どのような職業でも、
夢と熱望を持ってやっていると、
目標みたいなのがあると思います。
(現状維持、つまり目標は既に達成しててそこから
落ちないようにしているのみという場合もあるでしょう)
ですが、その職業に就いたからといって、
その職業に於ける究極の到達地点を
多数決や思い込みで勝手に決めるのは
止めた方が良いと思います。
「○○を目指さなければ
△△という職業に就いた
意味なんて無い」
とか
「○○に到達してこそ
△△になった意味がある」
とか勝手な事は言わないで
欲しいと思うのです。
抽象的なので実際の職業で考えます。
サッカー選手の場合だと、
ワールドカップという大会があります。
ですが「夢はワールドカップです」と
言う人間でなければサッカー選手として
不適格なのでしょうか?
世界チャンピオンを目指さなければ
ボクサーとして不適格なのでしょうか?
宮田君と戦えればそれで良いだけの
一歩はボクサーではないと?
マジシャンをやっていると、
マジシャンの夢のステージであるキャスル
とか
マジシャンとしての夢のFISM
とか言う奴が居ます。
全てのマジシャンがキャスルや
FISMを到達地点にしてると
勘違いしてるバカの言う台詞です。
ここはちゃんと
「私のマジシャンとしての目標の~」
と言わなければいけません。
全ての料理人(飲食に携わる者)が
ミシュランの星を目標にしてる訳でもなく
全ての絵描きがルーブル美術館に
飾られる事を目標にしてる訳でも無いのと
同じ事なのです。
ミシュランの五つ星のお店と、
マクドナルドのハンバーガーや
日清のカップヌードルでは
どちらが偉大なのでしょう?
答えは明白です。
どちらも偉大
です。
各人が目的としている物が
そもそも違うからです。
それを理解せずに
「飲食に携わる者としての理想である
ミシュランに星をもらいました」と
囀るは愚の骨頂。
ミシュランの星は
あなたにとっての理想
であり飲食に携わる全ての者の理想
ではないのです。
ミシュランの星は
とにかく美味しければそれで良い
(美味しさを十分に享受できる
店作りを含めます)
というコンセプトで、
手軽さやコストパフォーマンスは
そこにはありません。
ジャングルの奥地でお湯しか無い上に
一ヶ月後でも美味しく食べられる
ミシュランの星の料理がありますか?
どこにでもあって二、三百円で食べられる
ミシュランの星はありますか?
マクドナルドは手軽さ、
カップヌードルは保存を極めた
偉大なる料理です。
料理だからといってミシュランの星が
全ての理想だと勝手に決めつけるのは
愚かな事だと認識すべきです。
自分の理想が自分の携わる職業の
全ての者の理想だと思ってる時点で
ソイツは二流です。
自分がキャスルを目指して
キャスルに立つことができたり、
FISMを目指してFISMに出たからといって
そうでない人間に対して
「俺はお前らの理想の地に
来ることのできた特別な人間だ」と
他者の理想を勝手に決めつけた時点で
どんな偉大なステージに立っても
ソイツは二流でしか無いと思います。
絵描きにとってルーブル美術館が
理想の地だというなら
漫画家はモネやゴッホより
偉大ではないと?
ルーブルに飾られた絵画より
心躍らされる漫画など無いと?
一流の地に到達することが
一流の証拠では無い
こんなことはサルでも分かることです。
己が目的としている作業を
淡々とこなしていった結果、
己が理想とする場所に到達すれば
それで良いだけの事です。
自分が自分のやるべき事をやり、
その結果としてFISMに出ることになったり
キャスルに出ることになったり
テレビに出ることになったりするだけです。
どんなに勝利数を上げても
世界戦を組んでもらえないボクサーや
勝ち星少なくても世界戦に至る
ボクサーがいるように、
世界戦に立ったかどうかで
ボクサーの質を推し量るのは
愚の骨頂だという事です。
自分のやって来た事がFISMやキャスルや
テレビの趣旨と合致したから
出ることになっただけで、
合致しない人間が劣ってる訳でも
合致したから優れてる訳でもありません。
尾田栄一郎も漫画を読む子供達に
ワクワクを届けたいという気持ちで
書いてるにしか過ぎず、
その結果としてルーブルに飾られる日が
来るかもしれないですが、
ルーブルを目的として絵を描いてる
訳では無いのは誰でも分かることです。
そこでルーブルに飾られた絵描きが
「絵描きとしてルーブルに飾られて
ナンボでしょ、ルーブルに飾られる
事も無い尾田栄一郎なんざ
絵描きとして二流って事だ」と
言ったらどう思いますか?
この発言で
この絵描きは二流感丸出しですよね。
自分にとって理想の地が
FISMだったりキャスルなだけで、
それに向かって邁進するのは良い事だけど
「(全ての)マジシャンの理想の
キャスル(FISM)に来ました」と
発言するのは二流感が漂うので
止めた方が良いでしょう。
ちゃんと「"私が"かねてより
個人的に理想としていた
キャスル(FISM)に来ることができました」
と言った方が良いですね。
ルーブルに飾られる日を夢見て
絵を描いてる人も居れば
二、三百円握りしめてワクワクを
求める子供達の為に絵を描く人も居る。
目標も目的も各人が
自分で勝手に決めるのみ
その道を邁進するのみ
だと思うのです。
他者が勝手に決めるものでは無いのです。
夢と熱望を持ってやっていると、
目標みたいなのがあると思います。
(現状維持、つまり目標は既に達成しててそこから
落ちないようにしているのみという場合もあるでしょう)
ですが、その職業に就いたからといって、
その職業に於ける究極の到達地点を
多数決や思い込みで勝手に決めるのは
止めた方が良いと思います。
「○○を目指さなければ
△△という職業に就いた
意味なんて無い」
とか
「○○に到達してこそ
△△になった意味がある」
とか勝手な事は言わないで
欲しいと思うのです。
抽象的なので実際の職業で考えます。
サッカー選手の場合だと、
ワールドカップという大会があります。
ですが「夢はワールドカップです」と
言う人間でなければサッカー選手として
不適格なのでしょうか?
世界チャンピオンを目指さなければ
ボクサーとして不適格なのでしょうか?
宮田君と戦えればそれで良いだけの
一歩はボクサーではないと?
マジシャンをやっていると、
マジシャンの夢のステージであるキャスル
とか
マジシャンとしての夢のFISM
とか言う奴が居ます。
全てのマジシャンがキャスルや
FISMを到達地点にしてると
勘違いしてるバカの言う台詞です。
ここはちゃんと
「私のマジシャンとしての目標の~」
と言わなければいけません。
全ての料理人(飲食に携わる者)が
ミシュランの星を目標にしてる訳でもなく
全ての絵描きがルーブル美術館に
飾られる事を目標にしてる訳でも無いのと
同じ事なのです。
ミシュランの五つ星のお店と、
マクドナルドのハンバーガーや
日清のカップヌードルでは
どちらが偉大なのでしょう?
答えは明白です。
どちらも偉大
です。
各人が目的としている物が
そもそも違うからです。
それを理解せずに
「飲食に携わる者としての理想である
ミシュランに星をもらいました」と
囀るは愚の骨頂。
ミシュランの星は
あなたにとっての理想
であり飲食に携わる全ての者の理想
ではないのです。
ミシュランの星は
とにかく美味しければそれで良い
(美味しさを十分に享受できる
店作りを含めます)
というコンセプトで、
手軽さやコストパフォーマンスは
そこにはありません。
ジャングルの奥地でお湯しか無い上に
一ヶ月後でも美味しく食べられる
ミシュランの星の料理がありますか?
どこにでもあって二、三百円で食べられる
ミシュランの星はありますか?
マクドナルドは手軽さ、
カップヌードルは保存を極めた
偉大なる料理です。
料理だからといってミシュランの星が
全ての理想だと勝手に決めつけるのは
愚かな事だと認識すべきです。
自分の理想が自分の携わる職業の
全ての者の理想だと思ってる時点で
ソイツは二流です。
自分がキャスルを目指して
キャスルに立つことができたり、
FISMを目指してFISMに出たからといって
そうでない人間に対して
「俺はお前らの理想の地に
来ることのできた特別な人間だ」と
他者の理想を勝手に決めつけた時点で
どんな偉大なステージに立っても
ソイツは二流でしか無いと思います。
絵描きにとってルーブル美術館が
理想の地だというなら
漫画家はモネやゴッホより
偉大ではないと?
ルーブルに飾られた絵画より
心躍らされる漫画など無いと?
一流の地に到達することが
一流の証拠では無い
こんなことはサルでも分かることです。
己が目的としている作業を
淡々とこなしていった結果、
己が理想とする場所に到達すれば
それで良いだけの事です。
自分が自分のやるべき事をやり、
その結果としてFISMに出ることになったり
キャスルに出ることになったり
テレビに出ることになったりするだけです。
どんなに勝利数を上げても
世界戦を組んでもらえないボクサーや
勝ち星少なくても世界戦に至る
ボクサーがいるように、
世界戦に立ったかどうかで
ボクサーの質を推し量るのは
愚の骨頂だという事です。
自分のやって来た事がFISMやキャスルや
テレビの趣旨と合致したから
出ることになっただけで、
合致しない人間が劣ってる訳でも
合致したから優れてる訳でもありません。
尾田栄一郎も漫画を読む子供達に
ワクワクを届けたいという気持ちで
書いてるにしか過ぎず、
その結果としてルーブルに飾られる日が
来るかもしれないですが、
ルーブルを目的として絵を描いてる
訳では無いのは誰でも分かることです。
そこでルーブルに飾られた絵描きが
「絵描きとしてルーブルに飾られて
ナンボでしょ、ルーブルに飾られる
事も無い尾田栄一郎なんざ
絵描きとして二流って事だ」と
言ったらどう思いますか?
この発言で
この絵描きは二流感丸出しですよね。
自分にとって理想の地が
FISMだったりキャスルなだけで、
それに向かって邁進するのは良い事だけど
「(全ての)マジシャンの理想の
キャスル(FISM)に来ました」と
発言するのは二流感が漂うので
止めた方が良いでしょう。
ちゃんと「"私が"かねてより
個人的に理想としていた
キャスル(FISM)に来ることができました」
と言った方が良いですね。
ルーブルに飾られる日を夢見て
絵を描いてる人も居れば
二、三百円握りしめてワクワクを
求める子供達の為に絵を描く人も居る。
目標も目的も各人が
自分で勝手に決めるのみ
その道を邁進するのみ
だと思うのです。
他者が勝手に決めるものでは無いのです。