
先日、千葉県多古町の日本寺にて開催された「平家物語の夕べ」を鑑賞してきました。
詳細は検索すれば分かりますので省きます。
日本寺は、僧侶の学舎として機能した歴史あるお寺で、
森に抱かれるかのような現在の佇まいは、釈迦の最後の言葉を具現しているように思われました。
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「平家物語の夕べ」は、がさつな日常に翻弄され続ける現代人には幻のようなひと時でした。
言葉で、現代語で、表現することはおそらく出来ないことでしょう。
私は、祇王その人を目の当たりにしたかに感じました。
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西洋文化の模倣が氾濫する時代に生まれ、それらに価値観を見出し、
まるで、異国を訪れるかのように、我が国の歴史に触れる。
そんな生き方を哀しんだひと時でもありました。
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私は神社に併設された幼稚園に通って育ちましたので、
神様といえば神社におわすお方のことであり、釈迦を信仰していません。
ですが、釈迦の残した叡智ははかりしれず、今も私たちに生き方を示し続けています。
開演前に、僧正からご挨拶の言葉がありました。
まるで私に向けられているかのような教訓の含まれたご挨拶に、
仏教を通じて日本人が学び得た人の有り様が凝縮されており、深く心に響いたのです。
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修行僧達の学びの場であった土地は森へ還り、今は紫陽花がみごととのこと。
“時は移ろい流れゆく”
祇王も、平家も、栄えた寺さえ、往年の面影を偲ばせるのみ。
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帰路、国際空港を飛び立つ飛行機を見上げながら、
徐々に増す街の灯に包まれながら、
携帯電話の着信を確認しながら。
何もかもをガラス越しに見つめるような現代社会と、私。