古来、日本で行われていた婚姻儀礼「三日夜餅(みかよのもちい ...

平安時代は、婿入り婚でした。

別名・妻問い婚と云われるもので男が三日夜続けて女の家に通う。

新しい屋敷を作って同居する事もあるが、簡単な結婚制度で、

結び付きが弱く結構簡単にくっついたり離れたりする。

夫婦は別姓で、基本的に同居はせず妻の家に夫が通い、

従って男性は複数と婚姻関係を結び、妻の方も気に入った男性を

家に入れる事もある。

所謂「逆玉」と云い、嫁の親の政治的経済的な力を利用しようと

したものである。

 

平安貴族の婚礼次第

婚約が調い吉日が来ると、早朝に花婿から花嫁に贈る恋文を

持ち「文使い」という使者が出る

花嫁の家ではその夜花婿を迎える為の準備が大変です。

寝殿内部の間取りを変更したり、室内装飾である室礼、食事、

装束を整える。

公卿冬束帯 | 日本服飾史

夜10時頃、松明を持った先導者12人が先着し、花婿は冠を

付けて笏を持った衣冠という正装で牛車に乗って出発。

昔から婚礼というのはお祭り騒ぎになった。

高位の婿殿の行列の時は、噂で集まった人々により

沿道は人手で溢れお祭りのような騒ぎなる

道端に垣を作って見物した。

寝具の歴史 2-2奈良時代(710年~8C末)平安時代(8C末 ...

一方、花嫁の方は寝殿の間仕切りを変更し、先ず3部屋を作る。

花婿が到着した時に入る休憩室である①帳前の間、その隣に

②御寝の間を作り、次に③新夫婦饗餞の間を作る。

 

花嫁が到着し一時休憩してる時、花嫁は白粉や眉作り、

鉄漿などの化粧をし、白の小袖に濃【濃い紅」の小袴を

穿いたままで、御寝の間の褥に伏せる。

 

花婿も衣装を脱いで小袖か単衣になり、下袴になる

次に夫婦は仮の新枕を交す

新夫婦は元の衣装を着て、花嫁は一旦母の待つ母屋に戻る。

袿 平安装束 十二単衣 - 着物

その後、寝殿の西の間に場所は移され正式な宴になる

第一の饗餞(食事)が高坏に載せられ婿・嫁に供えられ、

全員に食事が運ばれる。

更に、第2の饗餞では、二献、三献の酒と食事が出る

それから宴の座と舞があり正式な座が終わる

寝殿造の特徴と間取りとは?平安時代の調度品も画像で解説 ...

婚礼の夫婦の祝言は最初の三献で終わる。

盃事が終わると、花婿は角盥で手を洗い「吉書」を見、

そして男女は再び衣装を脱いでお床入りになる。

 

式を終えた婿は3日間、嫁尾の家を深夜に訪れ

夜明け前に帰る。

深夜花婿は一先ず家に帰り、家から花嫁に恋歌を贈る

この使いを「後朝(きぬぎぬ)の使い」という。

毎夜同じことを繰り返し、3日目の夜、花嫁花婿は一緒に餅を食べる。

 

一夜を共にした後に後朝の歌(きぬぎぬのうた)を贈り、

さらに3日間続けて女性のところに通います。

3日通うと「これからはあなたを棄てません」という誓いとなります。

一夜限りの関係では単なる浮気とみなされるのです。

 

正式に婚姻が成立するのが、3日目に行われる露顕の儀

三日夜餅の儀が済んでからです。

ここでやっと「三日夜餅」が登場します。

三日夜の餅の儀は、3日目の朝に三日夜餅という

祝餅でもって催される祝宴のことです。

この宴は現代のように両家そろうわけではなく、

花嫁の両親と一族にお披露目するというものでした。

この時、三日夜餅を花婿と花嫁が食べると婚姻成立です。

お餅は初めは白一色でしたが、次第に紅白の餅が使われるようになりました。

 

ちなみに三日夜餅は、食いちぎらずに3つ食べるのが作法でした。

『落窪物語』によると、男性は作法にのっとって食べているのに対し、

女性の食べる数は「男のお気持ちしだい」と言っていて、

特に決まっていなかったようです。

3日目にお餅を食べる事は当時の人々にとっては重大な意味を

持ち、『源氏物語』の主人公・光源氏と紫の上が結婚した際も

三日夜餅が出てきます。