比較する為に、「古事記」での記述。
日付はなく、重要な部分で日本書記と違う。
古事記は日本書紀での矛盾を無くし、物語として成立させているととらえている。
★前の記事
★目次
☆1 仲哀天皇の項
☆2 天皇と神功皇后の神がかり
☆3 新羅遠征と応神天皇の誕生
以降、中村啓信 訳注「古事記」角川ソフィア文庫 参考
仲哀天皇の項
まず、「仲哀天皇」の項はこれだけ。
後は神功皇后との場面になる。
*帯中日子(たらしなかつひこ)天皇(仲哀天皇)は、穴門の豊浦宮と筑紫の香椎宮に来て、天下を統治した。
*大中津比売命と結婚して、香坂王と忍熊王が生まれる。
*息長帯比売命(皇后)と結婚して、品陀和気命(ほんだわけみこと)
*品陀和気命の名の由来、腕に聖なる印、弓を射る時にまく鞆(とも)のようなお肉があった。
后の胎中にいながらにして、国を統治なさったということが分かった。
天皇と神功皇后の神がかり
仲哀天皇は熊襲を討とうと、筑紫の香椎宮に行く。
息長帯比売命が神がかりをした時、建内宿祢(武内宿禰)命大臣も祭場にいた。
天皇は琴を弾いて、神託を求めた。
神は「西の彼方に国がある。宝物がたくさんある。我は今、その国を天皇に帰順させ授けよう」と言う。
天皇はそれを疑う。
「高い場所に登って西を見ても海ばかりで国は見えない」
御琴を弾くことをやめた。
神が酷く怒った。
「もはやこの天下は、あなたの統治なさるべき国ではない。あなたは一筋の道にお行きなさい」
建内宿祢大臣は天皇に弾くことをすすめる。
天皇は生半可に弾いたあと、そのまま崩御。
香椎宮*古宮跡
次の日、再び神託を求める。
神は「この国は皇后の体内におられる御子の統治する国である」
宿祢が聞くと男子と言われる。
続けて神の名を聞く。
「この神託は天照大神の御意思である。また我は住吉の底筒男・中筒男・底筒男の三大神である。
これから西の国を求めようと思うのならば、住吉の御霊を船の上に鎮座させ、渡海するとよい」
新羅遠征と応神天皇の誕生
★海を渡り新羅へ。
新羅国を御馬飼と定め、百済国を海彼(かいひ)の屯倉(みやけ)とした。(国を渡ったところにある直轄領)
皇后は御杖を新羅の国王の城門に衝き立て、住吉大神の荒御魂を国を守る神として祭り鎮めて、海を渡り帰還した。
★応神天皇の聖誕
海を渡る前に臨月になった。
そこで石をつけて出産を引き延ばした。
新羅から筑紫に帰り、宇美で出産。
香椎宮の応神天皇を抱く武内宿禰の像
*その前に、玉島里で魚釣り*四月上旬。
→「日本書紀」では、三韓征伐に行く前。
香坂王と忍熊王の反逆。
筑紫から大和に戻る。
二王を倒す。
建内宿祢は御子と共に、越前の敦賀へ。
気比大神と御子が名を交換する。
( つづく )
記事内の考察や写真、イラストなどの使用は著作権のルールに沿ってくださいますようお願いいたします。
*******************************************
X(Twitter)
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
小分けなので分かりやすいかもです
フォローお願いします
https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09