もうすぐ被災から3週間が経つ。テレビのCMも少しずつ増え、お笑い番組も流れるようになり少しずつ平静を取り戻しつつある気がする。しかし、ファミレスに行っても飲み屋に行っても通常メニューが無いところがまだまだ多い。
本当に昔に戻る事はもしかしたらもうないのかもしれない。
一方被災地ではまだまだ厳しい状況が続いているようだ。テレビでも現地に状況が流れるが未だに毎回泣きそうになる。現地に出かけて働いている先輩からのメールが転送されてくる。
『よく見たら明日(今日)から週末らしいのだけど、曜日の感覚が全くなくなりました。
発災から何日連続勤務なんだろう…。

マスコミは原発関連が多いですが、こちらの方では、まだまだ先が見えません。
遺体捜索でも、自衛隊側だけで毎日300体以上を見つけています。
あわせて、個人の思いが少しでも残るもの、アルバムやノート、手帳など、をみつけると、必ず回収もしています。

そう言えば、テレビで映る廃墟のような風景、なのに必ず一本のきれいな道があり、その道路上でキャスターがマイクを握っている。
ちょっと不思議に感じませんか。

本当の現地には、道もなければ道らしきものもなく、一面の廃墟なんです。
捜索が終わるまでは危険地域として立ち入りが禁止されてます。

そこにまず自衛隊が入り、道になりそうなところを、少しずつ捜索しながら進んでいきます。途中、ご遺体などの回収が終わると、重機材が入って道を作っていき ます。そのあと拡幅しつつ、ある程度捜索が終わると、規制が解除されマスコミとかが入り現地映像付きのニュースとなります。

その頃、自衛隊は次の地域へ…

そんななか、ライナー(鉄帽みたいなやつ)に全員シールを張って、復興に少しでも寄与することになりました。

さぁ、また頑張ります('◇')ゞ』

『テレビでは原発関係が多いのですが、こちらではまだまだ万を越える行方不明者(捜索)、20万の避難者(給食、給水、入浴、輸送などの民生支援)、道路啓開、瓦礫撤去…、などやることはほんの少しも減ってません。

ところで、先輩から慰問品を送りたいとのメッセージをいただきました。

本当にありがとうございます。

されど、いまの私たちにはもったいないほどのお気持ちの話がありますが、全てご遠慮させてもらってます。

被災者全てにまだまだ物資が至らない段階では、いただけないのです。
全国、どこの部隊でも個人でも同じです。お気持ちだけ大事にいただきます。

実際、我々が災害派遣で活動する際は、避難所で避難者の皆さんが全員暖かい食事を食べるまでは、作ったり配食はしても、自分たちは食べないのです。
缶詰です。

避難者に行き渡らないのに、自衛官が食べることはないのです。

野外入浴所で勤務する隊員は、皆さんが入浴しても例え残り湯でも自分たちは入りません。
避難者全員が入れるまで、入れるわけがないのです。

これらは、先ほどと同様、全国、どこの部隊でも個人でも同じです。

皆様からのお気持ちだけで、十分にまだまだ戦い続けられます。

ありがとうございます。』
そこに行かない自分達が出来る事は何か?少しでも出来る事、それがどんな小さい事であってもこつこつと継続する事。ただそれだけだ。でもそれをみんなでやれば大きな流れになる。