絵と記事の内容は関係ありません。
ドラゴンタトゥーの女 鉛筆 PC加工
彼女の強さが好きです。

今日、歯医へ行ってきました。そこの院長とは長い付き合いで、哲学的な話や自然科学の話などする仲です。

小林君は、難しいことを考えるのを控えた方が良いと言われます。

思考していると確かに不安になる。でも、安心することは思考停止と同じだから、安心して思考するということは背理です。思考と不安は切り離せない。思考することは不安そのものです。

なので、あらかじめ方向性を規定された「思考の枠」の中で、いくら科学者ですと自慢したところで、彼らは、やはり単なるサラリーマンなのです。

歯医者の帰り、電車内で、化学の教科書を読んでいる女子高生を見かけました。イオン化エネルギーと電子親和力、電気陰制度などの内容が目に入りました。

彼女の頭のなかでは、物理と化学と生物はつながっているのでしょうか。高校の教科書に書いてあることはたった一つの正解のあることで、アカデミックに進むとたった一つの正解のようなものがなくなることを知っているのでしょうか。そんなことを思いました。

科学は近似にすぎない。数学的に言えば、非線形項を無視した線形近似。あるいは統計的な、経験科学的なもの。科学が万能であると思っているのなら、それはあなたの勘違いです。

ファインマンは、たしかこんな言葉を残していたと思います。

真理の頂には、人類はたどり着けないでしょう。何故?が生まれ、それに対する何故なら~という答えは、新しい何故?を生むのです。

思考やめられないですね。


2011年から更新していなかったアメブロですが、この間、絵を描いていなかったわけではありませんで、気がのれば描いておりました。

しかし、ブログを再び開いた今は、なんの創作意欲もわかない状態です。


久しぶりの日記の投稿になります。

簡単に今までの経緯を書くと、2015年の下旬に母が浸潤性乳管癌で、全身の骨や肝臓に転移を起こした末期癌だと分かり、その治療等のために母と二人で現在すんでいるところに去年の4月28日に引っ越して、放射線照射による骨転移箇所の疼痛抑制や、ホルモン治療、分子標的薬の使用等を続け、最終的には緩和治療となり、2016年9月15日に母はホスピスで息を引き取りました。享年68歳でした。

母が亡くなった後、何度も、まだ母が生きていて、自分が治そうともがいている夢をみているのですが、昨日の夜も、母と、まだ母の癌を治そうとしてる自分が夢に出てきました。私と母とで海外(中東のようだった)まで行き、立派な病院に入院し、自分はまだ必死で母の癌を治そうともがいていました。

夢の後半で、話の展開の矛盾や、状況のおかしさに気がつき、家族の誰か(誰なのか定かでない女性)に、この状況のおかしさを伝えると、その誰かが「だって、もう死んじゃったからね」と、穏やかに答え、そこで目が覚めました。今月、脱水症状になり、それは治まったけれど、それ以降、中途覚醒等、不眠症状が続いてて辛く、母のことや、自分の家族の人生について考え、心の整理がつかないでいます。