クリスチャンにとって大事なことは、何よりもキリストを信じることであって、それよりも行いが優先されることは間違いだと考える。

神様が助けてくれるから大丈夫と信じるべきところを、良いことしてるから大丈夫とか悪いことしてないから大丈夫とか思ってしまいがちだ。

これは行いによる救いの発想だ。

行いがどうでもいいとは言わないが、良いことをしようとしても悪いことばかりしてしまうのが人間。

だからこそ救いが絶対に必要なわけであり、その救いとは罪の赦しを受けること。

良いことをしないといけないとか悪いことをしてはいけないとか脅されて、それで良いことをしたとしても、または悪いことをしなかったとしても意味はない。

それは信仰ではない。社会的には認められても、神様の目には不信仰とうつるだろう。

行いの良し悪しは信仰の結果である以上、行いが悪いなら信仰に問題があるのだと認める必要がある。

そして信仰というのは、全ての罪は赦されるということを信じきることで、そうして神様の愛を受け取った人間はかえって行いも良くなるというのが、聖書でいうところの、信仰に行いが伴うということ。

完璧な信仰の人間はいない。むしろほとんどのクリスチャンの信仰はとても薄い。目に見えない神様をいつも信じきることはとても難しい。
しかし、そんな信仰でも神様は赦してくれると信じることが信仰だといえる。