1610souのブログ

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ごめん
黒田騒動(1632)のこと、書かせて。いつ死ぬか、わからないからね。
黒田騒動のあと、忠之は毛利藩萩で鉄砲で撃ち殺されたとして、影武者の忠之は誰だったのか。その後、影武者の忠之はどんな人生を遺したか。

官兵衛の4番目の弟は黒田直之という。1564〜1609没。洗礼名はミゲル。最期まで改宗しなかったのは官兵衛とこの人。そして、官兵衛の長男、長政とは4つ違い。秋月藩の領主のときはキリシタン王国が繁栄えた。その後、長政の遺言によって、長政の次男が領主となった。そんな直之には直基(パウロ)という長男がいた。この人は、ある日、顔をつぶされて死んでいた(とされている)。
だから、直之の長男は殺された。しかも、顔をつぶされて、だ。歳は忠之とおなじくらいだったはず。
黒田騒動後の忠之はひとが変わったように、人格者で模範的な藩主になる。日延という朝鮮王子だった僧侶に宗像の廃寺だった香正寺(日蓮宗)を開山させ、二人で毎日のように囲碁をして過ごした。雨で川が氾濫して来なかった日があった。それで、登城し易いように橋を架けた。
死後のことを嫡男光之(1628〜1707)と話し合って、自分は黒田家の墓所崇福寺には入らないで、東長寺(密教)に入ろうと思うが、光之も一緒にどうかと話し、光之も賛成したという。それで、東長寺には忠之と光之、8代目の治高の墓がある。日延の墓は、直之と長光院という黒田と毛利のお姫様の墓と並んで香正寺にあるんだ。直之は長崎キリシタン墓地に埋葬されたはずだったのに、いつの間にか、遺骨がなくなり、香正寺に埋葬されていたという。
だから、黒田騒動後の忠之の父親は、長政ではなく直之じゃないの?