
『香水』パトリック・ジュースキント 池内 紀 訳
パトリック・ジュースキントの処女作
『ヴァトーのユピテルとアンティオペ』を遣った装丁が印象的で 原書も同じ装丁
『ニンフとサテュロス』とも題される此の画題は共に「欲望」の象徴ながら「美と醜」の象徴でも在る。
まぁ其の辺りを掘り下げ始めるるとキリが無い
(^。^;)
ハッキリ謂って仕舞えば
此れを読んで無い人は人 生を損する事が大好きな人だろう。
但し、ドイツ語が堪能な方は原書で読まれる事を御勧めする。
此処からが本題。
「翻訳書は『翻訳』と謂う『別作品』である」
私は再三繰り返すが「澁澤龍彦」フリークで
「マルキ・ド・サド」は『澁澤龍彦のサド』としてしか読んでいない。
第二外国語は『仏』を選択したのだが原書を充分には読めない。
必死に短編等を辞書を片手に読んではみたが…
アンナ想いをする位なら…自分が納得出来る『翻訳者』の作品としてチャンとした日本語で読んだ方がズッと良い。
ワイルドのサロメのフランス語判に三週間も掛ける位なら…翻訳書3冊なら半日で読める。
………何種類も翻訳が出て居る物なら読み比べも出来る……
…が……『香水』は他に翻訳は無い。
此処で「自覚」が必要に為る。
他に翻訳が無い作品は『翻訳と謂う別作品』としての認識を持たなければならない。
実際Web上にも「池内紀訳批判」が存在する。
其れを逐一捜し捲る愚行を端から防ぐには
『別作品』と認識すれば良いだけなのだ。
一々誤訳の指摘を確認する事は『別作品認識』で、実に無駄な愚行でしか無くなる。
「ポー」の作品は辛うじて英文を読めるから自分でも翻訳する……が
日夏耿之介の「大鴉」や「アナベル・リー」を読んで仕舞うと…
『日夏耿之介の作品』と認識するだけで
間違い無く「満足感」が桁違いに為る。
翻訳文は「日本語」に成った別作品だからだ。
此処から【ネタバレ】注意
18世紀1737年7月にパリの悪臭に満ちた市場で
鱈の鱗を削ぐ母親に産み落とされ
臍の緒を其の包丁で切り離され
其のまま棄てられる筈が
泣き声を上げた為周りに気付かれ
嬰児殺しで母親はすぐに処刑された。
其の茹(う)だる7月のパリの悪臭の中で産まれた男が…己の特別な能力に目覚め
軈て 其の力と 其れ以外の欠落を曖昧に自覚し
其の能力で全てを支配出来る程に為って……も
与えられた力と与えられなかった力との矛盾に
1767年7月に消滅する……物語
何処かの誰かが其れを「誤訳」と称ぼうが
「池内紀の『香水』」であると翻訳された時点で
「認識」すれば謂い。
そして、此の作品は間違い無く素晴らしい。
誤訳もヘッタクレも関係無い❗
或意味「新しい『聖書』」と認識している。
つまり『読むベキ』本❗なのだ。
以上にモンクが有る人
掛かって来なさい…( ̄ー ̄)
何時でも相手に成ってやる((( ̄へ ̄)))
1737年7月18日~1767年7月25日までの7月物語
最高です…大御勧め………茹先炊(じょせんすい)
…読むのが面倒(((((゜゜;)って方は
映画『パフューム』でも……ほぼ原作…っぽい