◇ 創世記の天地創造は、地球を基準に記載されているのか?

結論から言うと、創世記の天地創造の記述は、現代科学の意味で「地球を中心にした宇宙論」を説明しているというより、
👉 人間(地上)から見た視点=地球的・体験的視点で描かれている、と理解するのが一般的です。
________________________________________
■ 地球基準なのか?
ある意味では「はい」、ただし重要な前提があります。
創世記1章では、
• 「光があった」
• 「天(大空)が分けられた」
• 「地と海が分けられた」
• 「太陽・月・星が置かれた」
と順序立てて描かれますが、ここでの視点は明らかに
👉 地上に立つ人間が世界をどう認識するか
に沿っています。
たとえば:
• 太陽は「4日目」に登場する(科学的には不自然)
• 空は「水を分ける大空」と表現される(古代的宇宙観)
つまりこれは
👉 観測者=地上の人間視点の世界描写です。
________________________________________
■ なぜそのように書かれているのか?
創世記が書かれたのは、古代イスラエル社会であり、背景には当時の世界観があります。
関連する文化としては:
• エヌマ・エリシュ(バビロニア神話)
• 古代オリエントの宇宙観(天はドーム状、上に水がある)
これらでは世界は
• 上:天の水
• 中:人間の世界(地)
• 下:地下・深淵
という三層構造で理解されていました。
創世記もこの枠組みを使いながら、
👉 「唯一の神が秩序をもって世界を創造した」
という神学的メッセージを伝えています。
________________________________________
■ 科学的説明なのか?
ここが最も重要なポイントです。
創世記は
• 天文学
• 地球科学
を説明するための書ではありません。
むしろ目的は:
👉 「世界は偶然ではなく、意味と秩序をもって創られている」
という信仰的宣言です。
________________________________________
■ まとめ
• 創世記の記述は
→ 地上(人間)の視点で描かれている
• しかしそれは
→ 地球中心の宇宙論を主張するためではない
• 本質は
→ 神による秩序ある創造という神学的メッセージ




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◇ 「父母を離れる」とは具体的に何を意味するのか

とても大切な問いです。
創世記2章24節の「父母を離れる」は、単に家を出るという話ではなく、**人が新しい関係に入るときの“根本的な転換”**を表しています。
________________________________________
① 言葉の基本的な意味
「離れる」と訳されている言葉には、
• 手放す
• 後にする
• 優先順位を変える
というニュアンスがあります。
👉 つまり
**「関係を切る」ではなく、「中心を移す」**ことです。
________________________________________
② 何を「離れる」のか(3つの具体)
① 依存の中心を離れる
それまでの人生では:
• 親が守り
• 親が決め
• 親が基準だった
しかし結婚においては:
👉 親中心 → 夫婦中心へ
________________________________________
② 心の拠り所を離れる
困ったときに:
• 親に戻るのか
• 配偶者と向き合うのか
👉 「最も深く頼る相手」が変わる
________________________________________
③ アイデンティティの基盤を離れる
• 「○○家の子ども」から
• 「新しい一つの存在(夫婦)」へ
👉 自分の“所属”が更新される
________________________________________
③ 誤解してはいけないこと
ここは非常に重要です。
「離れる」とは:
❌ 親を大切にしないことではない
❌ 関係を断つことではない
むしろ聖書全体では:
👉 親を敬うことは変わらず重要
________________________________________
④ では何が変わるのか(核心)
以前:
親が最優先の関係

   ↓
転換

   ↓
以後:
配偶者が最優先の関係
👉 “第一の関係”が入れ替わる
________________________________________
⑤ なぜそれが必要なのか
もし「離れない」とどうなるか:
• 親の影響が強すぎる
• 夫婦の間に第三者が入り続ける
• 真の一体性が生まれない
👉 だから「離れる」ことが前提になる
________________________________________
⑥ 「結び合う」とセットで考える
この言葉は単独ではなく:
• 離れる
• 結び合う
• 一体となる
という流れの最初です。
つまり:
👉 何かを手放さないと、新しい結びつきは深まらない
________________________________________
⑦ とても現実的な理解
「離れる」とは実際には:
• 意見が違うとき、誰を優先するか
• 問題が起きたとき、誰と向き合うか
• 心の深い部分を誰と共有するか
👉 日常の選択の積み重ね
________________________________________
⑧ 一言で言うと
👉 「人生の中心的な関係を、親から配偶者へと移すこと」
________________________________________
⑨ 内面的な適用(結婚していない場合も)
この原則は結婚していなくても意味があります。
• 過去の影響から自立する
• 自分の人生を自分で引き受ける
👉 精神的・霊的な“自立”
________________________________________
⑩ 短い祈り
ライティング
主よ、
私はこれまで多くの影響の中で生きてきました。
しかし今、あなたが与えてくださる関係の中で
正しい順序を持って生きたいと願います。
手放すべきものを手放し、
大切にすべき関係を大切にする知恵を与えてください。
アーメン。
________________________________________
必要であれば、
👉「実際の夫婦関係でどこまで親と関わるべきか」
👉「親との関係が強すぎる場合の整え方」
かなり具体的なレベルまで一緒に考えることもできます。




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◇ 創世記2章24節 「こういうわけで」とは、どういうわけか?

とても鋭いポイントです。
創世記2章24節の「こういうわけで」は、直前の流れ全体を受けた結論の言葉です。
では、「どういうわけか」を丁寧にさかのぼって見てみましょう。
________________________________________
① 直前の出来事(2章18〜23節)
流れはこうなっています:
① 人が独りでいるのは良くない(18節)
   ↓
② 動物が造られるが、ふさわしい助け手は見つからない
   ↓
③ 女が造られる(男のあばら骨から)
   ↓
④ アダムの叫び
「これこそ、ついに私の骨の骨、肉の肉」
________________________________________
② 「こういうわけで」の中身
この一連の出来事から導かれる結論が、2章24節です。
つまり「こういうわけで」とは:
________________________________________
① 人は独りでは完成しない存在だから
神ご自身が言われました:
• 「人が独りでいるのは良くない」
👉 だから
結び合わされることが前提の存在
________________________________________
② 男と女は“もともと一つ”だから
女は男の一部から造られました。
👉 つまり本質的に:
• 別々の存在ではなく
• 分かたれた一つ
だからアダムは「骨の骨、肉の肉」と言ったのです。
________________________________________
③ だから再び“一体となる”
ここから論理的に導かれるのが:
• 父母を離れ
• 妻と結び合い
• 一体となる
👉 元の一つに戻る動き
________________________________________
③ まとめると
「こういうわけで」とは:
人は独りでは不完全

男と女はもともと一つ
   ↓
だから
結び合って一つになる
________________________________________
④ とても深いポイント
ここには単なる結婚制度以上の意味があります。
👉 「人間とは関係の中で完成する存在」
________________________________________
⑤ 創世記全体とのつながり
興味深いのは、この言葉が堕落前に語られていることです。
つまり:
• 罪が入る前から
• 「結び合うこと」が神の意図
👉 結婚や一体性は
問題の解決ではなく、創造の目的そのもの
________________________________________
⑥ 霊的な広がり
この箇所は後に、新約聖書でさらに深められます。
• 人と人の結びつき
• 神と人の結びつき
どちらにもつながる原型です。
________________________________________
⑦ 一言で言うと
👉 「もともと一つとして造られたから、再び一つになる」
これが「こういうわけで」の意味です。
________________________________________
もしよければ、さらに深く:
• 「父母を離れる」とは具体的に何を意味するのか
• 「一体となる」とは身体だけか、心や霊も含むのか
このあたりも非常に重要なテーマとして掘り下げられます。




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 神様は、なぜ救援摂理をされるのでしょうか。

 神様にとって最も必要なものとは何かが問題です。神様を何と言いますか。神様は、真の愛の王であり主人です。もしも、真の愛の王であり新郎であられる方が神様ならば、相対者になる王妃が必要だということが絶対的原理なのです。
 それでは、神様という絶対的なお方の前に、真の愛の相対になることができる方は誰なのかと尋ねてみると、それは真の人間です。それが神様の愛と一体になるアダムとエバだったのです。

 皆さんは、お金を必要とし、知識を必要とし、権力を必要としますが、妻がいなければ無駄なことです。夫は妻が必要であり、子女が必要です。妻は夫が必要であり、子女が必要なのです。そのような愛の対象が暮らす場所が家庭という所です。

 良心の欲望をいっぱいに満たし得る愛の主体である神様に侍り、その神様の愛の相対である男性と女性が一つになり、その愛の中で息子、娘をもち、幸せに暮らせるその家庭が、神様の真の愛を中心とした地上天国の最初の出発基地にならなければならないのです。

 私たち人間も、愛する対象が自分より何千万倍、無限大の価値ある存在として現れるのを願うのと同じように、神様も自分の愛する相対が無限の価値ある存在になることを願われるのです。そのような人が真の人間なのです。
 皆さん! そのような男性と女性が、正に堕落しないで完成しなければならないアダムとエバだったという事実を知りませんでした。

 神様は、堕落によってアダム家庭の真の母と息子、娘をすべて失ってしまいました。神様が所有できる真の息子、娘がいなかったのです。神様の真の愛を中心として、血統的な因縁をもてる神様の家庭がなかったというのです。

 堕落した父母によって、偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の因縁を結んでしまったので、私たちの心と体の闘いが起こりました。アダムとエバが怨讐になったのです。アダムの息子、娘の間に殺戮戦が起こりました。
   
                         (天聖経 P575より)

 神様は、愛の相対である人間に最高のものを与えようとされましたが、それが実現しなかったので、実現するまで摂理を継続されるのです。


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◇ 自分にとっての“新しい名前”をどう受け取るか

とても本質的な問いです。
「新しい名前」はどこか特別な人だけのものではなく、**すべての人に与えられる“生き方の軸”**とも言えます。
ただし大事なのは、
👉 自分で作るのではなく、「受け取る」ものだという点です。
そのプロセスを、具体的に整理してみます。
________________________________________
① 出発点:「今の自分の名前」に気づく
まず確認すべきは、いま自分が心の中で自分をどう呼んでいるかです。
たとえば:
• 「失敗した人間」
• 「弱い人」
• 「うまくやれない人」
• 「孤独な人」
これはいわば、
👉 “ヤコブ(過去の名前)”の状態です。
ここを曖昧にしたままでは、新しい名前は入ってきません。
________________________________________
② 神の言葉(約束)に触れる
聖書の中で、神は繰り返し人に語っています:
• あなたは愛されている
• あなたは選ばれている
• あなたは新しくされる
これは、アブラハムやヤコブに与えられたものと同じ構造です。
👉 現実より先に語られる“真実”
________________________________________
③ 「どちらを信じるか」を選ぶ
ここが一番重要です。
• 過去の自分の声を信じるか
• 神の言葉を信じるか
これは感情ではなく、
👉 意志の選択です。
アダムが「エバ(命)」と呼んだのと同じです。
________________________________________
④ 新しい名前を“受け取る”
ここで初めて、新しい名前が形になります。
それは人によって違いますが、例えば:
• 「赦された者」
• 「愛されている者」
• 「立ち上がる者」
• 「神と共に歩む者」
ポイントは:
👉 しっくりくるかではなく、神の言葉と一致しているか
________________________________________
⑤ 口に出して生きる
聖書では「名前」は呼ぶものです。
だから実際には:
• 心の中で繰り返す
• 祈りの中で告白する
• 日常で思い出す
👉 “呼び続けることで現実になっていく”
________________________________________
⑥ 図式(実践の流れ)
① 古い名前に気づく
(例:自分はダメだ)

   ↓
② 神の言葉に触れる
(あなたは愛されている)

   ↓
③ 選ぶ
(どちらを信じるか)

   ↓
④ 新しい名前を受け取る
(愛されている者)

   ↓
⑤ 呼びながら生きる
(日々思い出す・語る)

   ↓
⑥ 内面と現実が変わり始める
________________________________________
⑦ とても現実的なポイント
正直に言うと、
👉 最初は“嘘のように感じる”ことが多いです
• ペテロは「岩」と呼ばれても揺れていた
• アブラハムは疑ったこともある
それでも、
👉 名前が先で、現実が後からついてくる
________________________________________
⑧ 短い実践(今日からできる形)
1つだけ選ぶとしたら:
👉 一つの「名前」を決めて、毎日心で呼ぶ
例:
• 「私は神に愛されている者」
• 「私は新しくされている者」
シンプルで大丈夫です。
________________________________________
⑨ 祈り
ライティング
主よ、
私はこれまで、自分で自分に多くの名前をつけてきました。
しかし今、あなたが私をどう呼んでおられるかを知りたいです。
過去の声ではなく、
あなたの言葉を選び取る力を与えてください。
そして、あなたが与えてくださる名前で
日々を生きることができますように。
アーメン。





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◇ 聖書の中で神が人に新しい名前を与える場面(アブラハム、ヤコブなど)

とても重要なテーマですね。
聖書において「神が新しい名前を与える」とき、それは単なる呼び名の変更ではなく、
👉 存在・使命・関係の“再定義”
を意味します。
代表的な場面を、流れと意味で見てみましょう。
________________________________________
① アブラム → アブラハム(創世記17章)
変更前
• アブラム=「高められた父」
変更後
• アブラハム=「多くの国民の父」
________________________________________
何が起きたか
• まだ子どもがほとんどいない状態で
• 神が「あなたは多くの民の父になる」と宣言
👉 現実ではなく、約束に基づく名前
________________________________________
核心
👉 未来を先に与えられる名前
________________________________________
② サライ → サラ(創世記17章)
変更前
• サライ=「私の姫」
変更後
• サラ=「姫(多くの人の母的存在)」
________________________________________
核心
👉 個人的存在 → 公的・普遍的存在へ
________________________________________
③ ヤコブ → イスラエル(創世記32章)
変更前
• ヤコブ=「かかとをつかむ者/だます者」
変更後
• イスラエル=「神と戦い、勝った者」
________________________________________
何が起きたか
• 神と格闘する体験の中で
• 自分の弱さ・本性と向き合う
________________________________________
核心
👉 過去の性質 → 神との関係による新しい存在
________________________________________
④ シモン → ペテロ(新約聖書)
※イエスによる改名
変更前
• シモン=「聞く者」
変更後
• ペテロ=「岩」
________________________________________
現実とのギャップ
• 実際のペテロは不安定で、イエスを否認する弱さもあった
________________________________________
核心
👉 現実ではなく、“神が見ている完成形”が名前になる
________________________________________
⑤ 流れの共通パターン
これらを一つにまとめると:
① 古い名前
(過去・性質・現実)

   ↓
② 神との出会い
(契約・格闘・召し)

   ↓
③ 新しい名前
(約束・使命・未来)

   ↓
④ その名に向かって生きる
________________________________________
⑥ 非常に重要なポイント
神の名付けには共通点があります:
● 現実を見ていないように見える
• 子がいない → 「多くの民の父」
• 弱い → 「岩」
しかし実際は、
👉 神は“完成された姿”を見ている
________________________________________
⑦ アダムとエバとのつながり
ここで最初の話とつながります:
• 神 → アダム(本質を与える)
• アダム → エバ(約束に応答する)
• 神 → アブラハム、ヤコブなど(新しい未来を与える)
つまり、
👉 神は名前によって人生の方向を示し、
 人はそれに応答して生きていく
________________________________________
⑧ 自分への問い
このテーマはそのまま自分に向きます:
• 自分は「過去の名前」で生きているか?
• それとも「神が呼ぶ名前」で生きているか?
________________________________________
⑨ 短い祈り
ライティング
主よ、
あなたは私を過去ではなく、
あなたの目的によって呼ばれる方です。
私が自分で自分に貼っている名前ではなく、
あなたが与えてくださる名で生きることができますように。
まだ見えていない未来であっても、
あなたの言葉を信じて歩ませてください。
アーメン。
________________________________________
必要であれば、
👉「自分にとっての“新しい名前”をどう受け取るか」
👉「日常の中でそれをどう意識するか」
かなり具体的な形まで一緒に整理できます。




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◇ アダムに名前を付けたのは神様ですか?

はい、結論から言うと
👉 アダムに名を与えたのは神ご自身です。
ただし、その与え方には少し深い意味があります。
________________________________________
① 聖書の流れの中で
創世記ではこうなっています:
• 神が人を創造された(創世記2章)
• その存在は「人(アダム)」と呼ばれる
ここでの「アダム(アーダーム)」はもともと、
👉 「土(アダマー)」から取られた者
という意味を持つ言葉です。
つまり、
• 神が土から人を造り
• その本質に基づいて「アダム」と呼ばれている
これは、
👉 神がその存在の本質を規定している
ということです。
________________________________________
② 名付けの特徴(神 vs 人)
ここで、重要な対比があります。
神が名付けるとき
• 本質・起源を示す
• 存在の意味を定める
• アイデンティティを与える
👉 例:アダム(=土からの存在)
________________________________________
人(アダム)が名付けるとき
• 関係の中で意味づける
• 応答として名前を与える
👉 例:エバ(=命)
________________________________________
③ アダムという名の深い意味
「アダム」という名には、二つの方向があります:
① 低さ(現実)
• 土から造られた存在
• 限界・弱さを持つ
② 関係(可能性)
• 神の息を受けた存在
• 神と関わるように造られた
つまりアダムは、
👉 「土でありながら、神に息を与えられた存在」
という二重性を持っています。
________________________________________
④ エバとの対比で見ると
とても美しい対比が見えてきます:
• 神 → アダム(人の本質を定める)
• アダム → エバ(希望を宣言する)
つまり、
👉 神が“始まり”を与え、
 人が“応答”する
________________________________________
⑤ まとめ(核心)
• アダムの名は神によって与えられた
• それは「土から造られた存在」という本質を示す
• その上で人は、自分や他者に意味を与えていく
そして流れとしては:
👉 神が「あなたは何者か」を定め、
 人が「どう生きるか」を応答する
________________________________________
この視点で見ると、もう一つ大切な問いが生まれます:
👉 自分は、神からどのように呼ばれている存在なのか?
必要であれば、
「聖書の中で神が人に新しい名前を与える場面(アブラハム、ヤコブなど)」とつなげて、さらに深く見ることもできます。



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◇ 創世記3章20節 アダムは女をエバと名付けました。神様ではなく、アダムが名付けたこと、また堕落後に名付けたことの意味を教えてください。

とても大切で深い問いですね。
創世記3章20節は短い一文ですが、堕落後の人間の状態と希望の両方が凝縮されています。
________________________________________
① なぜ「神ではなくアダム」が名付けたのか
まず前提として、聖書において「名付ける」という行為は、単なるラベルではなく、
• 関係を定める
• 本質を見抜く
• ある種の責任や権威を持つ
という意味を持ちます。
創世記2章でも、アダムは動物に名前を与えています。
つまり、
👉 神から委ねられた「支配・管理」の役割の一部です。
ですからここでアダムが女に名前を与えたことは、
• 神の役割を奪ったのではなく
• 本来与えられていた責任を回復し始めた行為
と見ることができます。
________________________________________
② なぜ「堕落後」に名付けたのか
ここが最も重要なポイントです。
堕落前、女は「女(イシャー)」と呼ばれていました。
しかし堕落後に初めて「エバ(=命、命あるもの)」と名付けられます。
これは一見不思議です。
なぜならその時点では、
• 罪が入り
• 死が宣告され
• 関係は壊れ
ているからです。
それにもかかわらずアダムは、
👉 「命」という名前を与えた
________________________________________
③ そこにある信仰(約束への応答)
直前の創世記3章15節で、神はこう言われました:
• 女の子孫が蛇の頭を打ち砕く
これは後に救いへとつながる約束です。
アダムはこの言葉を受けて、
👉 「死ではなく命が続く」と信じた
だからこそ、
• 現実は死の宣告の中にあっても
• 妻を「命」と呼んだ
これは、
👉 絶望の中で希望を選び取る行為です。
________________________________________
④ 霊的に見ると何が起きているか
この出来事には、内面的な変化も見えます。
堕落直後のアダムは:
• 神のせいにする(「あなたが与えた女が…」)
• 責任転嫁する
しかしここでは:
• 女を責めるのではなく
• 名前を与え、受け入れている
つまり、
👉 関係の回復の第一歩
とも言えます。
________________________________________
⑤ まとめ(核心)
アダムがエバと名付けた意味は、
• 神から与えられた役割の再開
• 死の中で命を宣言する信仰
• 壊れた関係をもう一度受け入れる決断
そして何より、
👉 「神の約束を信じて未来を呼び出す行為」
です。
________________________________________
もしよければ、さらに一歩進んで考えることもできます:
• 私たちは今、どんな「名前」を現実に与えているか
(絶望か、それとも希望か)
• 罪や失敗の後に、何を信じて生き直すのか
この箇所は、ただの名前の話ではなく、
「堕落後にどう生きるか」を示しているとも言えます。
________________________________________
必要であれば、この流れを「図式」や「祈りの形」にも整理できます。


◇ この流れを「図式」や「祈りの形」に

では、この箇所の流れを
「見える形」と「祈り」に落としてみます。
________________________________________
① 図式(流れの全体像)
【堕落】
 ↓
恐れ・責任転嫁・関係の破れ
(アダム「この女が…」)

 ↓
【神の宣告】
罪の結果としての苦しみ・死

救いの約束(女の子孫)

 ↓
【分岐点】
絶望を見るか
約束を見るか

 ↓
【アダムの選択】
「命」に目を向ける

 ↓
【行為】
女を「エバ(命)」と名付ける

 ↓
【意味】
・信仰(約束を信じる)
・関係の回復(受け入れる)
・使命の再開(名付ける)

 ↓
【結果】
死の中で「命」が始まる
________________________________________
② さらにシンプルな核心図
現実:死・破れ
   +
神の言葉:約束

   ↓
どちらを見るか?

   ↓
信仰の選択
(アダム)

   ↓
「命」と呼ぶ
(エバ)

   ↓
未来が変わり始める
________________________________________
③ 自分に当てはめる図
失敗・罪・混乱
   ↓
神の言葉(赦し・希望)
   ↓
どちらを信じるか
   ↓
自分や他者に「何と呼ぶか」
   ↓
その通りの現実が形づくられていく
________________________________________
④ 祈りの形(短い祈り)
まずはシンプルに:
ライティング
神よ、
私は今、現実の中にある恐れや破れを見ています。
しかしあなたは、その中でも
「命」と「希望」を語られる方です。
アダムがエバと名付けたように、
私も絶望ではなく、あなたの約束を選び取らせてください。
自分や他者に対して、
あなたが与える名前で見ることができますように。
死ではなく、命を。
絶望ではなく、希望を。
あなたの言葉を信じて歩ませてください。
アーメン。
________________________________________
⑤ 少し深い祈り(関係の回復を含む)
ライティング
主よ、
私はときに人を責め、距離を置き、
関係を壊してしまいます。
しかしあなたは、壊れた後にも
もう一度「命」と呼び直す道を示されました。
私にもその勇気を与えてください。
目の前の人を、過去ではなく
あなたの約束の中で見ることができますように。
そして、私自身も
あなたが呼んでくださる名で生きることができますように。
アーメン。



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 神様は、本当はどのような方なのでしょうか。

 宗教の教えに対する反問にはいろいろあります。「神様は果たしているのでしょうか」。「神様が全知、全能、遍在し、至善、至美で、愛であり、審判の主であり、人類の父などと表現しますが、そうだということをどうやって知ることができますか」。「じっとしていてもいいはずの神様が、なぜ宇宙を創造したのでしょうか」。「神様の創造の目的は何なのか」。「創造には方法があったであろうが、その方法は何なのか」。「絶対的な神様が創造した世界に、なぜ弱肉強食という現状が起こっているのか」。「人間が堕落して罪の世界ができたと言うが、完全な神様が創造した人間がなぜ堕落するようになったのか」などがそれです。

 神様は問題が多いのです。全知全能だと言いながら、なぜイエス様を十字架に架けるようにしたのでしょうか。十字架の道理でなくては救援することができませんか。それにどうやって答えるのですか。全知全能だと言いながら、十字架上のイエス様を救うことができないのなら、そんな神様は残忍な神様です。人間の前から追放しなければならない神様です。信じるとは、何を信じますか。

 神様は人間を堕落するようにしておいて、なぜ悲しまれるのかという根源を暴いて、人間と神様との関係がどのようになっていて、また全知全能だという神様が、なぜこのように無能な神様になっているのか、ということを知ろうとした人がいませんでした。

 今まで神学者たちや霊界に通じる数多くの人たちは、サタンがいることは知っていましたが、全知全能なる神様の前に反対するサタンをなぜ防御できなかったのかという問題は分かりませんでした。これが霊界に通じても問題です。いつでも神側に行こうとすれば、必ずサタンが妨害するようになっているのです。多方面から、一方ではなく八方から反対するようになっているのですが、それをなぜ神様が干渉できず制裁できないのでしょうか。このような問題が今でも謎です。霊界に通じても、これだけは分からないのです。

 全知全能の神様が、なぜサタンをそのままにほっておくのでしょうか。それをなぜほっておくのですか。一朝にして首を切って処断してしまえばいいのに、なぜほっておくのでしょうか。それが宗教において一番の難問題なのですが、それは簡単な内容でしょうか。
    
                         (天聖経 P87~88より)

 神様の本当の姿はいかなるものなのか、それを知るには心情的な神様を深く尋ね求めていかなければならないでしょう。



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