年賀状を頂いた方に、また日頃お世話になっている多くの方にこの場を借りてご挨拶させて頂きます。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

改めて習慣は大事だと思う。月に5回ペースでBlogを更新していたが一度途切れるとなかなか元のペースには戻らない。継続は力なりというのは本当だ。さぼっていた分半年分まとめるとかなりの長文だ。

慶應大学ソッカー部の2011年は心に残るシーズンだった。
それはリーグ戦3位、インカレ出場、全国3位という結果だけではない。慶應で指導に携わった最初の年の1年生が卒業することもあり自分にとっても一区切りの感のある一年を充実して過ごすことが出来たからそう感じたのだと思う。
この4年間色々な変化があった。
一番大きな変化は以前「特別」だった事が今は「普通」になった事だ

一昨年の主将だった中川がBlogを書いていたので
「へーっ、彼はこんなことを考えているんだ。こんなことを実践しているんだ。」
というのを知り良く感心したものだ。シーズン後半チームが勝てない時トップチームのパフォーマンスだけの問題では無く、AからCまであるチーム全体の一体感が不足しているのではと考えた。一体感を持つために主将自らBチーム、Cチームと異なるカテゴリーの練習に出ようとしたらしい。中川が練習に行くとそこには当然のように副将の織茂が同じ事を感じ、同じ気持ちで練習に参加していたことが書かれていた。
トップの人間が同じ危機意識で物事を実践できる組織は素晴らしい。

同じ時期主務から部室の乱れを指摘され、一切の隙を見せないように清掃から徹底したことも書かれていたと記憶している。結果が伴わない時にトップが何を考えすべきか?
結果を出すためにどこまでも貪欲に突き詰める姿勢の重要さは一般社会でも必ず通用するはずだ。実際中川や織茂の評価は色々なところで耳にする。どれも嬉しいものばかりだ。

今年のチームに話をもどそう。リーグ戦後半一つでも負けるとインカレ出場が危ぶまれる時でも、トップチームの選手は日吉で練習を終えた後控え組の試合、Bチーム、CチームのIリーグの大事な試合で本当に一生懸命声を出して応援をしていた。それがアウェイの試合でも駆けつけていた。トップチームであっても他のカテゴリーの試合の時には与えられた役割を当然のようにこなしていた。彼らのその姿勢に対する仲間達の感謝の気持ちと部の一体感が大学リーグNo.1(と思っている)のスタンドからの途切れることの無い素晴らしい声援の正体だ。

リーグ戦最後の2試合早稲田戦、筑波戦は本当に後が無い試合だった。その時合宿所の周辺は落ち葉が綺麗に片付けられ、部屋の中はそれこそチリ一つ無いくらい掃除されていた。
わずか2シーズン前、試合に取り組む心の隙を仲間指摘され、そこから修正していったチームの経験を経て、どんな小さな事でも細心の注意を払う姿勢は今の慶應の試合前のルーチンになった。
これが90分の試合の中で例えプレーが途切れている時でも、ボールに直接関わっていない全ての選手があたかもOn the ballのプレー時のように細心の注意を払い続けるメンタルの醸成の背景だ。

チームから個人に目を向けると今年のチームから5名のプロ選手が誕生する。
この事はソッカー部創設以来初の出来事だろう。そうした中には入学時から注目されていた選手もいた。しかし殆どの選手は大学でのクラブ活動を通してプレーヤーとしても人間としても成長したことによって、プロという小さい頃からの夢を自らの手で勝ち取ることが出来たのだと思う。

田中奏一が早慶戦の2日後北九州の練習に行った時、初日の練習を終えた後肋骨が折れていたという報告を受けた。1週間の予定での練習参加は当然キャンセルになるかと思っていたが、怪我した状態で北九州に残った。奏一が北九州から高い評価を受けた理由は大きく2つあった。一つは練習が出来ない時の取り組みだ。怪我が多かったそれまでの状況を改善するために徹底的にトレーナーと向き合っていたようだ。そしてもう一つはその後の練習参加で見せたプレーの面だ。ところが評価されたプレーはスピードを武器にした攻撃参加という彼の本来のストロングポイントではなかった。そういうストロングポイントは当然評価されたが三浦監督の評価はむしろ守備の面の評価が非常に高かった。それも1対1というOn the ballのプレーだけではなくポジショニングや常にAlertな状況で試合に臨むといったオフのプレーの評価だった。岡山での練習参加時真中コーチと何度か話したが彼からも奏一の練習に対する取り組みの素晴らしさを聞くことが出来た。インカレで怪我をおして頑張った彼の事をFacebookで少し触れたことがある。真中から奏一を心配したコメントが戻ってきた。
「怪我大丈夫ですか?彼にとってのサッカー人生はまさにこれからなので花開くよう力になっていきたいと思います。」
チーム合流前から気にしてもらえる彼は幸せだが、それだけのことを感じさせたのは彼の人間性だろう。右サイドであれ左サイドであれ彼がJの舞台でピッチを生き生きと駆け巡る姿を見るのはとても楽しみだ。

日高慶太が本気でプロを口にしたのは4年生になってからだ。彼が大学でレギュラーになったのは3年生の後期からだ。技術の高さ、運動量の多さがありながら周りの評価にバラつきが出るタイプの選手だ。見る人によっては軽さや一生懸命さを感じさせないプレースタイルに映ったのかもしれない。しかし練習参加した北九州や鳥取の監督からのフィードバックは嬉しいものだった。単なる捌き屋ではなくゴールに直結するプレーへの要求は頂いたものの、アフターの練習の取り組み、悪環境での試合での戦う姿勢とイマジネーション、守備のポジショニングと運動量は高く評価してもらえた。
「プロのチームの練習参加だから特別に頑張るのではなく、自分のチームでいつでもやることが重要だよ。」という三浦監督や「BOX内でのプレー」を要求した松田監督の言葉は間違いなく慶太のその後の練習への取り組みとプレースタイルに影響を与えたと思う。
スタンドから彼を応援する声は「セクシー慶太」だ。アウトサイドや足の裏を巧みに使って相手を抜き去るプレーやトリッキーなプレーがセクシーなプレーだと表現されたのだろう。しかしインカレ初戦の福岡大学戦で同点ゴールを決め、延長戦に入る時にスタンドに向かって「俺たちに力をくれ!」と叫び、顔面骨折という大けがを負いながらも勝利の為に走り続けたプレー姿こそが彼の本質なのだと思う。最終的に山形への入団を決めたが、GMからの評価は技術に加えて、決定力、運動量と闘う姿勢だった。まさに慶太が夏以降に自ら身に付けたものだ。

河井の終盤のプレーは見ていて惚れ惚れとした。味方からボールを引き出す力、ギャップでのボールの受け方、味方の選手の活かし方、効果的なスペースの認知力…
少し大袈裟だけどバルセロナの中盤に入れてみたら普通に出来てしまうのかもしれないとさえ思わせる。しかし最初から何もかも出来たわけではない。技術的なものは元々高かったが、それを外ではなくゴールに向かうプレーに変えたのはこのチームで過ごした4年間が大きかったと思う。このチームで勝ちたいと思う気持ちが彼のプレーの成長にも大きく影響があったと思う。
一つだけ注文付けるとしたらPKか…
最終戦終了後最後まで冷静で人前で涙を見せなかった河井の悔しさを思いっきり表現した声を聞いたのは人目に触れないシャワールームからだ。この悔しさは必ず彼を成長させるはずだ。清水で同期の大前や未だ輝きを失わない小野伸二やユングベリとの共演は考えただけでもわくわくする。中町との直接対決も楽しみだ。

テソンはワールドカップの前の年の流通経済大学戦を見た代表スタッフから興味があると問い合わせを受けた選手だ。その時テソンのプレーと将来性に長友の代役位に惚れ込んだのがワールドッカップ南ア大会の代表コーチ、元日の天皇杯決勝で指揮を執った京都の大木監督だ。秋に京都の練習参加した後に、大木監督から「2年前に見たテソンがさらに成長していた。」と心から喜んで電話してきたくれた。そんな監督の元でプレーできる彼は幸せだと思う。サイドバックでありながらあの高さ、左足のキック、ロングスプリントがプロでどのような花を咲かすのか楽しみだ。

5人目はまだ契約前ということもあるのでここでは書けないが、チームのGMは彼の人間性に惚れ込んでいる。数年後左腕にキャプテンマークを巻き、堂々とJの舞台で活躍する姿が目に浮かぶ。

残った下級生の選手の中でプロを目指す選手がいると思う。何故敢えて一人一人の事触れたのか?プロの選手になるために技術や体力は当然必要だが、今年プロになった選手たちから、それが全てではないということを少しでも感じてもらえればという思いからだ。

選手としても頑張ってトップにも絡んだ松田を中心にした慶應のスカウティングのスキルとミーティングは贔屓目ではなくプロ並みのレベルだと思う。今のミーティングの形態になって5年目を迎える。5年間常に進化を続け、その進化は止まることはないはずだ。単なる現象の報告ではなく起きた原因を仮説、検証、発表という一連のプロセスを通して伝えたミーティングは選手の考えるレベルに大きな影響を与えたと思う。
目標は達成できなかった事は残念だがそれでも全国3位というのは大躍進だ。彼らが1年生の時は関東リーグ2部でインカレの出場資格を巡る戦いさえ許されていなかったのだから。試合前にテクニカルスタッフに対戦相手の事を聞きに行く選手の姿、試合後に学生のトレーナー、主務、副務等裏方スタッフ達と抱き合う姿を見ると本当に嬉しくなった。試合に出られなかった選手たちによる途切れることの無い声援を送り続ける姿を見ると胸が締め付けられた。それはお互いの役割を十分にリスペクトしていたからだ。
そしてリスペクトする気持ちをお互いに持ち合えることがチーム力なんだなと改めて気付かされた一年だった。
そんな一年も終わり新しい年が始まった。
変えてはいけないことと変えなければいけないことがあるはずだ。
卒業する4年生はもう十分に体が温まったはずだ。次のステージで新しいチャレンジをして欲しい。
残った選手達はそんな4年生の背中からたくさんの事を学んだはずだ。自分達より若い世代に胸を張って残せるものを作り上げていってもらいたい。
それぞれの新しいスタートが輝けるものであることを心から願う。