8/6 広島原爆投下の日を前にして、数年越しにやっと足を運びました。
資料館は現在、改装中なので本館は閉鎖されています。
東館に本館にあった展示物なども移動して展示されています。
まず入ってすぐにある「原爆投下数時間後」の写真。
そのパネルを見ていたら、隣にいらしたボランテシアの男性がその写真について話してくださいました。
爆心地から2~3kmの現在、ゆめタウン広島がある辺りだそうです。
警察署の前に避難してきた人があふれ、警察官と思われる男性が、署にあった食用油を怪我を負った人たちに分けている様子だそう。
投下から2~3時間後の写真だそうで撮影された方も中国新聞社の近くで被爆したそうです。
写真は人々の後ろ姿です。
正面からの姿はとても撮影できるものはなく、後ろ姿にシャッターを切るのも迷いで中々シャッターが切れなかったと話されたそうです。
撮影された方はご健在のようですが、たった数時間の写真を残してくださった勇気に感謝したいです。
それから水を求めて歩く蝋人形。これは小学生のことから何度も見ていますが役10年ぶりに目にするとやはり鳥肌がたちます。
また、以前はなかった「ふれてください」という展示物。
被爆したもののなかでも、瓦など放射線物質が残っていない人体への影響がないものに触れるようになっていました。指先で触れてみましたが、その感触から恐怖と怒りを感じとりました。
そのまま映像や「人影がのこった壁」など見て回りましたが、最後の放射線のコーナーへ辿り着いた時、心臓がはねました。
幼いころに聞いた祖父の話の数々。それが目の前に展示されていたんです。
母からは「資料館からは放射線が多く残っていて展示するには人体への影響があるため外に出せず保管しています」と聞いていました。
だから、祖父が被爆した時に来ていたシャツは放射線が取り除かれない限りは目にできない物として思っていました。自分が覚えておけるのは、祖父にお願いして何度も教えてもらった被爆当時の話。それだけだと。
だけれど、前回のリニューアルの時、2002年3月から祖父のシャツは展示されていたそうです。
(観覧後にどうしても知りたくて資料館の方に問い合わせに行きました)
資料館の方の話によると、
「黒い雨を浴びている中でもこれだけ状態の良いものはなく、こんなに貴重な品を寄贈していただいて本当に感謝しております」
とのこと。
本来なら感謝されるのもおかしい話ですが、これは祖父が後世に語り継がなければならないと思ったから寄贈したものだと思います。


祖父は2003年になくなりました。展示から10ヶ月後の事です。
もし展示を知っていたなら、祖父を連れ立って資料館に行きたかった。祖父は見たくないかもしれないけれど、貴方の想いがちゃんと形になり世界中の人に伝わっているんだ、と。
今週末、祖父のお墓参りに行くので報告してこようと思います。
残念ながら、祖父の形見が手元には何もないのです。だから、今日、こんな形で祖父の形見に逢えると思っていませんでした。
その場に祖父がいると思いました。人目もはばからず泣いてしまいました。これを書いている今も涙が出てきます。
お願いです。どうか戦争に人の命を駒に使わないでください。
関係のない民間人がどうしてこれだけ苦しまなければならないのか。
今の日本があるべき姿は、違うのではないのだろうかと。
祖父の事を調べると色々出てきました。祖父の証言が、そのまま世界中に触れられる場所にあると知りました。
記事はこちら
平和データベースにも載っていました。
広島に来た際にはぜひ、平和祈念資料館へ足を運んでください。
私自身もまだ長崎の資料館へ行ったことがないので足を運びたいと常日頃から思っています。
被爆3世として、知らなければならないと思いました。
お願いです。皆さんも核爆弾について知ってください。
戦争がどんな結果をもたらすのか、ニュースでも流れていますが、もっと知ってください。
他人事ではないのです。
私たちの祖父や沢山の方が苦しんだ過去をなかったことにしないでください。


