目黒区は坂の多い場所で

名前の付いた坂が数十か所

名前のない坂を含めると

大小数百か所も有るそうです。

 

目黒区健康推進課編集の

「坂道ウォーキングのすすめ」の

本を参照しながら歩いてきました。

 

 

 

 

稲荷坂

 

坂の途中に棘抜稲荷大菩薩(大明神)の

お社が有るので稲荷坂と呼ばれる様になった。

 

 

 

 

 

由来記

 

 

今から655年前国内は南朝北朝に分かれ戦乱の世と成りました

このとき南朝の雄新田義貞公の弟 義興公が鎌倉攻めにあたり

多摩川の矢口に渡しおいて不遇の死を遂げられたので

家臣であった田中家の先祖がこの地に土着して主君の霊を

弔うお堂を建てたのが創まりと伝えられています。

中略

平成四年四月吉日 田中家

 

稲荷坂を登り切って東横線の高架を左に見て

右の道路を進むと謡坂に成ります。

 

謡坂

坂の由来に確かなものは有りませんが

長屋が有り謡が好きな人が住んでいたとか

 

 

 

 

 

蛇崩川支流遊歩道

 

 

 

 

 

蛇崩交差点に向かって進むと

左に目黒区五本木と世田谷区下馬の境の道が有ります

子供の頃は道路の真ん中に木が生えていて

塚の様な物が有って不思議に思っていました。

この近くに仲良しで親しい飲み友達の親子が

住んでいますが由来は知っていたかな?(^^)

 

葦毛塚

 

 

 

 

 

葦毛塚の道

 

この塚については諸説が有りますが

「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記稿)には

源頼朝が乗っていた芦毛の馬が死んだので

埋葬したという話が記されている。

この道は世田谷区の区道で、塚の所在地は

世田谷区下馬5丁目で、下馬一帯の旧地名

「馬引沢」がこの塚に由来するといわれ

昭和5年の区画整理の際、周囲を船形に

コンクリートで土留めして保存する事になった。

 

 

目黒の坂と道と歴史散策・・・続きます。

 

いつもご訪問戴きまして誠に有難うございます。