The private page of a master -2ページ目

久ぶりの日記・・・2005.05.12

IT!IT!IT!と騒ぎ出してもう何年になるだろか?

確かにIT技術のおかげで便利になった。

ここ舞鶴にいながら、海外のショップに

注文することだってできる。

お気に入りの曲をダウンロードして

すぐ聞くことも可能である。

知りたい情報を瞬時にして手に入れるこだってOK!

しかしながら...shikashinagara....なにかがおかしい。
余裕がなさ過ぎるのである。

所謂”あそび”が無いのである。

自動車のハンドルのあの”あそび”のことである。



私にとってギターとは!?(my hoby)2003.03.02  

私が初めて自分のものとしてギターを手に入れたのは

中学一年生(1970)の時でした。

両親が商売をしていた関係で

自宅は商店街の中にありました。

もちろん、その商店街には楽器屋さんもありました。

最も我家に近い楽器屋の店の奥に

一台だけフォークギターが吊るしてあり

他のギターは総てガットギターでした。

当時のギターに関する知識は、

ガットギター(ナイロンの弦で弦高が高く、

ネックの幅が広いギター=押弦しづらい。

3歳年上の姉が所有していたので、

所謂、セーハがし辛いのは経験済みでした。)

とフォークギター(金属の弦で弦高が低くネックの幅が

狭い=セーハし易い)の二種類がある。

程度のものでした。

 13歳の少年にとってその楽器店に吊るしてある

ただ一本のフォークギターは自分にとって

この世で唯一無二の「ネックの幅の狭い、

弦高の低い、セーハし易いギター」

と思い込むのにさほど時間は必要ありませんでした。

まさしく「一目惚れ」というやつです。

それからとゆうもの、

寝ても覚めても毎日毎日・・・毎日。

「なあなあ!お母さん

紀田楽器(かの楽器店さん)にあるギター買うてえなあ」

の連発でした。


お袋が、

この息子を黙らすにはあのギターを与えるしか

ほかに方法はないと悟るのに

これまたさほど時間は必要ありませんでした。

かくして一ヶ月後、

私の部屋に”かのギター”は

鎮座していたのでありました。
サウンドホールから覗くラベルには

”KASUGA FOLK GUITAR"とだけ書いてあります。

今思うと、型番も品番も、もちろんシリアルナンバーも

なーんにもなかったと思います。

毎日毎日弾きました。

「友よ」、「悲しくてやりきれない」

「戦争を知らない子供達」、

「血まみれの鳩」…、そうこうしておりますと、

あの加藤和彦大先生が

「はれんちこんさあと」で使用したギターのなかに

12弦ギターなるものがあるという情報を

入手した少年は

「当世今様民謡大温習会」なる30cmLPを手に入れ

その「シャリ~ン、ジャラ~ン、」

鈴鳴りとはこのことだあ!

というなんともいえない12弦ギターの

音色の虜になったのでありました。

「お母さん明日から弁当いらんは、

 学校でパン3ヶ牛乳1本 
 買うさかいに毎日150円おっけ(頂戴の意)」

実際にはパンを2ヶ食し、

牛乳は飲んだり飲まなかったりで

毎日30円~50円貯蓄していったのでありました。

こんな生活を3ヶ月ほど続け、

お小遣いと併せて5,000円くらい貯め、冬

休みに家業の手伝い(家内制アルバイト)をし

年明けのお年玉と春日のギターを処分したお金とを

併せて2万円の軍資金を手に入れたのでありました。

1972年1月、セミソフトケース付き18,000円の品番も、

型番もぜ~んぜん覚えていないのですが

ヤマハの12弦ギターがKASUGAに代わって

私の愛器となりました。

その時は本当にそう思ったのですが、

「このギターは一生もんだ、

だって18,000円のギターだよ!」

本当にこのギターが僕にとって最後のギターに

なるだろうと信じて疑いませんでした。

このギターと一緒に文化祭にも出演したし、

大好きだった「久美ちゃん」のお誕生日のプレゼント

に渡した弾き語りのテープを録音したのも

このギターだったし・・・。

しかし、しかし、

その信じて疑わなかった

愛器とのお別れは2年後にやってまいります。

忘れもしません高校1年の秋、

「浪江が50,000円もするギター買うたらしいで、 

なんでもS.Yairiいうて”陽水”が使てるのと一緒の

メーカーのやそうや」

というとんでもない情報が

耳に飛び込んできたのでありました。

実際にそのギターを手にした時

「ひょっとしたらMartinを初めて手にした時以上の衝撃」

やったんやないかなあと今でも覚えとります。

なんともいえないプリプリ感、充実した低音の響き、

シャリーんという高温の響き

S.Yairiって言うメーカーは、

本当に完成度の高いギターをつくっていたんやなあと

今でも本当にそう思いますね。

このあとは・・・

書かなくてもだいたいご想像いただけるかと思います。
前回ヤマハを手に入れた時とほとんど同じ手法で

新たなギターを手に入れます。

ただ、諸事情でS.Yairiは、手に入れることは出来ず、

Morris W-40というMartin D-41もどきの4万円のギター

を購入したのでありました。

1974年1月のことでした。
しかし、

このギターには大変な悲劇が

待ち受けていたのでありました。

購入して3日目くらいだったと思います。

S.Yairiの浪江が家に遊びに来たのです。
「ギター買うたんやってなあ、見せて。」
「ええで、あがれや」ということで
彼にギターを預けると、

2-3曲陽水の曲をやり終えたあと、

ギターをケース(シェルタイプ)にしまおうとしたその瞬間

「こーん」という忘れたくても忘れられない

あの素晴らしいボディ鳴り!

彼がギターを平面(寝かせた)状態で

ケースに入れようとした時ケースの蓋が閉まり、

止め金具のあの尖った部分がなんと

ギタートップになんの抵抗も無く

100%まともに落ち、バウンドしたのでした。

木部まで達する打痕が2箇所、

塗装膜だけの傷が2箇所

購入後3日目にしてこの惨劇。

今思い出しても本当に泣きたくなるくらいの出来事でした。

でもこのギター、今現在も私の手元にあるんですよ。

30年来の付き合いになります。

こうなったら本当に手放せないですね。

この30年間の「酸いも甘い」もみ~んな知っている。

苦楽を共にしてきたほんと、

親友であり、戦友であり、兄弟みたいなもんですね。

モーリス W-40
トップ:スプルース単板、

サイド:ハカランダ合板、

バック3p:ハカランダ合板センターメイプル 

1973”寺田楽器製。

以降1999年製 HD-28VRを手にするまで

ギター遍歴は一時休止となります。

結婚をして、

人の親となって生活が少し落ち着いてきたとき

「もう一度ギターやりたいな」

どうせやるならギター小僧時代からの夢のまた夢、

憧れの「Martin買うたろかい!」

と思ったのが数年前のことでした。

でも、そうは思ったものの

若年来の「過度の喫煙」がたたったのか、

唄をうたうレベルでの声が思うように出せなくなり

気持ちよう唄も歌えへんのに

今更何十万もするギター買うてどないすんねん!?

やっぱりやあめた・・・。
・・・と思っていた私に

衝撃のサウンドが降り注いだのでありました。

そうなんです”アコギ魂!

”覚醒の一番大きなきっかけとなったのは

Eric師匠のアンプラグドでした。


これはほんとに強烈でした。
アコースティックギターって

弾き手によってはこんなに表現力が膨らむんだ!
アコギの新しい世界を思い知らされました。

以来ここ数年間は、

Eric 師匠のアンプラグドのカバーに

明け暮れている毎日です。

目標は、自作自演本人プロデュースによる

CDを作製し自分の葬儀の「粗供養」につかいたいな・・・

と思っています。


現世で一方ならぬお世話になった方々と

最後のお別れに「本日は、お足元がお悪いか、

お悪くないか私には知る由もございませんが、

ご多忙中にも関わりませず、

森脇弘光儀告別記念音楽会にご参列下さいまして

誠にありがとうございます。・・・・・・」

てな感じえ始まるCDをお渡しできたらええなあなんて

思っております。

(そんな気持ち悪いもんいらん!というお声もございますが)


最後に現在所有しているギターを

紹介させていただいて結びとさせて頂きます。


SUMI OOO CTM

T:RED-SPRUCE S&B:BRAZILIAN-ROSEWOOD
この鷲見さんのギターは足掛け3年待ちました。

待った甲斐はじゅう~ぶんありました。


MARTIN HD28V

SITKA-SPRUCE EI-ROSEWOOD


MARTIN OOO18

SITKA-SPRUCE MAHOGANY


JOSE RAMIREZ
EST-3E CEDAR EI-ROSEWOOD


MORRIS W40

SPRUCE LM-JAKARANDA&MAPLE(3P)

あと、ついでにFENDER STRAT 以上です。

追加です!2004年4月完成(Martin kit)自作 
Morie 000-28H 

Engelman-SPRUCE EI-ROSEWOOD SQネック
これがインストにはもってこいのええ音しまんねん。