藤ヶ谷太輔(Kis-My-Ft2)

「事務所は絶対、自分から辞めるって言えってことなんだろうな」

2011年5月号で“第1回滝沢秀明”より連載が始まり、今も毎回話題になっているアイドル雑誌「Myojo」の連載「10000字ロングインタビュー“裸の時代~僕がJr.だったころ”」。4月23日発売の6月号には、Kis-My-Ft2のトリを飾り、藤ヶ谷太輔が26人目のアイドルとして登場、藤ヶ谷の人間的な奥行きが伝わってくる非常に興味深いインタビューになっている。



藤ヶ谷は、この記事の中で“7人”というキーワードを連発。俗に“氷河期時代”とささやかれた藤ヶ谷と北山宏光の仲、そしてKis-My-Ft2の兄組と弟組の世代間格差から起こる小さな衝突の数々についても、彼は赤裸々に語っているが、それも含めて今の“7人”があると語気を強める。

そんな藤ヶ谷も、決して順風満帆だったわけではない。中学生の藤ヶ谷は、中丸雄一たちのグループにいたのだが、年齢の問題があり、午後8時以降の活動ができないという理由でグループを外された。のちにそのグループはKAT-TUNになったという。



さらに、04年のKis-My-Ft.結成のころには、携帯電話のCMオーディションに4人で行って、藤ヶ谷ひとりだけが落ちた。そのときは気持ちのコントロールが出来ず「事務所は絶対、自分から辞めるって言えってことなんだろうな」とひとりで悩んだ時期があったとも……。何度となく訪れる壁を乗り越えるたびに成長を重ねた藤ヶ谷。次第に両親の深い愛情も理解できるようになり、いつしか人の痛みのわかる深い人間性を培っていた。

苦難が多かったJr.だが、それでもみんな全力でバカをやっていたらしく「部屋の明かりを暗くして音楽流して、10秒後に明かりをパッてつけたら、裸でローラースケートを履いてる」という“伝説のローラースケーター”もKis-My-Ft2全員が経験ズミと振り返る。こうしてKis-My-Ft2は、各々辛酸を舐めながらも絆を深め、かけがえのない仲間となっていったようだ。