高野山の中はバスが整備されてるので
宿坊前のバス停から出発(^-^)/
途中まだまだたくさんの宿坊がいっぱい(゜ロ゜;
キョロキョロしてる間に
まずは奥の院のバス停に到着
なかなかにぎやかなとこ
大きくて立派な杉並木
入ってすぐは新しいエリア
変わった墓石もあったり面白い
大きな通りの目立つところには
「関東大震災」、さまざまな戦災、「阪神淡路大震災」そして「東日本大震災」の慰霊塔があり
高野山が一宗教に留まらず
日本の中で果たしてきた役割みたいなものの一端を感じました
ここは紀伊半島
ものすごく雨の多い地域
中に行けば行くほど、
杉の木と苔が元気で元気で
なんだか全てを飲み込んでしまいそうな勢いです
例えばこの写真も
きっと元は別々の木
長い年月でくっついてしまっています
こんな木がそこかしこに
見上げれば
空を覆う大木
奥の院の最深部
弘法大師様のいらっしゃるお堂にお詣りに
厳粛な雰囲気に( ̄人 ̄)
「塗香」と書いて「ずこう」と呼ぶお香が
置いてあり、お詣りの時に
使わせてもらいました
すると、なんか嗅いだことのある香り
平家クラスタにはお馴染みの
唐果物「清浄歓喜団」と同じような香りがしました
たしか唐果物も比叡山とかに今も納められてるはず
同じ時代のゆかりのものなのかなぁ
(参考で載せたらすごく大きい なんかサイズ調整できない)
御朱印も頂いて
次の我々の楽しみは
戦国武将のお墓(供養塔)探し
簡単な地図は持っていたものの
なにせ杉の巨木と苔の支配する国なので
通路はちゃんとあるけど
探すのがとーっても大変
案内板も奥の院に向かう方にはあっても戻りにはないとか
そんなトラップもたまにあったり
お墓(供養塔)の大きさは
生前の偉業と比例しているのではなくて
高野山との関わり?とか
何なんでしょうね
例えば織田信長のお墓は探しにくく
行けば一般の人のイメージするくらいのサイズ
隣の筒井順慶のと同サイズでした
豊臣秀吉は
自身だけでなく自分の親族たちと一緒に
広いエリアにありました
現世ではライバルだった
武田信玄・勝頼親子からほど近くに
上杉謙信の霊廟があったり
勝者も敗者もなくまつられてるように
思いました
行きつ戻りつしつつ探していると
どうしても石田三成のお墓が見付からない
うろうろしてると
例えば御先祖のお詣りに来られてる方か
我々と似たようなことをしてるかは
割と分かるので(* ̄ー ̄)ニオウノヨ
「石田三成のお墓は?」と
途方にくれつつお聞きしたら
その時は「わからない」って返事でしたが
後でなーーんと戻ってきてくれて
教えて頂いたのでありました
ありがたや
いったのが9/5日
関が原の合戦と日にちも近く
お詣りできてうれしかったです
地元の藩ゆかりのお墓が見つかったり
いろいろと宿願叶う瞬間でした
杉の木は根もものすごく強く
多くの墓石は歪み
上からは雨で分厚く育った苔が繁り
字が読めないどころではない
倒壊の危機が迫ってるとこがいっぱいありました
奥の院のこの雰囲気は
いつまで保たれるのかなぁと
老婆心ながら心配になりました
またバスで宿坊のあたりまで戻り
お昼ごはん
バス停の近くにカフェを見つけていたのでした
高野山にカフェはここだけではなくて
奥の院の方とか何ヵ所か見かけました
私たちがお邪魔したのも
外国人の方のなさるカフェで
お客さんも外国の方もたくさん
高野山の違う面が見えました