当時16歳だった自分は、その意味が全く分からなかった。
しかしその言葉は十数年の間、頭の片隅を度々横切っていた。
尾崎豊が亡くなってから発売された、そのアルバムの中に「優しい陽射し」という楽曲がある。
その中で彼は、ある1つの答えを出している。
暮らしを彩る事、色々な物を増やしたりしても虚しいだけで、現実の解決には何もならない。
答えは人と人との生活を育む事。
「育む」と言う言葉を考えた時に、そこにはお互いに努力して行く事であると考えられる。
自分自身も数年前に離婚を経験し、振り返ると努力が足りなかったのではないかと思う。
夫婦と言えども他人であり別の性別の生き物。
当時はお互いに依存し過ぎて、お互いが頼り過ぎて居たのかも知れないと。
夫婦、家族と言えども、それぞれにそれぞれの役目があり、個々にその役目を全うする努力が足りなかったのではないかと思う。
きっとそれが依存とは違う信頼と言う形になり、家族として成り立ち営んで行けるのではないか?
と感じている。
少し前に、「ありのまま」と言う言葉が流行った。
「ありのまま」とはなんだ?
離婚をする前、まさしく自分はありのままに近かったのかもしれない。
これを読んで下さっている方の中にも居るかもしれないが、恋人との別れ際、特に言い争いになった時、「分かった」と言う言葉を使う事がある。
「分かった、そういう人だったんだね!」とか..........
そう、相手を分かった時に、その間柄は終焉を迎える。
相手に依存し過ぎる、若しくは本音に近い事を言ってしまうとこうなるのかもしれない。
結局の所「ありのまま」はあり得ない。
極論かもしれないけれども、人は孤独でありそれに打ち勝つ事。
それが生きて行くこと..........なのかもしれない。
「生きること、それは日々を告白して行く事だろう」
30代の後半になり、やっと自分自身の答えが出た。
そして、現在40歳それは実感へと変わった。
仕事にしろ何をするにしても、他人は騙せても自分は騙せない。
今日は頑張ったのか?サボったのか?ミスしてしまったのか?
一日の終わりに自分の中で、確認する事が誰しもあるはずだ。
多分、そういう事だろう。
ミスしたけど、挽回して精一杯やった。
今日はうまく一日過ごせた。
ふとした、気の緩みでサボってしまった。
色んな一日がある。
人は努力しそれぞれの役割を果たさなければ、ならない。
「後ろのドアを閉める」と言う言葉を聞いた事がある。
自分が逃げない様にと言う意味らしい。
抜け道を探すのではなく、今ある事柄に傾注する事だと思う。
世の中には見せかけの希望が、沢山転がっている。
その度に、自分はこう呟く。
「生きること、それは日々を告白して行くことだろう」
