父の四十九日を1月31日に済ませると、

 

前日から来ていた夫と一緒に、私は一旦自宅へ戻りました。

 

届いていた離職票を持って、私自身の失業保険や

 

健康保険の手続きが必要だったからです。

 

どこでも手続きができるといいのに。。。しかも

 

一度では済まず、決められた日に何度もハローワークへ

 

行かなければならないのです。

 

この2月は、こうして行ったり来たりを繰り返し、

 

月の半分以上も 母の待つ実家へ帰れませんでした。

 

 

私はなんとしても実家に居たかった 

 

と言うのも 2月に入ると、

 

実家に電話がかかってくるようになりました。

 

父の弟、私の叔父からです。

 

 

父の葬儀でも、結局叔父は、父と仲直りしては

 

くれませんでした。

 

叔父は数年前に病気をして、それからというもの

 

記憶や性格がおかしくなっていました。

 

私は父との間の誤解を解こうとしましたが、

 

話に耳を傾けようともしませんでした。

 

 

口を開けば「遺産」しか言わない叔父からの電話は、

 

父のいなくなった家に 一人残された母にとって

 

恐怖でしかありません。

 

「もっとあるはずだ」と言うのが叔父の言い分です。

 

ない袖はふれず、

 

私と妹は 可能な限り実家へ帰るようにしました。