死とは、いかなることでしょうか。
私たちは、神様の愛によって生まれ、愛によって生きて、息子、娘を生んで、愛の目的地に到達し、永遠に神様と共に生きるために神様の元に帰っていくのです。すなわち私たちの一生は、愛によって始まり、愛によって成熟し、愛の実として収穫されるのです。人が死ぬということは、愛の実を刈り入れることです。
死とは、人間が肉身生活を終えたのちに第二の出生をすることです。第二の出生をする所、死んでから行く世界がすなわち霊界です。その霊界に入って、第三の父母である神様から宇宙全体を代表する真の愛を供給してもらうのです。霊界は、愛を呼吸して、愛を中心として生きる世界です。それで完全な真の愛の人格を成すことができなければ、行ったり来たりする道が制限され、四方に通じることができません。ドアを通っても、一つのドアしか通れないのと同じです。春夏秋冬、いつでもどこでも合わせて生きることのできる資格をもつためには、地上生活において、完全な愛の人格を具備しなければなりません。
この世では死が生命の終わりを意味しますが、死は他の世界に新しく生まれることを意味します。それで、死のゆえに憂鬱になったり、悲しんだり、挫折してはいけません。代わりに与えられた使命のために一生を生きて、霊的な勝利の中でもう一度生まれることを喜ばなければなりません。私たちが地上であまりにも悲しみに沈んだり、悲痛に思うと、天上に上った人を地の下に引っ張るようになるのです。赤ん坊が第一の母の胎内から生れ出たように、第二の宇宙的な母の胎内からまた別の世界に誕生する昇華式は、実際に男女が出会って結婚する、その式に比べることができます。悲しみの瞬間では絶対にありません。それは昆虫が堅い皮を破り繭から出て、新しい形態に、新しい存在として、新しい本質になるのと同じです。
私たちは、結局どこに行かなければならないのでしょうか。霊界とは何なのでしょうか。「死後の世界だ」と大抵は言いますが、死後の世界ではありません。なぜ死後の世界ではないのでしょうか。
愛と関係ある世界だからです。真の愛を中心として出発したものなので、私が真の愛の真理に立つようになる時は、今ここが霊界なのです。ですから愛が偉大だというのです。
(天聖経 P451~453より)
人は永遠に生きることができるとしても、もしそこに愛がなければ虚しい人生です。永遠に虚しさが続くとしたら、耐え難い人生です。地上生活においても霊界生活においても、真の愛を中心にしてこそ、価値ある人生といえるでしょう。
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