当然だけど八百長は非常に良く無い。スポーツに関わる人が絶対に行ってはいけない行為だ。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がある。
確かその文字が青学大のグラウンドに大きく貼られていた。
Wikiquoteによると
「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に何か負ける要素がある。勝ったときでも、何か負けに繋がる要素があった場合がある」
という意味とあった。勝負事なので勝つ事も負ける事もある。それが100%実力差とは限らない。試合に勝った時にラッキー、アンラッキーという要素は必ずある。しかしラッキー、アンラッキーという目に見えない最後の機微は勝ちに対する貪欲さと日々の準備の結果だ。ただ、結果的に勝ったとしても技術的に日々の努力が十分に反映されなかった場合もある。そういう場合は不思議な勝ちなのだろう。
不思議な勝ちではなく当然の勝ちにするために更に努力を続ける事が大事だ。
一方不思議な負けは無いと思う。例えば圧倒的な技術差の2チームがサッカーの試合をした時ボール保持率はそれこそ70%対30%あるいはそれ以上の時さえある。これはスタイルの差では無くまさに実力差の反映だ。しかし保持率が高いチームが0-1で負ける事もある。それは不思議な負けなのだろうか?本来勝つ力があるチームが相手を見下して試合をする。一方最初から相手のことをリスペクトしているチームが徹底的に相手を分析し、必死で戦ってきたとする。その試合の負けは不思議ではない。当たり前だ。勝ちに…負けに…という言葉は勝っても負けても何かのせいにせず謙虚に結果に向き合いながら精進していく事の大事さを表現した言葉なのだと思う。
こういう向きあい方が出来るからスポーツは人の成長を促す事が可能なのだ。
八百長はそれを根底から覆す事だからいけないのだ。
ただ一方で相撲の八百長問題で考えなければいけないのは、相撲は純粋なプロスポーツなのかどうかという視点だ。例えばプロレスの勝ち負けをめぐって大金をかける人はいるのだろうか?プロレス自体は体を相当鍛錬して厳しいぶつかり合いに堪え、人々を楽しませるエンターテイメントのプロとしては十分なものだ。しかし真剣な勝負事とはやや異なる。では相撲はどうなのだろうか?純粋なスポーツと言い切っていいのだろうか?良くテレビでぶつかっては倒れる稽古の場面を見る。あれはそういう稽古なのかもしれないが、違和感がある。サッカーの1対1の練習でひたすら抜かれる練習もひたすら取られる練習もしない。その場面からガチンコだ。実際の試合を想定したトレーニングを常日頃から心がける。相撲のそういう稽古一つ見てもガチンコと興業入り混じっているような気がしてならない。相撲はスポーツなのかあるいはある種プロレスのような娯楽なのか。そこを明確にしておかないと八百長しているから悪いという極めて当然の決着になってしまう。相撲は昔は興行的な意味合いがあったがいついつから真剣勝負の場になったのですが、そこが徹底できていませんでした。にも関わらず勝負心を受け付けるために十両と幕内の給与格差を広げてしまったことによって今回のような問題が起きてしまいました。とかいうのであれば一応説明はつく。八百長をやったやらないの調査だけでは無く、相撲そのものについても説明してもらえればと思う。親方たちの顔つきを見ていると力士だけを責めるのが心苦しいというような顔をしている気がしてならない。