自分の抱えてる内なる荷物

自分の抱えてる内なる荷物

私のこれまで信じてきた価値観、物の見方、考え方、教えられてきた事を一度全部、脳みそから出して目の前に並べて見てみると、今の私に必要ではない物もあります。それが私の足かせになっているのです。それが何なのかを一緒に探すサポートをしています。

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私は効率が悪いことムダなこと意味のないこと利益のないこと大嫌いでした

 

生産性がない事いけない事であるという価値観でした

 

なぜなら幼いころ、母とのやり取りで、私は役に立たない人間であるという認識してしまったみたいで

役に立たない系の感情を感じるといつもいや~な気持ちになるんです

 

 

 

例えば私は子どもと遊ぶということがとても大切であるという知識があって

 

子どものことが、かわいくてしかたないと思っていても

 

子どもと家で遊ぶことが嫌で、おっくうでした

 

息子がミニカーで遊ぼうと言ってきても

 

遊んだことないし

 

何がおもしろいかもわからない

 

 

とりあえず「ブーン」と言いながらミニカーを動かしてみる

 

「・・・」

 

これでいいの??

 

って感じで全く楽しめてないわけです

 

むしろ苦痛な時間・・・

 

なぜだろう・・・?

 

最初は単純に、ミニカーで遊ぶ事に興味がないからと思ってました

 

 

 

しかし掘り下げていくと下矢印

 

息子のことは楽しませてあげたい、彼の要求に応えてあげたい

 

けど私はミニカーで遊ぶことに付き合う時間がそもそも

 

もったいないと感じていました

 

なぜかというと、家事がいつも溜まっていて

 

それを早くやってしまいたかったのです

 

今、遊んで時間がとられると、いつもみんなが寝た後

 

夜中ふらふらになって家事をして

 

次の日、寝不足でしんどいのが嫌だったのです

 

そう、ミニカーで遊ぶのが嫌なんじゃない

 

自分の睡眠時間が少なくなる事が嫌だった

 

私は睡眠時間が少ないと1日使いものにならない体質なので

 

つまり1日使いものにならない生産性がない自分を感じてしまう

 

という事につながるんです

 

この感情を感じたくないからミニカーで遊ぶのが嫌という事に気が付きました

 

じゃあどうしたいのか?

 

家事を終わらせてしまってから遊ぶというのが私の望みでした

 

心に余裕をもって遊べるので、多少つまらなくても晴れやかな気持ちで遊べるのです

 

例えば、お手伝いさんが全部、家事をやってくれるなら私はいつでもミニカーでも、何でもニコニコで遊べるし、息子とのかけがえのない育児の時間を、集中して楽しめるわけです

 

 

ということで、私は本当の気持ちにたどりついた瞬間、PDCAサイクルが動き始めました!

今の現状、現在地に気付くことで、じゃあ私はどうしたいの?どこに行きたいのかが明確になり、私はお手伝いさんにはお願いしなかったのですが、ずいぶん家事のやる内容を手放す事が出来ました

 

 

元々きっちりやってなかったのですが

『早くやらなきゃ!でもできない・・・』アセアセではなくて、

 

『やらない!と私が決めたので、今、私はやらない』

 

自分で選んで決めたという過程があっての『やらない』だと心がものすごく軽いわけです

 

心が重いと常に重い荷物を背負って何かに取り組むわけなので疲れるんですよ

 

これこそ非効率、極まりないことです

 

自分の本心に気付く事=人生を効率的にする

 

家事や育児は少しでも楽に取り組んでいけたらいいですね!

 

応援しています!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば私の場合、幼少期

 

夫婦喧嘩の絶えない

罵声が飛び交う

居心地の悪い家庭

 

が、ものすごく嫌でした

 

 

そんな私が大人になって結婚した時密かに思っていた事がこれです

 

 

“幸せな家族計画”

 

 

 

と言っても大それた事ではありません
 
 
ごく普通の幸せそうな家族の風景が見たかったのです
 
 
私の『普通』は、ドラマから仕入れたワンシーンでした
 
 
朝はお母さんが早起きして、パンと目玉焼きとウインナーとサラダに牛乳か、又は和食の日もあったりして、家族を笑顔で温かく送り出す・・・的なシーン
 
 
 
家事はテキパキこなしてムダがなく、家はいつも誰が来ても大丈夫なくらい片付いていて、夜は家族でテレビでも見ながらリラックス・・・的なシーン
 
 
 
休みの日は家族でスーパーに出かけて・・・的なイメージ
 
 
 
そんな感じで私は母親をやるんだと
 
 
ちゃんとするんだと
 
 
思ってはいたのですが
 
 
できませんでした
 
 
簡単そうに見えて私にはとても難しかったのです
 
 
その時、私は思いました
 
 
『母が私に普通の家庭を見せてくれなかったから・・・・
私が普通の母親をやれないのは母がまともじゃなかったせいだ
 
いつも私の邪魔ばかりして、結婚して離れて生活してもなお、私の邪魔をする・・・』
 
 
と、心の中で母を責めました
 
 
私の母は、今でいうネグレクトで家事全般はやらず、寝てるか、基本不機嫌で、気に入らない事があるとキレたり暴れたり叩いたりするか四六時中、愚痴や不満を私に浴びせるか、泣いてるか、の厄介な人でした
 
 
そんな母の姿を見てきた私は大人になるにつれて、こんな親にだけはなるまい‼
 
 
絶対に!と思っていました
 
 
でも現実は完全に私は母のコピーでした
 
 
朝はギリギリまで寝て、朝ごはんは作らずバタバタの中、不機嫌な私と泣きじゃくる子ども、家の中はぐちゃぐちゃで、洗濯物もシンクの食器も山盛りで何が何処にあるのかも分からず、仕事と育児をこなすだけで精一杯の日々
 
 
そしてそんな自分を毎日じわじわと責める日々
 
 
「あれもしなきゃ」
 
「これもしなきゃ」
 
「どうしてこれくらいできないの?」
 
「私、何やってんの⁈」
 
「私、こんな事もできないの⁉」
 
 
そんな毎日に身も心も疲れて些細なことで夫と喧嘩になり、子どもの前で、怒鳴り、わめき、泣きじゃくり
正にセオリー通りの展開がやってきました
 
 
罵声と罵倒が飛び交う中
 
 
「どうせ私が悪いんでしょ⁉︎」
 
 
「私が能力無いって言いたいんでしょ⁈」
 
 
「こんな私となんか結婚しなければ良かったって思ってるんでしょ?」
 
 
「子どもがいるから離婚したくても我慢してるんでしょ⁉︎」
 
 
「私なんてどうせ生まれてこなければよかったんでしょ⁇」
 
 
と、ひとしきり、わめき散らした後、子どもの方に視線を向けると
 
4歳の息子は目に涙をいっぱい溜めて
 
「けんかしないで・・・」
 
と訳も分からず、おびえながらも、心の中で訴えている様に見えました
 
 
まるで母を苦しみから救ってあげられなくて、無力でどうする事もできない過去の自分を見てる気がしました
 
 
そしてその息子の視線の先には
 
 
憎らしくて仕方なかった母親と同じ事をしている自分の姿がそこにはありました
 
 
私はこんな生活をするために結婚して子どもを産んだのか⁈
 
 
これからずっとこんな生活が続くのかと思うとゾッとすると同時に、そんな自分がいたたまれなかったです
 
 
そして何より息子に申し訳なくて、この子の為にも自分の為にも一刻も早く変わりたいと思い始めた瞬間でもありました
 
 
まとめ
私はこの一連の流れを経験して学んだ事は
 
私は幸せや愛が無い家庭で育った捉えたとによって、私は愛される価値のない人間だと思い込み、そのフィルターで世界を見るとなんと他人の言動が
 
私を嫌ってる
私をバカにしてる
私には価値がないと言っている様に見えるのです
 
これ以上愛が枯渇したらヤバいと思い、必死で嫌われないように頑張って、足して足して、いい人を演じて・・・疲れても愛が欲しくて頑張ってしまう
 
という流れです
 
でも、完全に愛がなかったら、私はここまで生きて来れなかったかもしれないという視点はその時はなかったんです
 
 

幼少期、母を助ける事が出来なかった事が実はものすごく辛くて苦しかった事を重要視していなかった

 

自分の心の傷に気が付いて、癒してあげると、その苦しさは成仏するので得体のしれない息苦しさから解放され、今では心が軽くなりました

 

物事には良いも悪いもないという視点

私は母から私が欲しい愛情をもらえなかったので憎みましたが、そのおかげで膨大な時間と労力を使って苦しみ悩む経験をし、膨大な時間とお金と労力をかけて心の事を学び、私の世代からは、自分の子どもに対してどう接したらいいのかを知り、学び、今では穏やかで心地いい生活が手に入りました

 

あの辛くて苦しい時代を経験して乗り越えて来たからこそ同じ様な苦しみを抱えている誰かのお役に立てると、今となってはその経験が自信にもなり、財産となりました

 
 
『私には無い』という概念をぎゅっと握りしめて離さないでいるとそれしか見てないので、足元のあちらこちらに沢山落ちている何気ないキラキラには目がいかず結果的に損をしてしまう
 
そんなロジックをあなたも理解すると安心して手放せると思います