本日は天才音楽家モーツァルト!…に嫉妬していた凡人の映画です😅
世の中には天才より凡人の方が多い。天才には勝てない、才能がないと思った人に自分にはどんなことができるか教えてくれる作品。
テーマ
美しい音楽と映像、そして天才に限りなく近い凡人が努力しても天才には勝てない凡人の嫉妬と苦悩の末の悲劇を描いた良作でした。そして『アマデウス』は、天才の崇高さと凡人の可能性…あらゆる人間に与えられた能力に対する壮大な賛歌でもありました。そして単純に凡人は天才に勝てないというだけでなくそれでも生きていくことの切なさ、哀しさ、そして素晴らしさを描ききれています。
タイトルの意味は?
「アマデウス」とはモーツァルトのミドルネームです。しかし同時に、ラテン語で「神に愛される」という意味でもあります。題名がモーツァルトでないのは彼が神に愛された人間であるという要素が詰まっています。ただモーツァルトを描いているようで、実はサリエリの物語でもある。モーツァルトにスポットを当てているように見せながら、実は2人の音楽家を対比させて描いているのだ。天才の話だけではあまりにも感情移入がしづらいため追い越すことのできない存在であるモーツァルトを前に、様々な方法で挑みつづけるサリエリは、「努力型の秀才」であることの悲しさを見せてくれ、そのためこの映画ではモーツァルトではなくサリエリに感情移入して見てしまうという人も多いのではないでしょうか。
天才とは
あらゆる分野の天才と呼ばれる人も、その才能は圧倒的で、ライバルたちにとっては脅威であり、残酷なものになります。天才とは、努力ではどうやっても差が埋まらない人の事をいうんだと思います
違う道での天才になれる
当時の音楽家達のパトロン的存在であった貴族階級にはモーツァルトの音楽は奥が深過ぎて理解できない代物として描かれている。そんな中サリエリだけはモーツァルトの音楽の最高の理解者であった。モーツァルトとは異なる凡人達の中にも、やがて彼らを見出すこととなるサリエリのような天才的な鑑賞者が埋もれている。
努力の天才でありそんな努力家の彼だからこそ最後までモーツァルトの音楽を理解していた。
天才モーツァルト
サリエリは身分を明かさぬまま、レクイエム(葬送曲)の作曲を彼に依頼する。それはやがて自分が殺す相手に自分自身のレクイエムを、そうとは知らずに書かせ忙しい彼を追い詰め仕事をさせようという残酷な試みだった。
そして二人の共同作業は愛情が芽生え、モーツァルトの神々しい音楽が誕生する瞬間を目の当たりにする体験であった。彼は最高に感動し興奮しただろう。
神童と呼ばれ神に愛された男が一般人と同じように墓に放り投げ出されたのは事実であり驚きです。
モーツァルト作品の題名の後に‘K’と続いて番号がよく記してあるのは、曲が作られた順番を明確化すると同時に、ケッヘルの偉業を示すためだろう。番号は1から626まであり、最後のK.626こそが作中で死に際のモーツァルトが命懸けで作曲したレクイエムに該当する。
モーツァルトのように音楽だけずば抜けて天才でその他は幼稚で何もできない人というのは本当にいるらしく。実際にこれと全く同じ状況の第2のダヴィンチと言われる女の子がいたらしいが他の勉強を教えたところ絵の才能が消えてしまったとのことです。他にもジミー大西さんのように絵に類まれなる才能を持ちそれ以外は衰えている。絵や音楽に脳が侵食されてる天才は実際にいるみたいです。
〜豆知識〜
おじいちゃんになったサリエリは特殊メイクだそうで、素晴らしい老け顔です。
モーツァルト役のトム・ハルスはピアノを猛特訓し、劇中の多くの場面で代役や吹替え無しでピアノを弾いている。指揮法についてもネヴィル・マリナーのトレーニングを受け、マリナー曰く「たぶん彼が音楽映画の中で最もちゃんとした指揮をしていると思う」とまで言わしめた。
・劇中のモーツァルトは下品な高笑いをするが、これはプラハのある高貴な女性がいとこに出した手紙「モーツァルトのケダモノのような笑い声を聞いて卒倒した」が元ネタ。さらに当時はモーツァルトや音楽家は家庭教師として食べていくしかなかったそうです。
・映画の冒頭でサリエリは神父に身の上を語り始めるが、その時点ではまだ窓の外が明るい。映画の進行と共に暗くなって背後のロウソクも短くなり、映画の終わりには再び外光が戻る。そしてラストは神父のヒゲが少し伸びている。つまり、サリエリの告白は一昼夜も続いたということ。
・この映画には出てこないですが2台のピアノのためのソナタはモーツァルトが生徒に教える為に作られた曲ですが、自ら音楽の楽しさを思い出す為に作られた曲だそうです。