ってな感じに、私には思えます。
私は、国連に背中から撃たれたくはありません。
国連職員に背中から撃たれても文句を言わない人のナント多いことか。
懐かしい事件と懐かしい名前は、突然、現れるものです。
「最期は日本で」
「最期は本名で」
哲学よりも情緒が先に立つのが、寿命を目の前にした時かもしれません。
重信房子が日本に戻ったのも、私は情緒だと思っています。
桐島聡が関与したのは、「韓国産業経済研究所」の爆破事件です。
北朝鮮系ではなく、韓国KCIAの施設だったと思います。
推理小説がありまして、「プラトンは・・」とか「ソクラテスは・・」の題名でした。
三菱重工の爆破事件について、新幹線を利用した道具の搬送や、学習塾の講師が手伝っているとかの描写がありました。
闘争戦士崩れの学習塾や塾講師が居た頃です。
様々なことがあったのが70年代です。
興・亡の時代とも言えそうです。