遅ればせながら、櫻井夫人の書簡2の感想です。
 感想というか、印象的な部分をつなげてみました。
 以下、抜粋引用です。強調はブログ主によるもの。

 この度の韓国での集会が、これまで8年間ひたすら沈黙を守り、深い祈りと精誠の期間を越えて来られた顯進様が、新たな出発を期する場として、先輩家庭や二世たちを呼ばれていると知った時、ただ組織が違うとして一蹴してしまっていいのか、上から許可が出ていないとして無視してしまっていいのかと、とことん悩み祈り続けました。
 責任者の方々からは、「顯進様はああなんだこうなんだ」と問題点を指摘するような話も多く聞かされました。
 しかし、それを語る方々のうち、誰一人、今の顯進様に直接会い、その姿を見て来た人はいませんでした。
 いずれも8年前の教会側の主張を繰り返すだけなのです。

 顯進様は 「私を知るには、私が何を語り、何をしてきたかを見て判断してほしい」 と言われて来ました。

 あらゆる反対を押し切ってまで渡韓した理由は、「行かなければ何も分からない」 と思ったからであり、また祈るなかで 「行け !」と押し出す強い導き を感じたからでした。
 韓国で目にした顯進様の姿は、昔と何ら変わらない、いや、むしろ昔以上に、神様を愛し、父母様を愛し、御旨を愛する、そうした真剣そのもののお姿でした。

 「私はお母様を諦めない、私は真の家庭を諦めない」 と語られる姿に、私は顯進様の真実を見たような思いがしました。
 そして、言われました。
 「中途半端にお母様批判をしたりしてお母様を辱めてはならない。誰かを批判する必要もない、ただ私を信じてついて来てほしい。私は必ず、真の家庭の本来の姿を取り戻す」 と。

 私が見たものは、始終目頭を熱くされ、泣かれ、涙をぬぐわれる、内的で心情的なお姿でした。
 また天を思い、天を慕い、父母様を愛し、真の家庭と祝福家庭に責任を持とうとされる、一貫した天の孝子としての顯進様のお姿でした。

 現場を見もしないで何をもって「問題だ」と批判できるのでしょうか。

 何よりも私が驚いたのは、全員が自ら会費を支払って会議に参加し、自分たちの会議という自負心を持って集まって来ているという事、そして親のような歳格好の元大統領、大実業家、学者たちまで、顯進様に敬意を払い、先生を慕う生徒たちのように、フロアに顯進様が姿を表わすと、すぐ周りを取り囲み、親しく談笑し合う熱いその情景を見ながら、「ああ顯進様はこういう方々を基盤として、本気でお父様の夢であった天一国の実現を成そうとしておられる」そういう真実でした。
 私たちが認めようと認めまいと社会の人々はこの方こそ南北統一の為の歩みの先頭に立ち、世界平和への道を必ず切り拓いていかれるに相違ない、という夢と期待を顯進様に寄せておられるのです。

 死の床から神山先生が命懸けで兄弟姉妹に残したかったこと―それは真の家庭の一体化及び顯進様の真実に関する内容でした。
 教会は組織である前に兄弟姉妹の共同体であり神様を中心とする兄弟姉妹であればたとえ一時各々の立場が変わり、考えや思想を違えたとしても、教会から遠く離れてしまったとしても、祝福によって結ばれた永遠の家族たちなのではないでしょうか。

 一教団の教祖としてのみ崇敬される父母様像でなく、人類一家族という神様の夢の実現に生きた、「人類の真の父母」としての父母様の位置と威信とを回復させようと今、顯進様は必死に歩んでいらっしゃいます。
 父母様に最も近い内側のカイン圏、子女様方の実の弟妹の位置にある祝福家庭には、そういった顯進様の歩みの真実が隠されてしまっているのです。
 こうした事実が広く統一家に伝えられ、理解されねばならない、私は祝福家庭の一人として、真の家庭をお支えすべきカイン家庭の一員として、この事実を祝福家庭の皆様にお伝えしたい、それが今回この書簡を記した理由です。



【感想】
 世の中には、思い込み・決めつけで語る人もいます。
 一方では、現場に足を運ぶ人もいます。
 徳野会長は顯進様を認めないことに決めているのかもしれません。
 それは、決定事項なのでしょう。(推測)

 思い込み・決めつけで判断する人 現場を見てくる人 人それぞれです。
 言葉を語る人 行動で示す人 人それぞれです。


One family under God
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