人鬼の一歩手前なんじゃないのか。サイコパスめ。あぁ、怖や怖や。
ここまで熱く語っておきながら、
私は明日も片付けをするんだろう。どんどん捨てていくんだろう。ごめんね、子どもたち。こんなダメなお母さんを許しておくれ。
