平安時代のこうした習わしは、鎌倉時代に三三九度の盃

姿を変えますが、現代でも一般の結婚式で行われています。

皇室行事でもこの伝統は残っており、昭和34年4月10日の

上皇・上皇后両陛下のご婚礼の際も三日夜餅の儀が執り行われました。

 

鎌倉時代になると、世は貴族から武士に代わり,自ずとスタイルも変わる。

貴族は華麗・典雅を求めたが、武士は正反対に質素を求めた。

徳川家康が求めた鎌倉武士の姿です

 

一番変わったのは、婚礼で平安時代は婿入り婚だったが、

鎌倉時代には嫁入りにと変わった。

更に、屋敷も寝殿造りから書院づくりにと変わり、

寝殿作りは間仕切りで仕切ったが、書院造になると部屋が出現した。

更に、玄関・床の間・違い棚・書院などが出来て来た

天井の造りと武家屋敷/ホームメイト

そして、このような室内の特性を生かし式に取り入れて行った

 

夕方、嫁方では門火が焚かれ花嫁は輿に乗り、御付の

女房や荷物の行列と共に花嫁の屋敷に到着。

婿方でも門火が焚かれ貝桶渡しの儀礼があった

結婚の形態とは?(その4) | 結婚相談所 BLISS PARTNER(公式HP)

武家の婚礼は暗くなって行われた。

早くて暮6つですから午後6時頃、遅い時間だと9つですから

午後12時の時間もあったのです。

準備

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嫁入婚

婚礼道具は先に送ります。

その品目

御貝桶  蛤360対を2つの桶に分け、左貝、右貝入れる。亀甲型の桶

御厨子棚  3階棚、下段は観音開き。

担い空櫃  蓋付きの木箱で足があり、紐を通して担ぐ。

長櫃    服、屏風など。

長持    蓋付きの長い箱、

屏風箱  屏風を入れる

行器(ほかい)  弁当入れ。20人分くらい入る。

 貝桶
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1、父母への暇乞い

   この時に式三献、雑煮、三々九度をした。

  三々九度
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2、門外に篝火を焚き、夕暮れに花嫁行列が出発。

  輿入れの時は必ず「」を用いる。

  「貞丈雑記」には、「こしよせの時、紙燭を持ち出る事」とあり、小笠原流

  においても輿入れには提灯蠟燭などの火を掲げる。

  又、門口には男松明・女松明の火を合わせる事としている。

  或いは、門前で提灯を掲げ、その間を輿を通り抜けるとか、随所に

  火の使用がある。

 

  嫁の輿の中には雌雄一対の犬張子がある。

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3、請取渡しの儀

  嫁の輿が到着、婿方では篝火を焚き、輿が門内に入る時、

  請取の儀がある。

  嫁方の貝桶渡し役人が素襖姿で貝桶一対を持ち、婿方の請取役人に

  口上を述べて渡す。

  尚、渡した後、帰る際は、表門を通らないで裏門から出て帰る。

  戻る、という事を避けたものと云う。

 

本来は、貝渡しが重要な役割を持ってましたが、次第に簡略化して、

他の婚礼道具と一緒に送る様になってしまった。